小鬼の王
“蒼星”の三人がゴブリンジェネラルとの邂逅を果たすより少し前。
また、物陰からゴブリンが飛び出してきた。まるで草を刈るように腕を切り飛ばし、胴を薙ぎ払い、真っ二つに叩き割った。
武器が壊れても、松明が消えても、次から次へとゴブリンが持って来てくれる。
気分が高揚しているからか、不思議と疲れは感じない。だが、余りにも同じような状況に辟易としてきたのは確かだ。
緊張が無い、焦りもない、武器が思い通りに振れる。
たったそれだけの変化が、僕の冒険者としての腕前を一つも二つも格上げしていった。
かつてそれなりの冒険者として名を馳せたモック爺さんの仕込みの剣術はゴブリンなどものともせず、一人で冒険者になろうとするような変なところで度胸の据わった心は臆することなくダンジョンの奥深くへと脚を進めさせる。
いくつかの分岐を超え、もはや最深部に近いだろうというようなところまで差し掛かっていた。
もっと強いモンスターが出てくれば状況は違っただろうが、何故か本当にゴブリンしか出てこない。それも、ほとんどが素のゴブリン。時折思い出したようにゴブリンファイターやゴブリンメイジが出るが、その程度は今の僕にとって敵ではない。
「いける、このままダンジョンの最奥まで冒険してやる!」
それはきっと、症状が治まったことで気分が昂っていたのだろう。本来の僕であれば不相応な冒険など自分を諫めるところであるが、その時は帰るなどという考えは思い浮かばなかった。
そして、この後それを少しだけ後悔することになる。
やがて通路が途切れ、広い広い空間へと飛び出た。
あちこちに篝火がたかれているにも関わらず、壁や天井まで明かりが届かぬほどに広いそこは、間違いなくダンジョンの終着点だろうと思わせる雰囲気があった。
篝火の真ん中には少し地面が盛り上がった箇所があり、そこには大量の骨や金属類がうずたかく積まれていた。
あの牢屋のような場所で見た冒険者たちの残骸かとも思ったが、よく見ればどうにも違う。
規則的に骨と金属の棒が組まれ、その上にはおそらく人間のものだろう頭骨などが添えられている。まるで祭壇のようだ。
祭壇の真ん中には空間が空いていて何かが置けるようになっているが、今は何も乗っていなかった。
「ゴブリンが悪魔の儀式でもしてたのかな」
祭壇をもう少しよく見たいと、小高くなっている岩場へ足をかけた時だ。
祭壇の向こう側にさらに何かがある。
岩と骨を組み合わせて作られたそれは、まるで玉座のように一匹のモンスターをおさめていた。
そのモンスター、緑の肌、それだけ見ればゴブリンだと思ったかもしれない。
だが、僕の頭を優に超える体躯を誇るゴブリンを僕は知らない。
頭部に王冠のような角を生やすゴブリンを僕は知らない。
女性の腰回りよりも太い腕を持つゴブリンを僕は知らない。
歯ぐきから飛び出た黄色い歯を覗かせて獰猛に笑うゴブリンを僕は知らない。
「ま、まさか」
だが、話には聞いたことがある。
大昔、数多のゴブリンを従える小鬼が人間の国を脅かしたことがあると。
不遜にも天に向けて叛逆の角を伸ばし、他の魔物すら従え、人間をその腕一つで捻り殺す。
昏き者どもが王の一角。
「ご、ゴブリンキング!」
「ググ」
ゴブリンキングという呼び名を肯定するかのように、その小鬼の王は玉座から立ち上がる。ただそれだけなのに、僕は先ほどまでの高揚感も無敵感もどこかへ吹き飛んでしまい、頭が真っ白になる。
(じょ、冗談じゃない……伝説上のモンスターだぞ、上級冒険者だってかなうかどうか!)
好奇心は猫を殺す、とはどこで聞いた言葉だったか。出過ぎた野心はただ僕を死地へと運び込んだだけだった。
だが、いくら後悔したとて、時間が巻き戻るわけもない。
ゴブリンキングが玉座の横に突き刺してあった一本の剣を抜き放つ。
かがり火に照らされて鈍く光るその剣は古臭く無骨だが、これまで見たどのゴブリンの持つものより状態がよく、今にも武器の限界が来そうな僕のそれとは雲泥の差だ。
「ガア! ガゴグゲガガギガ!! グーガゴ! ガギャギャギャギャギャ!!!!1」
ゴブリンキングが叫ぶ。
知性のかけらもない他のゴブリンどもとは違う。
それは戦いを望む者の笑いだ。
力あるものを圧倒したい欲望を持つ者の有様だ。
ここまで何十匹というゴブリンを切り捨ててきた僕に対して、ゴブリンキングは怒りではなく威厳をもって対峙した。
その時、僕は確かに恐怖していた。
だが、恐怖に飲まれてはいなかった。
自分の恥ずかしがり屋という弱さを抑え、ゴブリンの地獄から抜け出し、ようやくここまでたどり着いたのだ。
死んでたまるか。他人に好きなようにされてたまるか。生きて、生きて、生き抜くのだ。
そして、生きてやる、という気概のほかにもう一つ僕の心を突き動かすものがあった。
このゴブリンキングに統率され、狩られるだけだったゴブリンが人間を捉えて訓練の道具として使い始めたのだろう。ゴブリンキングがいるということは、他の高位ゴブリンもいるかもしれない。よしんば低級ゴブリンどもを突破したとしても上級ですら手こずるゴブリンが出てくれば、アポリー洞窟に潜る冒険者はなすすべがない。
そして、訓練された大量のゴブリンを率いて、こいつは近くの村を、街を、国を襲うようになる。
そうなればアポリー洞窟から程近い、僕が暮らすあの村はゴブリンどもの暴虐に押しつぶされてしまう。
僕のことを笑う人も多くいるけれど、僕に優しくしてくれた人もそれ以上にいるあの村が、犯され、食われ、最後には何も残らない。
そんなことにはさせない。
こいつはここで倒す。
どこからそんな自信がわいてくるのか、自分でもあきれてしまう。
だがそれでも、熱く心を滾らせるこの義憤は理屈ではないところで体を動かしていた。
剣を握る。
「やってやる……いくぞっ!!」
「ガガガッ!!」
こうして、僕の無謀な戦いの幕が切って落とされた。
いきなりクライマックス。