山仕事が強さの秘訣
山を登りながら、僕はあの仮面のことを考えていた。
どうしてあの凄い力が使えなかったんだろうか。
あの力自体が夢だったとは思えないし、もう思わない。
僕は確かにゴブリンキングと戦ったし、あの仮面の力で倒した、それは僕の中では紛れもない真実だ。
だけど、さっきは全く反応がなかった。
まるで空になった水瓶から必死に水をくみ取ろうとするかの如く、何の手ごたえも感じられなかったのだ。
まあ、あんな人智を超えた力、そんな簡単に使えるわけが無いか。
僕は思いのほかあっさりと執着心を捨てた。あの異常なまでの力を行使していた時の記憶が曖昧だからというのもあるだろう。夢ではないことははっきりわかってはいるのだが、あの時はまるで自分が自分ではないような感覚に陥っていた。
自分には過ぎた力である。過ぎた力はやがて身を亡ぼす。
これはモック爺さんから教え込まれた冒険者の基本の一つだ。
そういえば、あの力が発現する前に、不思議な場所で誰かと会った気がする。“転身”という大事な言葉を教えてもらっておいて何だが、顔も声も何を話したかも覚えていない。まあ、機会があれば思い出すだろう。
大事なことは、あの仮面が僕の手元にあるということだ。
あれさえ被れば、僕は他人の視線が気にならなくなる。目を合わせても、赤面をしなくなる。誰憚ることなく、自分の力を思い切り発揮できるのだ。
――できるはずなのだ。
唯一の不安は、まだゴブリンでしかその効果が試されていない事だ。
人間相手にはやっぱり効果がありませんでした、では意味がない。ゴブリンばっかり狩っている冒険者は、人の為になっていたとしてもやっぱり嫌だ。
かといって、すぐに試すタイミングもない。
モック爺さんとは別に恥ずかしがらずに話が出来るので意味はないし、かといって村人相手にあの仮面を被ったらただの頭のおかしい不審者だ。
やるとするならば、次の冒険者の仕事の時だろう。
ただ、今回のダンジョン探索が終わったらしばらくはモック爺さんの仕事の手伝いをするという約束をしているので、行くならば来週以降だ。
考えているうちに、もう一つ不安が出てきた。
あの仮面を被った人間を、果たして冒険者たちは自分のパーティに入れてくれるだろうか。
フルフェイス型の兜を使う冒険者もいないことは無い。だが、それはあくまで戦闘時に使われることが多く、パーティへの加入交渉などは基本的に素顔を突き合わせて行われる。
その時ですら仮面を被っているような変人を、自分のパーティに招き入れるようなもの好きが果たしているかどうか。
考えれば考えるほどなんだか暗い気分になってきたので、山登りへと集中することにする。
別にただ遊びで山を登っているわけじゃない。これもれっきとした仕事である。
モック爺さんは主に木こりとして生計を立てている。時に木を削って組み立て工芸品や日用品を作ることもあるが、林業が主な収入源だ。
木こりと言っても様々なスタイルがあるが、モック爺さんは“山を育てる”木こりである。
百年ほど前までは、そこらの山に生えている木を適当に切り倒し、木材や薪にすることが普通であった。これは、木は勝手に育つもの、という考えのもとで行われるもので、質も量もまちまちであるし、切り方によっては一つの山が禿げあがってしばらく木が採れなくなることもあったという。
それだけならまだしも、そういった山では土砂崩れが頻発し、多くの人が犠牲になることが多かったのだ。
そこでモック爺さんは考えた。
「人も環境を整え育てれば、どんな馬鹿でも一廉の人物になる。であれば、木や山とて同じことだろう」
どうすれば、大きく質の良い木が定量的に育つ環境を作ることが出来るか。
冒険者としては上級と中級の狭間くらいをウロウロしていたモック爺さんは、元々好きだった山に携わる仕事をしたいと、一念発起して二十年前に木こりとなった。
以来、似たような考えを持った木こりから教えを請うたり、試行錯誤を繰り返したり、独自の“山の育て方”を確立した。
そして現在は、その木材の質の高さを見込まれて、領主御用達の材木商たちから引く手あまたの状況である。
まあ、モック爺さんの話は良い。
このモック流山育て術はやることがとても多いのだ。
苗木を育て、急斜面の地をならし、苗木を植え、生い茂る下草を刈り、巻き付く蔓を断ち、邪魔な枝を打ち、混みあった林を間引き、そうやって最後まで育った木を商品として売る。
そろそろ良い齢になってきたモック爺さんに代わって、僕がこれらの作業を手伝っている。
まあ、一日で全部やるわけではないが、なかなかに大変だ。
まず、季節を問わず作業をする山へ登らなければならない。
一つの山なら問題ないが、モック爺さんは近隣の山の管理も一手に任されている。もちろん林業を学びたいという人を雇って作業をさせることもあるが、基本的には僕とモック爺さんの二人でやっている。
遠くの山へ行くだけならいい。
何故か、「山を知るのに山道を通るな。藪をかきわけていけ」という鬼のような指示が出されているのだ。
おかげで、ろくに整備もされていない山の斜面を駆けずり回ることとなる。それも、山を不要に荒らさないように注意をしながらだ。
春先には植樹を行う。
まず、木を切った後の荒れた斜面をならす。根を掘り、岩を退け、植樹が出来る場を作る。これがなかなか難しい。ほとんどが急斜面であり、
そんな中、場所だけ指定されると「あとは一人でやっておけ」と、とんでもない量の仕事を押し付けられる。
おかげでいつもこの時期に家に帰ると、斜面で踏ん張った脚はパンパンに晴れ上がり、クワを振り上げた腕は僅かも上がらなくなる。
夏場の難作業は下草刈りだ。
放っておけば、まだ背の低い木を覆い隠して成長を妨げてしまう。また、せっかくの栄養や水を奪い取ってしまうのだ。
ここでも変な指示をされる。「鎌ではなく、剣を使え」というのだ。実際、鎌は草を刈ることに特化しているので楽だ。
だが、剣となると不安定な足場で踏ん張って降らなければならない。
今ではもう慣れたものだが、昔は一つの斜面を平らにするのに二日か三日はかかってしまった。
秋から冬にかけては、枝うちだ。
無用な枝は光を遮り山の中を暗くして木の成長を妨げるばかりか、枯れた枝から虫が入り込んで木を殺してしまう。
逆にこれをやっておけば節の少ない良質な木材となり高値で取引がされるようになる。
言ってしまえば、これが一番きつい。
枝を打つには木に登る必要があるが、この時使われるのが“胴綱”と呼ばれる太い縄である。これを木に巻き付けるようにして、自分の腰の左右に結び付ければ準備完了。
あとは、脚と胴綱に体重を交互にかけて登っていくのだ。
ところが、モック爺さんは鬼である。
無情にも僕から胴綱を取り上げると「素手で登れ」なんて言うのだ。
山間部の秋冬はとてつもなく冷え込む。かじかんだ指先は感覚を失い、何度落ちかけたことか。その度に死を覚悟したものだ。
今では多少の凹凸さえあれば、猿のように木に登ることが出来るようになった。握力もなかなかのもの、だと思う。
これらの作業を組み合わせ、時に別の作業も織り交ぜながら、山を育てていく。
それが僕とモック爺さんの仕事である。
この日も、始まりは遅かったものの、何とか日が暮れるよりも前に下草刈りを終えることが出来た。
仕事が終われば、次は日課だ。急いで山を下り、家に帰る。
納屋から道具を引っ張り出して、日課の始まりである。
こういう、なんてことないお話も書くの好きです。




