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不満足名称  作者: 音喜多子平
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初恋の人と、そして従兄との会話3

いよいよ大詰め。一か月以内にあげきるとは何だったのか。。。

 父は扉にぶら下がっていた木札をひっくり返し、休憩中の文字を店外へ見せるように直した。するとすぐさま踵を返して店の奥へと入って行った。この奥は正面がトイレ、左側にスタッフルームとは名ばかりの父の部屋がある。僕は初めてその部屋に入ることになった。


 中は六畳より少し広い位の部屋で小上がりの座敷になっていた。事務所と私室を足して割ったような散らかり方で、パソコンの周辺には帳簿や小説が数冊と食べ終わったサンドイッチの皿があり、壁のヘリには服が掛かっている。畳の上は書類があちこちに積まれており、汚いとは言わないが綺麗とも言えない。父は部屋に入るとすぐに左に曲がった。


 父の肩越しに見ると、暖簾ともカーテンとも言えない布が垂れ下がっている。それをめくると奥には二階へと続く階段があった。


 階段を登りながら父は言った。


「今となっては自他ともに認める愛書家だけど、本を読み始めたのはさ、高校二年生の冬休みからだったんだよ。クラスにすごい色々な蘊蓄ばっか言える友達がいてな、そいつにちょっと憧れて本を読み始めたんだ。で、読み耽っているうちに積りに積もってこんなになっちまった」

「すご」


 思わずそんな一声が出た。


 二階は正しく本の部屋であった。質素なゴシック調の室内には父が長年集めたのであろう、様々な蔵書が本棚や台の上に所狭しと置かれている。一つしかない窓は細長く、中に入って来る光は多くない。けれどもその窓際にある一人用のクラシックな読書机が差し込む微光によって演劇の舞台のように照らされているのが、たまらなく好きになってしまった。ここにいるだけで頭が一つ賢くなったような気がしてくる。


 父の本の収集癖は当然知っていたのだが、改めて驚かされるとは思っていなかった。


「前の書斎にあった時より大分増えてない?」

「まあな、買い足した分もあるし、実家から持ってきたのもあるし。洒落にならないくらい本のある喫茶店ってコンセプトにしようと思ってたんだ、最初は。」

「今だって普通の喫茶店にしては多いと思うよ」

「本が目当てのお客もいるくらいだからな」


 まるで山頂から景色を見回すように首を動かしながら、ランプの明かりに吸い寄せられる虫のように読書机に足を進めた。


「なんか味のある机と椅子」


「勉強したい時なんかは使っていいぞ。寒さ対策は自分でな。読みたい本があれば持って行くか?」


「今日は大丈夫」


「そうか? で、さっきの話に戻るとな――俺も自分で個性的な何かが欲しくって読書を始めたんだ。高二の冬休みにな。今もそうだけど当時も小説とかにはあんまり興味持たずにいた。それで、今のお前と同じようにそもそも個性とは何ぞやと言う事を考え始めたんだ。その時は色々と拗らせて哲学書とか読んでいたから尚更考えてた」


「答えは出たの?」


「まあ、自分なりと言うか、自分が納得するようなものはまとまったかな」


「どんなの?」


「今言ったらつまらないだろう。しばらく考えてみて、今度教えてくれよ」


 チラリと見た父の顔は笑っているとも真剣に何かを考え込んでいるようにも見えた。

 その時、店の扉に付いた鐘が来客を告げた。


「おっと、誰か来たな」


 そういって急いで階段を下って行く。


「少しだけ見てっていい?」

「勿論。風邪ひかない程度にな」


 父は帰りがけに階段の手前にあった照明のスイッチを入れてくれた。


 壁と天井にある電灯にもこの部屋に合わせようとした父のこだわりが垣間見えた。


 僕はしばらくそわそわしていた。適当な当たりを付けて数冊の本を流し読みしてみたり、何をするでなく椅子に座ると読書机に頬杖をついたりした。気になる本は山ほどあったが不思議と読書に勤しむ気にはならなかった。この部屋には後日、キチンと覚悟を決めてからもう一度来たいなと思ったのだ。


 結局は何もやらず、数分間ぼーっとしただけで一階に戻ることにした。


「よう。どうだった?」

「何かいるだけで賢くなったような気がする」


 素直に思った事を言った。


「お客さんはもう帰ったの?」


 他にお客さんがいる時は父はここまで砕けてこないので、てっきり帰ったのかと思った。けれども父は黙ってカウンターの向こうのテーブルを指差した。


「え?」


 柱で死角になっていた陰を除くと、さっきまで僕が座っていたテーブル席に従兄の正嗣さんと奥さんの瞳さんが座っていた。そして傍らのベビーカーの中には一年半前に生まれたばかりで二人の息子である(はじめ)が、どこか痒いところでもあるのかもぞもぞと動いていた。


「よう、仁」

「正嗣さん、瞳さん。何でここに?」

「今日休みだからさ、買い物ついでに出てきて、折角だからおじさんのコーヒーでも飲もうと思って」

「へえ」

「おっと元、どうした? 仁兄ちゃんのところに行きたいのか」


 元は僕の顔を見るとニンマリと笑って両手を伸ばしてきた。僕は元をベビーカーから出して抱きかかえた。


 まだ片手で数えられる程度しか会ったことはないのに、何故かすごい懐かれている。


「よーし、おいで」


「何が良いんだかね」


「波長でも合うのかな」


「まさか、本当は仁の子か」


「ええ、そうなの…実はあなたが出張中に」


「子どもの前で、性質の悪い冗談はやめてください」


「そうね。キスまでだったものね」


「やめろっつうの」


 二人は互い互いに実にノリが良いというか、軽口が好きなのでこっちが気疲れする事が多い。特に瞳さんは正嗣さんと結婚した時からの付き合いなので、初めて会ってからまだ二年も経っていない。毎日顔を合わせるならいざ知らず、時たま会うくらいの親戚にここまで打ち解けられるのは凄いと思う。


「で、仁は上で何してたの?」

「別に用事があった訳じゃないけど。父さんの持ってる書斎の本を見せてもらってた」

「へえ。本好きも遺伝するんだね」

「なら元にはきっとサバゲー好きが遺伝するな」

「かもねー」


 瞳さんは元のぽっぺたを指でフニフニと押した。


「今のウチから色々と仕込んでおく」

「色々と頑張れよ、元」

「あ、そう言えばさ、今話してたんだけど仁の名前の話ってどうなったの?」

「今考えてるところ」

「じゃあ候補は揃ったんだ」

「まあね」

「どんな名前?」


 父の手前、母さんたちが考えた名前まで言うのは少々憚られたが、今更のことでもあるし、そんなことを気にするような人でない事も知っているので、担任の考案した名前と、垣さんの結果待ちの旨を全てひっくるめて話した。


「案外普通の名前だね」

「そりゃそうでしょ。どんなの期待してたんですか」

「これだっっていうような名前が来るのかと思ってた」

「所詮は名前ですからね」

「オジサンは考えてないの? 仁の新名」

「考えてないよ。考えたって候補の中には入らないし」

「そうなの?」

「そうだよ」


 父はあっけらかんと答えたが、僕はやはり心に小さなトゲが刺さったくらいの罪悪感に似た感情があった。


「…はい。担任と公認命名士と、あとは保護者の三組が考えることになってるんで」

「そっかー」

「けど、俺はダメでも正嗣たちの話なら参考になるんじゃないか。なんせ、つい最近名前を考えたばかりの二人だ」

「そうだな。何でも聞いてよ」

「と言われても…元の名前の由来くらいしか」


 僕は抱いている元の顔を見た。


「俺たちは前々からリストみたいなの作って置いたんだよな」

「うん。男の子と女の子の名前をそれぞれ三つ四つ考えてて、生まれたら改めて決めようかって話してたの」

「元は、男の子なら何はさておきまず元気が必要だって思って考えたんだ」

「辞書引いてみたら、他にも大きいとか良いモノとかいう意味もあるって書いてあったから、元に決めたんだ。一週間くらい迷ったけどね」

「まあ、その前に一悶着あったんだけど」

「一悶着?」


 意味深な発言に僕は食い付いた。


「実はさ、生まれた時の赤ちゃんの顔見たらすっごい可愛くて、何を血迷ったか『愛生人』でラヴィットって名前を付けるところだったんだよ」

「…え?」


 またいつもの様な冗談かと思った。思いたかった。けれども二人の顔は決して冗談でないと言っている。

 正嗣さんは自虐的な笑いを挟んで続ける。


「え? ってなるのはよく分かるんだけど、あの時のテンションは本当におかしかったんだ。子供が生まれるっていうのはマジで凄いよ。色々な事が頭に巡って結局おかしくなるんだって」

「で、愛に生きる人になってほしいって意味でラヴィットになるところだったの。前もってここから選ぶ用のリスト作ってなかったら、マジでヤバかった。正嗣と二人してよく分からなくなっちゃってね。お酒飲んで酔っ払ってるのと似てたかも」

「だな」


 二人はしみじみと、そして深々としたため息をついた。


「忠告しておくけどね、仁。出産ハイって多かれ少なかれ絶対あるよ。子供が生まれるって良くも悪くも人を変えるから」

「…気を付けます」

「ま、仁はもうちょっと先の話だろうけどな」

「高校生でしょ。彼女の一人くらいいないの?」


 そう聞いてくる二人の顔はいつも通りの、ちょっと悪ふざけの過ぎる親戚のお兄さんとお姉さんだった。


「残念ながら」


 事実、何もないのでそう答えた。

 けれども元をベビーカーに戻している最中に、父が不敵に笑い始めた。


「ふふふ。けれど俺の息子も捨てたもんじゃないんだぜ?」

「どういう事?」


 その場にいた僕以外の目が輝き出した。


 父が僕と若山さんとの事を、嘘ではないが真実でもない脚色を加えて針小棒大に言うものだから、新名の話題よりも更に質問責めに遭った。大人たちがわいわいと喧騒に興じるのに反し、元は心地よさそうに寝てしまった。


 気が付けば外は暗くなってしまっていた。いい加減、僕もげんなりしてしまったので、適当な理由をでっち上げて退散することにした。


 外は寒かった。今まで暖かいところにいたから尚更骨身に染みる思いがした。


 時間を見ようとポケットからスマートフォンを取り出した。画面には母からのメールが届いている事を知らせる一文があった。内容は単純明快に二言だけだった。


『いつまで遊んでいるの』と『話があるから早く帰ってきなさい』

 

 返事をしないと後々面倒になるかと直感し、今から帰るとだけ送っておいた。


 話とは何なのかは知らないが、少なくともほんの数分前までの疎ましくも和気藹々としたものでないことは簡単に予想できた。


 心は寒くなった。今まで暖かいところにいたから尚更骨身に染みる思いがした。

読んでいただきありがとうざいます。


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