再び、公認命名士との会話
最終章です。
駅まで歩いたお蔭で頭にもきちんと血が巡ったのか、家にいた時よりも大分落ち着いていることが実感できた。しかし、一睡もしていない割りには全く眠気がなかったので、水面下での興奮は冷めていないのかも知れない。
土曜日の早朝ということもあってか、ホームにも電車にも人はいないに等しかった。そしてそれは終点の駅でも同じだった。
改札を抜けると何はさて置き、寒さをしのぐ方法を考えた。
スマートフォンで検索をかけると早朝からでもやっているチェーンのコーヒーショップが引っかかったので、そこに向かうことにした。店に入り、店員の勧めるがままモーニングセットを適当に注文すると席に着いた。僕はそこでようやく一息を付いた。
自分では空腹なのかそうでないのかが分からず、サンドイッチの味もあやふやだったが、コーヒーの苦味だけがやけに舌に残る。
それからしばらくは文字通り呆けたように肘杖をつき、窓から外を行き交う車と人の流れを見ていた。
不意にコーヒーに口をつけるとすっかりぬるくなっていた。それでかなり長い間ぼうっと外を見ていたことに気が付いた。残すのは気が引けたので、パサパサなったサンドイッチを冷めたホットコーヒーで無理矢理に胃袋に押し込んだ。
スマートフォンをいじりながら、これからの行き先に思いを巡らしたが妙案は浮かばない。重い思いをして持ってきた数冊の本も、数行を読むと気が削がれてしまい、いまひとつ集中できなかった。結局はまたスマートフォンに戻り、将棋アプリを起動して熱心にコンピューターと戦った。今まで勝てなかった棋譜レベルの相手に二連勝を挙げられたのが嬉しかった。
その勢いでもう一つ、レベルを上げてみることにした。そして何手か指した時、急に頭の中に垣さんの顔が浮かんだ。連鎖的に命名の事を思い出し、さっさと名前を変えてしまおうと、妙な意気込みが生まれた。
将棋アプリを閉じ、昨日若山さんに撮らせてもらった名刺の写真を出す。
テーブルの備え付けの紙ナプキンに番号を写すと、すぐさま電話を掛けた。
しかし、中々繋がらなかった。ひょっとしたら土曜日で休みなのかもしれない。それでもせめて留守電には要件を入れておきたかったので、そのままコールを続けた。十数回、コール音を聞いたところで垣さんが出た。
「もしもし」
「あの、垣さんの携帯番号でよろしいですか?」
「はい、そうですが」
その声につい安心した。そして僕も名乗った。
「つい先日、喜多高で面接を受けた乙川です」
「え? 乙川君?」
「すみません。どうしても聞きたいことがあったので、名刺をみて電話しました。今お話は大丈夫ですか?」
「構わないけれど、聞きたい事って?」
「僕の新名はもう考えてくれましたか?」
「ええ、もう考えてあるわ。学校に文書を送信する準備はまだだけれど」
垣さんは少々困惑気味に答えた。
僕も事情を話さず、性急すぎたと思う。しかし、ダメ元でも言いたい事は言ってしまう。
僕は一息で深く息を吸った。
「お願いします。今、名前を教えてくれませんか?」
「え? 今すぐ?」
「はい。垣さんの考えてくれた名前を新名にしたいので」
そう告げると、垣さんはいよいよ困惑を露わにした。
「ちょっと待って。まだ私の考えた名前を知らないのに決めてしまうの?」
「元々そのつもりでした。ただ昨日ようやく決心がついたので」
「何かあったのかしら?」
「…まあ、ありました」
ズバリ言い当てられたが、隠すつもりもないので素直に打ち明けた。
同情を買えたのならそれでもいい。まずは垣さんの考えた名前を教えてもらいたかった。
けれども、それから少しの間、垣さんは黙ってしまった。
僕から声を掛けようとした時、狙ったかのように垣さんが喋り出した。
「…乙川君。今日は時間ある?」
「え? はい、特に予定はないです」
「今すぐとはいかないけれど、午後に一度会わない? せめて直接伝えるわ」
垣さんに足を使わせるのは忍ばれたが、同時に直接会えることが嬉しかった。遠慮も踏まえ僕は垣さんの申し出を受け入れた。
「わかりました。僕は全く構わないです」
「なら十四時くらいからでもいい? 待ち合わせはどこがいいかしら?」
「僕はどこでも構いません」
「そう? なら駅前にしましょう」
今まさに駅前にいる身からすれば断る理由など一つもない。
「問題ないです」
「じゃあ十四時に駅前のステンドグラス前で会いましょうか」
僕は二つ返事で承諾した。
電話を切ると少しだけ心の中に空気が入ったように、僅かな安心感があった。
名前のことだけとは言え、多くの人の悩みを聞いているであろう。垣さんの声や口調には得も言われぬ安心感があった。もしくは元々がそういう性質の人なのかもしれない。
少々浮かれた僕はコーヒーをお代わりした。出されたコーヒーに久しぶりに砂糖とミルクを入れてみた。甘くてまろやかな味は、僅かに芽生えた安心感をもう少しだけ大きくした。
程なくして店を出た。その後はしばらく駅の周りを宛てなく歩いていたのだが、最後は近くの古本屋に落ち着いた。こういう時普通の高校生ならどうするのだろうと思った。きっと気の知れた友人たちに電話を掛けて、ゲームセンターなりカラオケなりと自由自在に遊びに行けるのだろう。
僕はそういう場所に行くのに凄い抵抗感を持つ。有名人の他にも好意的か社交辞令かは知らないが誘ってくれる奴はいた。けれど一度そういう所に言った事を母に話すと、怒るまではいかなくとも数日間ネチネチと文句を言われた。今であれば嘘をつくなり、ごまかすなりと出来そうだが、こればかりは軽いトラウマのようになって、今でも中々立ち寄る事すら気が引けるようになってしまった。
垣さんに言わせれば、これが呪いなのだろう。
新名を教えてもらうことも勿論だが、また垣さんからオカルトチックな話も聞いてみたかった。僕は色々と呪われている部分が多そうだから。
読まなければならない本は背中に何冊も背負っていたので、欲しくなっては駄目だと小説や新書のコーナーには近づかなかった。マンガを適当に立ち読みして時間を潰した。
何冊か読み終わった後、空腹に気が付いた。時間を確認すると十三時前だったので、垣さんと会う前に何か食べることにした。ここを出て最初に目に入ったものを食べようと子供染みた事を考えた。結果、古本屋の目の前の立ち食い蕎麦屋で昼を済ませることになった。
待ち合わせに指定されたステンドグラス前はかなりの人だかりだった。
元々地元の人間にはお馴染みの待ち合わせ場所であり、土曜日ある事と今の時間帯を考えると当然と言える。ざっと見回したが垣さんの姿はなかった。なるべく見つけ易いように真ん中のポジションを陣取った。取り逃しがないようにスマートフォンも着信が鳴る設定にしておく。
周りの人達も入れ代わり立ち代わりに待ち人と合流していく。
少し早く来過ぎたかと思い、時間を確認しようとした。その時前から声を掛けられた。
「乙川君?」
「どうも」
掛けられた声に軽い会釈で返す。
「良かったわ、すんなり会えて」
「本当にすみません。無理を言ってしまって」
「いいえ。名前のことなんですもの、気にしないで。それでどこで話をしましょうか」
そう言われ、何も考えていなかったことを悔いた。せめて待っている間にでも周辺の店を確認しておくべきだった。
僕が謝ると、垣さんは何でもないように自分がよく行くという店を提案してくれた。当然、断る理由などなく着いて行った。
この駅は一昨年大幅な改修工事を行って、構内とそれに密着しているビルの中の店舗がかなり増えている。てっきりその新しくできた新館の方へ行くのかと思いきや、地下へと降り、昔からある喫茶店へ連れていかれた。明確には言えないが、垣さんの雰囲気に合っているモダン調な店だった。
昼食は二人とも済ましていたので、飲み物だけを注文した。垣さんに倣い、僕にしては珍しくハーブティを選んだ。店員に注文を告げると早速本題に入った。
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