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不満足名称  作者: 音喜多子平
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再び、母親との会話2

良い人そうな人ほど怖いときもありますね。

 明朝。


 夜更かしのせいで眠りがとても深かった。アラームを付けていなかったら間違いなく寝過ごしていたと思った。母も昨日の一件があるので、起きてくるのが遅くとも声を掛けに来るようなことはなかった。

いつもより一時間近く寝過ごしているのに、頭が働かず焦りも出ない。尤もまだまだ学校に遅刻するような時間でないということもあった。


 通学する支度を終えると下へ降りた。


 玄関には志郎さんの靴がなかった。朝早くに出たのか、帰ってこなかったのかはわからないが大して心配するともない。それよりも母に顔を合わせることの方が余程関心な憂慮だった。


 母は椅子に腰かけ、一人で朝食を食べていた。僕の分の用意はなかったが、食欲もないので返って助かった。けれども登校前にせめて喉だけでも潤そうと思ってキッチンで水を飲んだ。


 ここからだと母は向こう見る形で座っているので顔色は伺えない。無機的な食器の音だけが響いている。


 行ってきます、の一言だけでも声を掛けようかと思った矢先、出鼻を挫くように母が口を開いた。


「仁。昨日の話だけどね」


 朝の挨拶も抜きに冷たい口調で、昨日の夜の話題を持ち出してきた。そして続ける。僕は久しぶりに僕の名前を呼ばれたことに少々戸惑っていた。


「高校を卒業したら出てきなさい」

「…」


 驚きが大き過ぎて言葉が出なかった。

 頭が真っ白になるとはこの事だと思った。


「お母さんのやること成すことが全部嫌なんでしょう。なら後は全部自分でやりなさい。人の苦労も分からないで文句だけは一人前に言って。あなたはね、自分が思っている以上に子供なのよ。そういう態度でいるうちは、世の中の誰も助けてはくれないの。苦労も悩みもないでしょう? 子供は楽でいいわよね、何も考えないで親に育ててもらえばいいんだから。だから昨日みたいな事が言えるんでしょう?」


「…本気で言ってるんなら軽蔑するし、冗談で言ってるなら幻滅するよ。僕は今母さんについて来た事をすごい後悔してる」


 母はこっちの声などまるで聞こえていないように朝食の後片付けを淡々と始めた。


「後悔してるのは私よ。あなたをあの高校に行かせたのはね、家族みんなのため。新しい父親ができたけじめを付けるためなのよ。志郎さんが考えてくれた名前なら、もっと打ち解けられると思った――でももう全部無駄ね。何でもいいから好きな名前を選びなさい」


「言われなくたってそうするよ」


「それから今日からはね、料理も洗濯も自分でしなさい。勝手に作ったりしたらあなたの迷惑になるって分かったから、もう私は何もしないわ」


「ああそう」


「一応、高校を卒業するまでは面倒を見てあげるけど、その後は何もしませんから」


「分かった」


「ならいいわ。そうして頂戴」


 その後はすぐに家を出た。始業に遅れる心配はなかったが、自然と足早になっていった。


 鏡を見ずとも自分の表情が消え失せているのが分かった。心の中には形容も出来ない、重く深く暗みが掛かった何が渦巻いて他の事を気にかける余裕が消え失せていた。歩いていても、電車に乗っても、学校についても心臓に重い荷物がぶら下がっている様な感覚がずっと収まらなかった。


 あからさまに様子はおかしいと自分でも理解はしていた。しかし、かと言って心配したり気を使ってくる友人は多くないので、教室は居心地が良かった。休み時間に有名人と若山さんに声を掛けられたが、風邪をひいたかもしれないと適当な嘘でごまかした。


 あそこまで退屈に感じていた学校での日常がまるで違うものに思えた。


 どうしてか新鮮味がある。心中は相変わらずぐちゃぐちゃなのに、反比例するように頭は冴え渡っているような気がした。いつも以上に先生の話も授業の内容もすんなりと耳に入って行くのが面白かった。


 昼休みに長田くんからメールが入っているのに気が付く。


『今日の部活はどうしますか?』

と、短く書かれていた。


 そう言えば、昨日の夜に連絡するのをすっかり忘れていた。僕は昨日連絡できなかったことを詫びる文と、特に用事はないから部室に集まろうという旨の文を添えて送ろうとした。しかし送信ボタンを押す一歩手前で、何かに引き留められた。それから内容を書き直し、適当な理由をでっち上げて今日は休みにしようと送ったのだった。


 昼食も有名人に学食に誘われたが、あまり人の多いところに行きたくないということと、今日は弁当も何も準備していない事を告げると、親切に購買部でおにぎりとお茶を買ってきてくれた。


「風邪の時はパンより米だよな」


 今日一日、有名人は色々と喋っていたが、その一言だけがやたらと耳に残った。


 あっという間に迎えた放課後は虚無的だった。


 やるべきことも、やりたいことも何もない。行きたい場所も行くべきところもない。


 けれども、その虚無感は僕にとっては凄い開放感を伴っていた。


 相変わらず心は重い荷物を引きずっているように重々しかったが、冬の晴れ間が少しずつ重厚な感情を吸い出してくれている様な気がした。


 端的に言って母に歯向かったことに後悔もある。後ろめたさも、先の見えない不安もある。しかし、それに先駆けるのは・・・・・多分嬉しさなのだと思う。


 冷静に考えずとも、僕は母が嫌いだ。


 憎く思う事さえある。それでも期待してたのだ。僕が母にとっての理想通りの息子になるように期待するのと同じように、僕も僕にとって理想の母親像を勝手に作って、いつかそうなってくれると根拠もなく期待していたのだ。


 そして僕は、その理想を実現するために僕は生まれて初めて、面と向かって母と戦おうとした。その事実が残ったことが嬉しかった。


 勢いづいた僕の心は、そうやってどんどんと自己を正当化していった。


 母の過去の言動を片っ端から反芻して、その一々を論破する妄想で時間を浪費した。僕にとってのあの人は完全に敵であるということを自分に言い聞かせようとした。そう思い込んだ方が楽になれると思った。


 そして志郎さんの事も考えた。宣言通り、家の中を居心地悪くしてしまった。


 志郎さんはどうするのだろうか。話の分かる人ではあるので、僕と母の話を聞いて上手くたち待ってくれるといいなと思う。この間の話を聞く限り、僕の考えを尊重してくれそうなのは分かっているので、それだけは安心だった。


 家に着くと、母とは機械的なあいさつを交わすだけで会話が済んだ。母の態度は朝と大して変わらなかった。


 大人しく部屋に戻ると途端に眠気が出てきた。今朝はいつもの起床リズムが狂ってしまったせいだ。


 母の態度を鑑みるに、言葉の通り夕飯の支度などはしないだろう。僕は着替えを済ませるとキッチンへ向かった。そして料理は自分で作るが、食材や食器はどうすればいいのかを事細かに取り決めた。とは言え、母は昨日と今日とで言っている事が違くなることが多いので、要点だけは後でまとめておこうと思った。


 冷蔵庫から使っていいと言われた食材を出して、適当に刻むなり炒めるなりして一つ料理を作った。常日頃から料理をしている訳でないので、大分不格好ではあったが、小中学校の家庭科の授業で習うようなレベルのものなら何とか作れそうだった。


 志郎さんは別として、母とは食卓を共に囲いたくないし最早その必要もない。


 一人でさっさと早めの夕食を終えると、とっとと食器を洗って風呂に入ることにした。沸かすのも手間だったので寒くはあったがシャワーだけで済ませる。


 部屋に戻った後は、大人しく勉強を始めた。昼間の学校の時もそうだったが、やけに頭が冴える日だった。


 課題を終えてみると、想定していたよりもずっと早かった。


 帰って来た時の眠気はいつの間にかすっかり冷めてしまっていた。かと言って勉強もこれ以上する気が起きなかったので、休憩がてら将棋盤と本棚から詰め将棋の問題集を引っ張り出すとパチパチと駒を並べ始めた。


 さと、と気合を入れたところで部屋をノックされた。


 渋々ドアを開けると、顔のない母がいた。


「何?」

「話があるからリビングにきなさい」

読んでいただきありがとうざいます。


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