初恋の人と、そして従兄との会話2
昨日投稿できなかった分もあげてしまいます。
「で? 本当に彼女じゃないのか?」
「違うって。本当にただのクラスメイト。小学校の時も一緒だったから、少し仲が良いだけだよ。まあ、実は初恋の人でもあるんだけど」
僕はつい余計な事を吐露した。
「ほら見ろ。少しは男気を見せておいて正解だったじゃないか」
「四八〇円の男気なんてなんの意味もないし、初恋だったとしても今も恋してるとは限らないだろ」
「ふうん。じゃあ今好きな人は別なんだな」
「まあね。少し前まで憧れてた人はもう手遅れだし、今憧れてる人は太平洋が隔てることになるんだけど」
「なんだそりゃ」
「とにかく若山さんとは別に何でもないよ。本当に偶然そこで会っただけ。美味しいコーヒーを出す店があるって言われて付いてきたけど、まさかココだとは思わなかった」
「ふふふ」
父は不敵に笑った。
「何さ?」
「いや、順調に店の知名度が上がってきてると思ってな。思わずにやけちまった」
「アホくさ」
「で、どうする? 帰るか?」
「いや。折角だからもう少しいるよ。新商品Xおかわりで」
「はいよ」
「父さんさ、名前が呪いって聞いてピンとくる?」
コーヒーを注ぐためにカウンターの向こう側に行った父に、僕は唐突に質問をした。てっきり戸惑って返して来るかと思ったが、冷静な声が返ってきた。
「何だ? 陰陽師にでもハマったか?」
「え? 陰陽師?」
「違うのか? そういう話かと思ったんだけど」
「少し詳しく」
父はどっちだよ、と鼻で笑った。
新しいカップに新商品Xを入れて持ってきてくれた。カップが二つあったので、腰を据えて話してくれるようだった。
「どういうつもりで聞いたのかは知らないけど、名前が呪いってのは陰陽師みたいな話だなと、そう思ったんだよ」
「陰陽師って、阿倍晴明とかのこと? それ以外知らないけど」
「俺も、あとは蘆屋道満くらいしか知らないな」
「で、どういうこと? まあ、陰陽師が呪いを掛けるってのは分かるけど」
「呪いと言うか正確には『シュ』というらしいけどな」
「シュ?」
「ああ。呪いの一文字書いてシュって読む」
「ん? ジュじゃないの?」
「呉音ってヤツだな。待ってろ」
父はすぐ横にあった本棚から漢和辞典を取り出して調べ始めた。なぜ喫茶店の本棚からすぐに漢和辞典がすぐさま出てくるのかは、この際触れないでおくことにした。
「ほら」
見れば『呪』という漢字の読み方や成り立ちや書き順の他、その字を使った熟語などが羅列されている。
「本当だ。シュとも読むんだ。で、ノロイとシュとは違うの?」
「そこがややこしいんだけどな。ノロイが全体ならシュはその一部って事になるのかな? じゃあシュというのが一体何なのかと聞かれるとつまり―――それが持っている意味のことだと俺は思うな」
「意味?」
「そう。今開いている漢和辞典は漢字一文字ずつの意味が書いてあるだろう。例えば、今となりのページに『和』って文字があってその意味やら成り立ちやらが書いてある」
それを確かめようと目を移す前に、父は素早く漢和辞典を引っ込めた。
「じゃあ仁。『和』って文字の持っている意味を言ってみろ」
「ええと――平和の和だから、落ち着くとか優しいとか…あとは日本そのものの事? 和風って書くし。他には、ナゴむとヤワらぐって読むから柔らかいみたいな意味があったりするのかな」
「ふむ、概ね合っているな。後は調子を合わせるとか、足し算の答えって意味も持っている」
「あ、そうか」
答え合わせのように再び漢和辞典を僕の前に差し出してきた。概ねは想像通りだった。
「とまあ、今仁が並べたように『和』という文字には色々な意味が詰まっている。知っているものもあっただろうけど、平和の和みたいに熟語から連鎖的に意味を想像したりもした。これがつまりはシュというヤツだ。だから和って文字が入っている熟語なら何となく和やかに感じるし、名前に入っていたら和らぐ印象を与えやすい。ただの人間に和やかな性質を植え付ける訳だな。だから意味そのものがシュであり、和の文字を使って名前を付けることがノロイって事になる」
「けど、和の文字が付いていても和やかな人間になるとは限らないじゃないか」
「そりゃあそうだ。けど意味があるってことに意味がある。こうやって今二人で会話ができるのも、言葉の意味が分かればこそだ」
「そりゃあ、ね」
「つまりシュには他人との疎通や共有ができるって性質もある訳だ。名前がついているからこそ仁の一言で済むけれど、もしなかったとしたら三年とちょっと前に粋なコーヒーショップをオープンさせたダンディーなマスターの別れた女房との間にできた息子の君よ、と呼ばなきゃならない」
「そんな似非寿限無みたいな呼ばれ方は嫌だよ。それに言いたいことも分かった。そもそもコーヒーショップやマスター何て単語も意味が無くなってる訳でしょ、文字通り」
「そういうこったな。コーヒーショップのマスターってのも、またシュなんだから。肩書きがシュになる例は、例えば警察官とかは分かり易いんじゃないか?」
「警察官?」
「たまたま殺人現場に出くわしたとして、俺だったら逃げるか精々警察に通報するのが関の山だが、もしも警察官だったらそうは行かないだろう。犯人が逃げるんだったら追いかけたり、証拠を隠滅されないようにしたり、場合によっては逮捕しようと奔走するだろう。それこそが警察官の警察官たる意味である訳で、タダの人間に警察官というシュが掛かっている状態だ」
ここまで父の話を聞いて、垣さんとの会話を思い出していた。確かに重なる部分がある。僕は無意識に反芻した記憶の中にあった言葉を口にしていた。
「印象やイメージによって人の行動が制限される」
「お? 良い具合にまとめたな。警察官なら警察官らしく動かなきゃと思うだろうし、警察官ってのはそうであってほしいという思いもある。けれども、警察官全員が勤勉で勇気があるとも限らないし、犯人を捕まえられたからと言ってその人が警察官になれる訳じゃない。シュにはさっき言った通り共有性もあるから、他人が警察官と認めなければ通用しないし、そもそも自分にだって警察官だという自覚が必要だ。警察官が一体どんなものでどういう意味があるのか、それを共有させるには――やっぱり教えるか育てるかしないといけないだろうな」
「大切なのは名前じゃなくて、それぞれの意識の育て方ってことか」
育て方、という単語にまた僕の中の記憶が反応する。
「まあな。意識っていうのは良い言葉かも知れん。『ケイサツカン』って音の響きだけじゃ実際にはなにも機能しない。それにシュが掛かってこそ、捜査権やら逮捕権やら市民の平和を守る責任を持っていると意識する。意識するからこそ警察官らしく振舞う――さっきの仁の言葉を借りるなら行動が制限されるんだな」
「その意識を育てるためにはさ、どうしなきゃいけないんだろう?」
「そりゃあやっぱり、教えていかなきゃいけないだろうな。親や先生に限らず本人の感性によるところもあるだろうけど、やっぱり最初は誰だって分からないんだから、正しく呪いをかけていかなきゃ」
「何か引っかかる言い方だね」
「面白くていいじゃないか」
父はそれは愉快そうに笑顔になった。
「因みにさ、親や先生だって人間なんだから間違ったり、嫌気がさしたりすることだってあり得るだろ?」
「まあ人間だからな。」
「どうすればいいと思う?」
「難しいなあ。教える側の根気か、忍耐か。知識や常識だって必要だろうし、そもそも教えたい教わりたいって思う本人たちのやる気もあるだろうしな―――でも」
「でも?」
「育つ育てると色々考えるけど、結局全部を上手い事まとめて言えば――それを教える奴の、子どもに対してだったら親の愛情、とかになるのかね。ま、俺の言えた義理じゃないか」
愛という言葉が出てきた途端、僕は吹き出した。まるでこの今まで聞いてきた色々な人達との会話のダイジェスト版になっているのが面白かった。けれども父さんは、らしくないことを笑われたのかと勘違いしているようだった。少しすねたように言われた。
「笑う事はないだろう」
「いや、ごめん。なんだか誰かに操られているような気がして」
「なんだそりゃ」
「けどさ、何でそんなことを色々知ってるの?」
「コーヒーショップのマスターなら博識な方がいいだろう? これもノロイだよ…というのは冗談として、まあ好きだったんだよなこういう話が。仕事が忙しくても本を読むのだけは止められなかった。だから愛想尽かされて別れちまったのかな」
「程々にしておけばいいものを」
「好きなものっては止まらないんだよ。知ってるだろ」
僕は同意した。
母がどう思っているのかは分からないが、少なくとも僕は父をこういうところに失望したことはない。
会話の合間に二人ともコーヒーを啜った。飲んだ後につくため息の仕方が自分でも父にそっくりで驚いて、漏れるような笑いが出た。
「ねえ、個性って生きて行くのに必要なものなのかな」
僕は唐突に、前振りもなく聞いた。
父は別段、驚くことも不思議そうな顔をすることもなく真剣な眼差しで僕を見た。
「仁、今高校二年だっけか?」
「え? うん」
こう答えた途端、父はクツクツとさぞかし愉快そうに笑った。
「何で笑うのさ」
「悪いなぁ。お前は俺の息子みたいだ」
「は?」
「ちょっと、こっちへついて来い」
読んでいただきありがとうざいます。
感想、評価、ブックマークなどしてもらえると嬉しいです!




