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不満足名称  作者: 音喜多子平
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後輩と、そして先輩との会話

将棋についてはにわかです(予防線)。

 どうせ明日と同じような平凡な授業が終わった。


 黒板を板書し、問題を解き、昼休みを終えると午前の出来事を再生するかのような時間を過ごした。


 変わった事と言えば、クラスの担任が突如体調不良で早退し、代わりに来た教師の話が延々と長く、最後のホームルームの時間がいつもの倍以上になった事くらいだった。


 けれども、昨日までとは違い今日は冬休みが明けてから初めての部活がある日だった。

僕の在籍するこの高校の将棋部は、名のある大会に出るような実力者がいる訳でもないし、三度の飯より将棋を指すのが好きだというような愛好家が揃っている事もない。そもそも六畳半の部室に集うのは僕を含めても二人しかいない。四人が在籍していなければ廃部になってしまうため、友達に名前だけ貸してもらい細々と息をしている、そんな弱小以下の部活である。


 しかしながら、各学年に必ず一人は物好きがいるようで、年々一人が卒業し、一人が引退し、一人が進級と共に名誉無き部長になり、新入生が一人入部してくるという流れが奇跡的に続いている。そしていつしか、新部長が名前を貸してれる幽霊部員を探して来るのが、習わしになってしまったらしい。

去年、つまりは僕が一年だった頃の世代はその伝統に少し例外があった。三年生の先輩がとうとう卒業するまで部室に入りびたり、二年の先輩が成績不振の為、親に強制的に塾に入れさせられてしまい、滅多に顔を見せなくなっていた。


 その時の三年だった先輩は古川先輩と言って、僕と同じく名前の変わるコースに入学していた人だった。色々と部室で話すことはあったが、お互いに名前が変わる事についての話題は口にしなかった。僕は母親に半ば無理やりに入学させられたことを口外したくはなかったし、古川先輩もついぞ名前に関しての話題を持ち出すことはなかった。


 ゴムなのか樹脂なのか分からないグランドは雪が解けた跡が点々と水たまりになって残っていた。そのグランドを囲んでいるフェンスを回り込み進む。その先の卒業しても名前の変わることのない、本当の意味での普通科クラスの校舎裏に部室棟がある。


 部室棟は山の斜面を均した場所に三階段になって立っている。上に登った先は草木がうっそうと茂る林になっており、段々の最上にある我が将棋部のある部室棟の屋根の上には山の木々の枝葉が伸びてきている。夏場はそれが日陰になっていくらか涼しくなるのだが、この時期は逆に日光を遮ってしまい熱と光が届かない。


 二段目の部室棟の脇には、普通科クラス用の購買部がある。僕はそこで小腹に入れるための菓子パンを一つ買った。


 部室棟の部屋の大半は物置と化している。運動部は精々が更衣室代わりとして使い、文化部であっても校舎から遠く何かと不便な部室棟を使うよりも使用許可を取って一般教室を使うところがほとんどだった。


 二階建ての部室棟には一棟につき、上下五つずつ合わせて十個の部室がある。目指すC棟からは将棋部を含め、登山部の部屋にしか明かりがついていなかった。この辺りは化粧崩れした雪が残っている。


「お疲れ。ごめん遅れた」


 カラリと、引き戸を引いて中に入る。普段から使っている分、将棋部室は他所の部屋に比べれば片付いている。将棋盤くらいしか特別な器具を必要としないので、当然と言えば当然だ。本棚には将棋に関する書籍が殆どだが、関係のない漫画や雑誌の類もある。中には僕が生まれる前に刊行されたものもあるので、貴重な文献と言えなくもない。


 近所の酒屋から調達してきた瓶ビールのP箱を土台に柔道場のお古の畳を置き、その上にゴザを敷いた手製の座敷には、僕を除けば唯一の現役部員にして後輩の長田凛(おさだり)()が胡坐をかき、プリントを見て悩んでいた。

部屋の中は思ったよりも暖かかった。ストーブを付けてから大分時間が経っているようだ。


「お疲れ様です。全然大丈夫っすよ」


 そう執着のない返事が返ってきて一安心する。長田くんはかなり飄々とした人間だ。僕も他人の事を言えるほどではないが、彼はあまり表情を動かさず、のらりくらりとしている。かと言って遅鈍という事でもない。時折大人びて見えたかと思えば、子どもっぽい言動をすることもあり、身近な人間の中では特に掴み所がない。


「さてと、冬休み前の続きする?」

「すみません、先にプリント書いちゃっていいですか?」

「何の?」


 どこから持ってきたかも知れない使い古しの教室机にカバンと上着を置いた。

 長田くんは指でペンを回しながら答えた。


「二年の選択授業と進路希望っす」


 そう言えばそんなものもあったなと、去年の今時分の自分の事を思い出す。それならば、じきに長田くんも改名に向けてあれこれと彼是と考え始めることだろう。彼も僕と同じく改名するコースの生徒であった。


「いいよ。並べとくから」

「うす」


 そう言って座敷に将棋盤を置き、スマートフォンに撮影した冬休み前の盤面通りに駒を並べ始めた。

そこで微かな香水のような香りが鼻をかすめた。


「あれ? 何か良い匂いがしない?」

「…ちょっと引きました」


 見れば言う通り、長田くんは引きつった目をこちらに寄越していた。


「何でだよ」

「いや、残り香で誰か来てたか分かるって、引かないっすか」

「そう言っても仕方がないだろ。ていうか誰か来てたの?」

「はい。女の人が」

「先生?」


 今の将棋部に出入りする女性など、顧問の竹森先生しか思い浮かばない。それも年に一度あるかないかの頻度のはずだった。


 長田くんはすぐに否定した。


「いや、ここのOGって言ってましたよ。古川さんだったかな」

「古川先輩か」


 意外な人物の名前に驚いた。卒業生が部室に訪ねてくるなど今まで経験がない。


「はい。乙川先輩に会いに来たって言ってましたけど、来るのが遅いんで先生たちに会ってくるって出て行きました」

「何だろ? 指しに来たのかな?」

「人を?」


 包丁か短刀を腹に突き刺すような仕草をした。時たまこういう冗談染みた事を表情のない顔をしながら言うから戸惑う。


「将棋に決まってるでしょ」

「本当に将棋部だったんですね、あの人。何かイメージが違う」

「ああ、それは分かる。僕が一年で入った時も同じこと思った」

「日曜日には必ずケーキ焼いてそうなイメージです」

「ナニその分かるようで、分からない感想。でも正直、一年の時は結構ウキウキしながら部活してたな」


 去年までの部活の事を思い出す。仮にも男子高校生であるし、顔立ちの整っている女子の先輩と二人きりで部室に居れば、胸高鳴るのも仕方ない。とは言っても、一年の後半は何度指しても一勝もあげられないまま辛酸を舐めるのに忙しく、気もそぞろな事など考えもしなかった。


「あれ? ひょっとして今見たく二人きりで指してたんですか?」

「まあね。里村先輩は全然来なくなってたし」

「うわー」


 そう言って長田くんは、先ほど以上にこちらを貶めるように見てきた。


「何さ」

「美人の先輩と二人きりで将棋指すとかないわー」

「めちゃくちゃ強いけどね、あの人」

「そうなんですか?」


 へえ、と意外そうな声を上げた。確かに古川先輩は、どう見たって将棋を指すのが何よりも好きというような風貌には見えないので無理もないと思った。


「先輩、休み前の対局とかどうでもいいんで、戻ってきたらあの人と対局させてくださいよ」

「結構ひどい奴だね、長田君」

「いいじゃないっすか、乙川先輩とはいつでもできるんすから」

「ま、いいんじゃない。やってみれば」

「やべ、さっさと終わらしとこ」

「適当に書くなよ」


 生返事と共に、長田くんは二の足を踏みながらのペンを走らせた。僕は僕で、菓子パンを齧りつつ、雑誌を見たりスマートフォンをいじったり詰め将棋をしながら時間を潰した。

読んでいただきありがとうざいます。


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