メタラクネ
苦しい。
ひどく、苦しい。
体が、自分のものでない感覚がある。
きっと、自分のものでは無くなってしまったのだ。
腰より上に人の身体の感覚はある。頭から首、胸、肩、腕、手、指先、腹、全て正常だ。
腰より下に感覚はない。いや……あるのだが、それを自分のものとして認めたくない。
自分の巨大化した“下半身”の上を、幾匹もの大蜘蛛たちが這いずり回っている。あの日見た骸骨蜘蛛もいる。それ以上に巨大な蜘蛛もいる。
蜘蛛たちは次々と“下半身”にその身をねじ込ませると、泥のようになって溶け込んでいく。そうするたびに、下半身が巨大化していくのだ。
おぞましい。
おそろしい。
地獄のようなその光景は、目で見ずとも感じ取れる。それがまた、恐怖をあおる。
冒険者になって、いくつか危険を乗り越えて来た……つもりでいた。
そんなもの、本当の危機を前にすれば、子供のお使いで感じる危険でしかなかったと思い知らされる。
モンスター共に殺されるよりも恐ろしいことがあったのだ。
モンスターに変えられることが、こんなにも恐ろしいことだとは。
ああ、ああ。
何を悔めばいいのか。
いや、褒められた生き方などしてこなかったことがそもそもの罪なのかもしれない。
盗み、殺しはやったことは無いが、自分よりも劣ったものを見つけては、蔑むことで自分の立場を作ってきた。それがこれほどの罰を受ける罪だと神様が言うならば、これからは悔い改めよう。
だからお願いだ。
だれか、おれを、たすけてくれ。
〇 ● 〇 ● 〇
元は巣であった黒い卵が、ビキビキと音を立ててひび割れていく。
隙間をなぞるように、チロチロと細くて黒いものが見えたと思いきや、内側から殻を蹴破って幾本もの細い棒が飛び出してきた。
何度も殻を跳ね飛ばしたその棒は脚だ。巨大すぎてピンとこないが、蜘蛛の脚にそっくりだ。
それらの脚は割れた卵の縁をガシッと掴むと、ずるりと“本体”を殻の外へと曳きずり出す。
全身を黒く毛に覆われ、ギラギラと陽の光を反射するいくつもの眼、長く鋭い脚が生える体、そしてぼてっとした巨大な腹。
「うっわぁ……だからもう蜘蛛は良いって」
メルゼスがうんざりな顔をするのも無理はない。ここ数日の“蜘蛛難”の集大成のような巨大な蜘蛛が僕たちを見下ろしているのだ。さすがに苦手意識を植え付けられそうである。
「はん? なんかくっついてるね。あの、頭んとこ」
その巨体ゆえに目立たなかったが、確かにその巨大蜘蛛の頭と思しきところには蜘蛛の者とは思えないパーツがくっついている。
「あれ……ベルゲイ!?」
そう、そのパーツは人間、それも知り合いのものだった。服ははぎとられているが、その顔に変わりは無い。目を見開き、およそ感情の読み取れない表情でこちらをじっと見下ろしている。
「何だい、知り合いかい?」
「ここまでの仕事仲間です。確か、アラクネに連れ去られたような……」
ちらっとアラクネに視線を送ると、アラクネは「晩飯に使おうと買っていた野菜を忘れていた」くらいの気軽さでポンと手を打った。
「おお、おお、すっかり忘れておりました。気合いだけは勇ましいから腹の足しにでもと思ったですが、思いのほか食えなくて……だから巣の隅っこに放り込んでおいたのですよ。いやはや、まさかあんな姿に成り果てるとは」
アラクネにさらわれ、魔物の一部にされ、何とも可哀そうな境遇である。嫌な奴ではあったけれど、少しだけ同情せざるを得ない。
「んーふっふっふ、グッド! 実にグッド!! なかなかの出来だとは思いませんかぁ? んー? 疑似的なアラクネの創造! はっはっは、ここで油を売った甲斐がありましたよ!」
その蜘蛛に上には相変わらずいらつく高笑いをするバーボリーの姿だ。その様は思い通りに事が進んだことを喜ぶ子供である。
たしかに、蜘蛛の下半身に人の上半身がくっついたアレはアラクネと言えばそうなのかもしれない。だがその表現は蜘蛛の女王の琴線に触れる。
「アラクネ? 馬鹿をお言いでない。そのような寄せ集めの化け物。そもそも、オスの身体を使っておいてアラクネなどと片腹痛い!」
「んもぉう、古臭いですねぇ、時代はいつだって変わりゆくものですよぉ?」
「黙りなさい。いえ、もういい。私を縛っていた鎖はもうないのですから……消し飛ばしてあげましょう」
アラクネが静かにそう告げると、巨大蜘蛛の顕現の際にこぼれ出た魔力が再び渦を巻き、今度はアラクネへと集約されていく。決して多くは無いが、そこそこの規模の魔法を放つだけの量はあるのではないだろうか。
同時に、アラクネの指先が躍るように舞い、空中に魔法陣を描き始める。
それが完成するまでに要された時間は数秒にも満たない。あっという間に魔法が構築され、そして。
『螺旋風刃』
起動呪文と共に解き放たれる。
僕との戦いの際にも使われた魔法であったが、本当に同じ魔法なのかと疑うほどに、まさに別次元の威力を発揮した。
巣を乗せた大木もろとも、一筋の竜巻が巨大蜘蛛を呑み込んだ。周囲の塵、木の葉や小枝が巻き上げられ、竜巻内部の様子はすぐさまに見えなくなってしまった。
その威力は徐々に増していき、やがて地面に転がっていた木が巻き上げられたかと思えば、一瞬で木くずへと変貌して竜巻の中へと消えていく。
つくづく、“全力”のアラクネと遭遇しないでよかったと思う。当然なことながら、あの『螺旋風刃』も少ない魔力を節約して放たれたものだったのだ。そうでなければ僕は今頃あの世行きである。
十数秒ほど続いたその魔法は、アラクネが上げた苦悶の声と共に収束を始めた。アラクネの額には玉のような汗が浮かび、それはおそらく魔力の限界を意味しているのだろう。
あの破壊力を前にして、あの巨大蜘蛛とバーボリーが生きているとはとても思えない。
ドズン
思えなかったのだが、やはりこれであっけなく終わり、とは行かなかった。
竜巻が消えた後には大木も巣も、何もかもが跡形もなく消え去っているはずだった。だがしかし、重々しい音と共に、その巨大蜘蛛は地面へと降り立ったのだ。
「んほっ、んほほほほほ! すんばらしい魔法でしたよぉ、女王。防御壁を張らせていなかったら危なかったですなぁ。ですが、ですがですがですが! 見ての通り無事! 素晴らしい! アラクネ変異種……『メタラクネ』とでも名付けましょうかねぇ!」
「ちっ!」
アラクネは舌打ちをしつつも、たまらず脚を折る。魔力不足による疲労は限界だ。
「メルゼス、ダリオン! 構えな!」
オーブからの指示に僕たちが心の準備を整えるのと同時に、バーボリーが叫んだ。
「さぁ、行きなさい、メタラクネぇ! まずはあいつらからですよぉ!」




