初めての勝利
結局その日は、興奮したまま一睡もできなかった。
棚や机の周りを整理した。
冒険者になってからずーっと用意していた旅袋の中身を、空けては確認し、また詰めなおす。仮面を入れるスペースを作ったら、だいぶ荷物を減らす必要が出来てしまった。
剣は洞窟で無くしてしまったので今は無いが、代わりに小刀の手入れを入念にした。
冒険者として初めての報酬で貰ったお金で買った旅装の細部まで確認している頃には、すっかり空が白んできた。
旅装を着込み、袋を担いで、靴の紐をきつめに縛る。
自室を出る前に、もう一度自分の部屋を見渡す。少しだけ、寂しい気持ちがあった。
階段を下りても、居間にモック爺さんの姿はない。
僕とモック爺さんの二人の家。でも、もうここに戻ることは無い。深く一礼をして、僕は家の外に跳び出した。
庭に、一人の剣士が立っていた。
その老人、滲み出る気迫は全てを切り裂かんとし、眼力のみで獣を怯えさせるほど。
世界に三百人と言われる中級冒険者として名を馳せた男の姿がそこにはあった。
その剣士、モックは僕に向かって一本の木刀を放り投げて来た。
何も言わずとも伝わる。
実力を示せ、と。
僕は旅の袋を投げると、モックに向かって木刀を構えた。同じように、モックも構える。
その距離はわずか五歩。すでに間合いの内だ。
勝負は一度きり、それも一瞬で決まるだろう。
その始まりの時を、僕たちは静かに待った。
やがて朝日が昇ろうとする時間に差し掛かった。遠くの山の向こうから、来光が見える。
そして、燃え盛る太陽がその山肌から姿を見せ、僕の左半身を、モックの右半身を真っ赤に染め上げた。
いまだ。
モックの目がちらりと細くなった。僕はそれを、太陽に目がくらんだのだと判断した。とても僅かな隙である。人によっては隙にすらならない僅かな変化。
僕は左足に溜め込んだ力を爆発させ、右足で踏み込む。上段に振り上げた木刀が、風を切り裂く音を立て始める。
「せやあぁっ!」
間合いは十分。この一撃はモックの正中線へと吸い込まれていくように思われた。
視界の端で、モックの右脚がスッと動いたような気がした。
瞬間、僕の頭が警鐘を鳴らす。
歩法、霞渡り。
モックの技の中でも、最も警戒すべきものの一つだ。
打たされたのだろう。僕が見つけたと思った隙も、モックが作り出した虚にすぎなかった。
間合いがずれていく。あれほど確信的だった剣筋が急に頼りないものになっていく。
(させるかっ)
だが、それはもう織り込み済みだ。何度その技でやられてきたことか。僕が世界で最も理解していると言ってもいい技だとすら思っている。
間合いがずれるなら、合わせてやるまでだ。
刹那の攻防の中で、僕は踏み込んだはずの右脚をさらに前へと押し出す。そのキモは、左足に残したままの重心の移動だ。
剣筋が伸びる。
しかして、決着はついた。
僕の剣は、ピタリとモックの頭部で寸止めされていた。
素人が見たならば、何も動かなかったモックに僕が打ち込んだだけのように見えただろう。
だが、僕たちにはわかる。あらゆる技術の織り込まれた、芸術ですらある戦いだったと。
「……参った」
モックが負けを認めた。あのモックがである。
何をしても、一度も勝つことのできなかったあのモックに、僕は勝ったのだ。
だから当然。
「い、いやったぁぁぁぁ!! やった! やったやったやったぁぁぁぁ!!!」
喜びが爆発してしまうのも仕方のないことだ。
庭中を駆けまわり、跳びはね、側転し、宙返りをし、僕は全身で喜びを表現した。
モックは、いつの間にかいつものモック爺さんに戻っていた。
「はぁー、やれやれだわい。まさか一本を取られる日が来ようとはなぁ」
だが、その表情に悲しみや後悔はない。ただ、孫の成長を喜ぶ爺の朗らかな笑顔だけがあった。
「ねぇ、これで行っていいんだよね!? 僕、旅人になっていいんだよね!?」
「ああ、もちろんだ」
「うわあぁぁぁぁぁあ!!!」
奇声を上げ続ける孫に向かって、モック爺さんは呆れたように懐から袋を取り出して放り投げて来た。
「わっ。ありがとう……これ、なに?」
チャラチャラと音がするからお金かと思ったが、中に入っているのは数枚の金属の板だった。まあ、お金にもなるかもしれないがそれほど高価なものには見えない。
「餞別だ。いつかお前がすんごーい冒険者になったときに、きっと役立つだろ」
「へぇー……ありがとう!」
僕はそれを旅袋の一番奥底にしまい込んだ。
夏の太陽はすっかり山肌から離れて、爽やかな朝の空気も終わりがちかい。
青い空の中に、筋のような雲が僕の行く先に向かってスゥっと伸びていく。
旅立つにはいい日だ。
「ダリオン」
モック爺さんが僕を呼んだと思ったら、思い切り抱きしめられた。
あれほど大きいと思っていたモック爺さんの体は、もう僕とそう変わらないくらいだ。当然か、僕もどんどん大きくなっているのだから。
ふわりと、大好きなモック爺さんの香りがした。まるで木そのもののような、優しくて心落ち着く臭いだ。
その幸せな時間はすぐにも終わる。いつまでも続けるわけには行かない。
「体に、気をつけろよ」
僕はその言葉を聞くと、弾かれたように振り向いて走り出した。
そのまま、振り向くことなく、叫ぶ。
「行ってくる! 元気でね!」
その声は震えていなかっただろうか。
僕の気持ちを悟られなかっただろうか。
泣いているところを見られなかっただろうか。
村への道を駆け抜ける。涙が、風に乗って舞い散った。
さようなら、じいちゃん。次に会うときには、必ずもっと大きくなって帰ってくるよ。
勝った! 第一章完!
第一章は話をダレさせないようにスピード感をもって書いたつもりですが、なんかこう、あっさり目になった気がしないでもないですね。
次は第二章、美少女回です。




