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戦艦越後物語  作者: 陸奥
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第一章 第二節・『陸奥湾へ』

 幾つもの舷梯を上がってくる足音が聞こえる。『越後』は今、幹部全員が舷梯付近に集合し臨検隊を待っていた。

「総員、敬礼!」

 臨検隊の指揮官と思われる青年士官が舷側の影から姿を表すのとほぼ同時に楓は号令をかけ、一斉に出迎えた士官達が敬礼する。相手もすばやく答礼した。

(……やはり訓練された兵隊さんは動きが違うな、っといけないいけない。今は目先のことに集中しないと)

 そんなことを楓が考えている内に、臨検隊指揮官が名乗りをあげる。

「大日本帝国海軍巡洋艦『多摩』より、貴艦の臨検に派遣された海軍中尉、宇野智也であります。さっそくですが貴艦は何処の海軍所属でしょうか?見たところ我が方の艦艇のようですが軍艦旗もあがっておりませんし、外人や女の姿が多数見受けられて……艦長はどちらにおられますか?」

 大佐の階級章をつけている楓を無視して、隣の早川中佐に尋ねる宇野中尉に楓は少しムッとした。見かけだけとはいえ、やはり無視されるというのは気持ちのいいことではない。

「暫定的な艦長は、隣におられる天霧楓大佐だ」

 その返答にまた楓とは反対の方向を見る宇野中尉だったが、顔が引きつっているように見えるのは気のせいだろうか?

「……冗談ですよね、中佐?」

 反対だと早川中佐に指摘されやっと楓の方を向く中尉、しかしその顔からは否定してくれという願いがひしひしと感じられる。

「こんな時に冗談を言うとでも?」

「……」

「……」

 黙り込む双方。空気がだんだんと重たくなっていく中で状況を打開すべく、楓は口を開く。誰でもこの沈黙は嫌だろう。

「えぇ、と……とりあえず挨拶を。戦艦『越後』臨時指揮官、海軍大佐天霧楓です。よろしく」

「……失礼いたしました、巡洋艦『多摩』より臨検のため参りました海軍中尉宇野智也であります。乗艦許可を求めます」

「乗艦を許可します。……それで先ほどの貴官の質問ですが本艦は、言ってしまえばどこの所属でもありません。乗員も他艦からの寄せ集めで正規の乗組員は一人もいませんでした。それと何故外人や女性が多数乗艦しているかですが……元々我々は別々の艦に乗っていて気付いたらここにいた、という者達ばかりですので、詳しくは知りません」

(俺は違うけどな、何でこの身体になってしまったんだろう……)

 楓は自身の境遇に疑問を抱きながらも、中尉の質問に現在分かっている範囲で答える。

 しばらく考え込むように黙っていた中尉だったが、やがて口を開いた。しかし……、

「……納得はいきませんがわかりました、しかしながら我が軍は女性の乗艦は原則として禁じられております。ですから、速やかな女性乗員の退艦を求めます」

 女性の姿をしているからか、完全に自分を見下している中尉の態度に軽く楓は目の前の男に殴りかかりたい衝動に駆られるがその気持ちはなんとか抑えて答えを返す。そもそも外見年齢はともかく実年齢からして相手の方が上だ。

「……申し訳ありませんが中尉、それはちと出来かねますね」

 楓の一言が何故か意外だったようだ、中尉は酷く驚いた顔をしている。

「何故です?」

「まず一つめ、どこに降ろすんです。本艦の女性が占める割合は約5400人いる内の1/4に達します。中尉の軽巡『多摩』に載せますか?それではまた同じ事の繰り返しですしあの艦には載せきれないでしょう。二つめ、共に同じ艦に乗っていたという男性乗組員もいることからそれらから反発が起こりこの問題がこじれる可能性がある。そして最後、貴官よりも上級の将校が多数いるにもかかわらず退艦させられる権限を貴官が持っているのかどうか疑わしい。以上の三つの理由です」

「し、しかしですね!」

(おいおい……まだ食い下がる気か?)

 自身の主張が明らかに矛盾しているにもかかわらず食い下がろうとする……むしろ自分の、子供でも言えるような反論に対して何も言い返せない中尉に若干呆れながらも、楓は中尉とのもはや意味のないやり取りに応対した。



「……何、軍令部からの連絡だと?」

 存外に早い軍令部の対応に、新美大佐は少々戸惑い気味に問い返した。

 近々指示が来るだろうとは思ってはいたものの流石にここまで早い対応は少々予想していなかったのだ。

「はい、不審艦二隻を陸奥湾へ移動させそちらで詳しく調べる、との通達です」

「いつになく対応が早いな、今回は。……よしわかった、派遣中の宇野中尉達へ通達。〔臨検隊ハ即刻帰還セヨ〕、だ。同時に目標艦に通達しろ、〔貴艦ハ陸奥湾ヘ移動スベシ、同湾マデハ本艦、及ビ水雷艇ガ同行ス、航行中ニ僅カデモ不審ナ行動ガ見ラレシ場合、即座ニ攻撃スルモノト心得ラレタシ〕、と警告しておけ。ああ、それと特型駆逐艦の調査に向かっている『鷺』と『鳩』にも連絡を入れろ、〔特型駆逐艦ヲ護衛、曳航シツツ本艦ト共ニコレヨリ陸奥湾ニ向カウベシ〕、とな」

 もっとも、奴が撃ってきたら我々は成す術なく撃破されるだろうが―――と、新美大佐は胸の内で呟いた。


 まだ中尉と言い争っている楓たち、だんだんと議論が一方的に加熱していっているがそれに冷水をかけるように、伝令から通信が入ったことが伝えられる。

「軽巡『多摩』より、信号!宛、臨検隊〔臨検隊ハ即刻帰還セヨ〕です。また本艦宛にも信号が……宛、『越後』〔貴艦ハ陸奥湾ヘ移動スベシ、同湾マデハ本艦、及ビ水雷艇ガ同行ス、航行中ニ僅カデモ不審ナ行動ガ見ラレシ場合、即座ニ攻撃スルモノト心得ラレタシ〕、です」

(なるほど……ふぅ、これでこの少尉とはおさらばだな)

 内心で楓は安堵の溜息をつく。例え中身高校生であったとしても、この中尉との言い争いは本当に疲れるものであるらしい。

「……命令なので仕方がありませんが、このあとにどうなっても知りませんよ」

「お前はそれが出来るほどの権力を持ってんのかよ……」

 中尉の捨て台詞についつい本音というか、翔の地が出てしまうが、本人は気付いていないようだ。

「……くッ!」

 顔を悔しげに歪めながら荒々しく舷梯を降りていく中尉、何様のつもりなのだろうか……。

 そして、中尉が見えなくなったあと、楓がふと周りを見回すと周りの乗員達が驚いた様子で自分の方を向いている。

(あれ、何かまずいこと言った……?)

 自分が注目されている原因がわからずに、楓はキョロキョロと周りを見てしまう。

「……大佐、今の大佐が仰ったのですか?」

(早川中佐、あなたは何を当たり前のことを尋ねるんだ)

「そうですが、何か失言でもありましたか?」

「いえ、先ほどから丁寧な言葉しか喋っていなかったので元から丁寧に話す方なのかと思っていまして……」

 そう早川中佐に指摘され、初めてさっきの自分の発言に気づく楓。今まで意識して敬語を話していたために、気を少し抜いた瞬間についうっかりと口調を直すことを忘れてしまったのだ。

「はぁ……。いえ、さっきのが地です。皆さんの前では敬語で喋るようにしていたのですが」

「そういうことですか、なら地のままで良いですよ。我々全員、大佐より下の階級ですからね」

「あー……、それはまだ少し抵抗がありますし、しばらくはこのままでいかせてもらいます」

「別に我々は構わないんですがねえ」

 いつかは地で話せるような関係になりたいとは思ってはいるものの、とりあえず今はこの問題が長引くことを好ましく思わなかった楓は素早く思考を切り替えることにする。

 陸奥湾へ行くとしてもまずは機関が動かなければ艦は動くに動けない。当たり前の結論に至った楓は機関科の士官を呼び出す事にした。

「機関科関係での最上級の士官は?」

「あぁ、はい。私です!」

 手を挙げながら一人の士官が前に出てくる。まだ若く見える活発な雰囲気の女性だ、楓はその女性が先ほど言っていた自己紹介を思い出して彼女の名前を呼ぶ。

「確か、貴官は草薙……三佐でしたね。あなたにはこれから機関を動かすため機関室での総指揮を執ってもらいます。よろしいですね?」

「了解です、大佐……あぁそれと、言いにくいのなら少佐で構いませんよ?」

「わかりました、では少佐と呼ばせていただくことにしましょう。次に……下士官、水兵の中で機関科関係の兵はここへ!」

『はいっ!』

 少し大きめの声で呼ぶと400名余りの兵士が前へ出てきた。

「あなた方にはこれから本艦の機関を稼働させるため機関部の調査をしてもらいます。あなた方の総指揮はこの……」

 そう言って楓は草薙少佐を前に出し

「草薙少佐が執ります。何か質問は?」

『ありません!』

 大きく威勢のいい声で兵達は返事を返す。

「よろしい。では……かかれ!」

「機関科、行くよ!」

『はい!』

 号令を出すと遥香が元気よく兵を引き連れ艦内に入っていった。機関は草薙少佐達に任せて、楓は次の指示を出すことにする。

「次、航海科関係の兵、前へ集合!」

『はっ!』

「横川少佐、確か貴官が艦内で航海科の最先任でしたね?貴官は直ちに航海科関係の人員を纏め、機関始動後速やかに出航できるよう準備をお願いします」

「了解です!よし、航海科の諸君は俺についてきてくれ!」

 横川少佐も大きくよく通る声で兵を率いて艦内へと入っていく。

(……残った兵達にも指示出さないといけないよなぁ)

 そう思った楓は残りの兵にも指示を出す事にする。

「残った各科の最上級の士官は関連の兵を纏め、艦内の各科の配置場所を探してください!私は各所を回って艦の資料や機密書類がないか調べてきます」

 残りの人員に適当な指示を出して、楓は艦内へと入っていった。


 機関室では草薙少佐以下の機関科兵が機関の始動を試みていたが、どうにも艦本式タービン機関とは別物のようでなかなか動かせずにいた。実は『越後』の機関はこの時代ではまだ不安定な代物のディーゼル機関だったのだ。

 この機関を見たときの帝国海軍将兵の第一印象はとにかく『奇妙』の一言に尽きるだろう。

 『越後』に搭載されているエンジンは、ディーゼル発電機で発電した電力を蓄電池に貯蔵、その電力をもって推進軸につながる電動機(モーター)を動かしたり、艦内に電力を供給したりするのだ。もちろん未来の海上自衛隊に所属していた者や技術者達のごく少数は扱い方がある程度わかってはいたが、人数も十分ではなく、この機関が自分の知っているそれと同じものだとしても今の海自にこの機関はない。となるとこの機関の動かし方ももうあやふやだったりするわけで……。

 と、科員達が途方に暮れているその時、機関室の倉庫で資料を漁っていた草薙少佐が戻ってきた。

「あっ、草薙少佐!申し訳ありません、どうにも我々が知っている機関とは根本的に違っているようで、どうにも動かせずにいまして……」

「あぁ、それならもう大丈夫。いくつか倉庫を漁っていたら、機関の仕様が記されている書類を見つけたわ」

 脇に抱えていた書類は機関の教範、操式、機構説明書、速力対推進軸回転数表など、機関運転に必要なマニュアル類などであり、詳細な操作方法、機構説明、回転数ごとの速力などが記されていた。

 推進方式はディーゼル・エレクトリック方式という大半の機関科員には聞き慣れない名前だったが、遥香を含む海自の面々は知っていた。遥香の場合は『越後』にくる以前、海上自衛隊に入隊する前の水産学校での実習に乗り込んだタンカーがこの方式とほぼ同じものを搭載していたし、海自の潜水艦や海洋観測艦『にちなん』はこの推進方式だ。

 書類を見たところ、『越後』の推進軸は6軸、舵は主舵並列3枚、軸あたりの馬力は7万馬力、すべて合わせると42万馬力という膨大なものだということが判明。この書類などを参考にして機関科員は着々と機関を動かすための準備を進めていく。

 そして……、

「報告します少佐、始動準備、電源供給準備共に完了しました!」

「了解、機関制御室より艦橋!機関始動準備、及び電源供給用意よし!」

 準備完了の報告を受けて遥香は制御室から艦橋に艦内電話を通じて完了の報告を入れる。

『艦橋了解、電源供給開始せよ!』

「機関制御室了解、バッテリー残量を確認」

「残量9/10、バッテリー残量良し!」

「電源供給開始!」

「電源供給開始、了解!」

 制御室での操作の後、『越後』の艦内に次々と灯りがともっていく。

『艦橋より機関室、電源供給確認。機関始動せよ!』

「機関始動、秒読み開始!」

「9…8…7…6…5…機関、始動始め!」

「機関始動!」

 機関始動の命令が下り遥香は機関科員に機関の始動を命ずる。

 すると、少しの間をおいてディーゼルのお世辞にも静かとは言えない大きな駆動音がなり始めた。そのままある程度の回転数まで達したところで発電機はそのまま定速回転の状態を保ち、その機関にとって燃費がもっともいい状態で発電を続ける。このディーゼル・エレクトリック方式の最大の利点は速度によって燃料の燃焼量が左右されないため、燃費が非常に良いということだ。

 先ほども述べたとおり、『越後』ではディーゼル機関で発電された電力は一度、蓄電池に蓄えられそこから艦内各部に送電される構造になっている。

「機関始動完了、現在のところ動作に異常は確認できず!」

 機関科員が異常がないことを機関科員が報告し、それを受け遙香は再度艦橋へ報告を入れる。

「機関制御室より艦橋!機関始動、異常なし!燃焼、発電開始しました」

『艦橋了解、別命あるまで待機せよ』

「機関制御室、了解。……お疲れ様、別命あるまで待機だそうよ」

 艦内電話を壁に戻し遥香は科員に待機の命令を伝える。

 その言葉に機関員達は、油一つ付いてない真新しい部屋に戸惑いながら腰を下ろしていった。



 一方その頃、倉庫や金庫で資料を漁っていた楓は、艦長室で『越後』の詳細な図面多数を見つけていた。


「……成る程なぁ、自分の艦体(からだ)ながら結構でかいな。『大和』以上の戦闘力に、常用、予備合わせて約60機を搭載可能な『隼鷹』型改造空母、いや実際には『蒼龍』型正規空母並みの航空機運用能力、か。うまく使えば結構な戦力になれそうだけど……」

 それは楓自身が最前線へ行くことを意味している。正直、普通の高校生であった楓には例え夢の中であっても遠慮願いたい話だ。

「まっ、そのときゃその時だ……」

 その時、艦内放送が全艦に響き渡った。

『天霧大佐、機関の燃焼を開始しましたので艦橋への移動をお願いします』

「了解、これより艦橋へ向かいますっと……迷子の呼び出し放送みたいでなんか恥ずかしいな」

 まあ学校やスーパーの業務連絡みたいなものだな、と考えながら、機関の始動が予想よりも早かったことに幾分か驚きつつも楓は部屋を出て艦橋へ向かった。


 やがて全ての出航準備が整ったことを確認し、通信兵へ信号を伝えるよう命令する。

「軽巡『多摩』へ信号!〔我、発進準備整ウ〕!」

「軽巡『多摩』へ信号、〔我、発進準備整ウ〕、了解!」

「『多摩』より返電!〔本艦ニ続ケ〕、とのことです!」

 微速航行を続けていた『多摩』が速度を上げながら『越後』を先導しようと艦の右前方へ出た。『多摩』の主砲は砲手達がいつでも発射できるよう『越後』に向けており、警戒は解いていない。当たり前のことではあるが。

 楓は何とか頭の中から知識をひねり出して有線を通じて操舵室と機関室に指示を与える。

「……了解、艦橋より機関室。速力対回転数などは大丈夫ですか?」

 艦艇などは、スクリューの回転数などで速力を割り出すため、速力ごとの回転数は非常に重要なのだ……と、楓はどこかで聞いたことがある。そのため、出港の用意が整ったということはおそらくそれらの諸問題も解決しているのだろうと目星はつくが、念のため確認しておくことにしたのだ。

『機関制御室より艦橋、速力対推進軸回転数表なども発見されましたので、断言はできませんがおそらく問題ないと思われます』

「かんちょ……艦橋了解。艦橋より機関室及び操舵室、『越後』発進、両舷前進最微速」

 機関室からの報告に艦長了解と言いそうになってしまうが、今はただ臨時に指揮を預かっている最先任なだけであるため艦橋了解と言い直す。

 楓は右前方を行く『多摩』からの速度指示を示す信号旗を確認し、それに従って命令を下した。

『よぉそろー、両舷前進最びそぉーッ!』

 楓の号令により艦底の大馬力電動機(モーター)が6軸の推進軸を動かし始め、『越後』がゆっくりと前へ動き始める。

「5時方向、特型駆逐艦及び水雷艇2隻続航します!」

 後方の3隻も曳航する作業は滞りなく終了したようで、『越後』に続いて走り始めた。

「両舷半速、取り舵20度よぅそろー」

『よぉそろう!両舷はんそぉー、とぉりかぁじ20度!』

「舵戻せ、両舷原速」

『舵もどぉせー、両舷原そぉーッ!』

 暫くはそのまま航行していた『越後』だが、楓の心は穏やかではない。指示を間違えてしまわないか、また向こうから撃たれるかとヒヤヒヤしていた。

「舵そのまま、左舷原速、右舷強速」

『舵そのまま、左舷原速、右舷きょうそぉーッ!』

 徐々に速度を上げつつ、左へ舵を取り陸奥湾に進入していく『越後』。その横を水雷艇の『鷺』と『鳩』が特型駆逐艦を曳航しつつ、3門の魚雷発射管と12cm砲で牽制しながら併走していることに乗員達は複雑な思いを抱えつつそれぞれの務めをはたす……にしてもまだ役割すら決まっていないので、やることもなく甲板や主砲塔の上に座り込んでそれを眺めていた。

「取り舵20度、両舷そのまま」

『取り舵20度、両舷そのままッ!』

「右舷、貝崎を通過ぁー!」

 下北半島を通過し湾内に進入した『越後』は徐々に速力を下げていく。

 そして人目につきにくい場所を指定され、そこに投錨するよう指示された『越後』は主錨二つ、副錨二つで艦を固定。主砲を始めとする兵装の俯角を下げ、白旗を掲揚。交戦の意志がないことを示した。


「早川中佐、私は艦の資料を纏めてきますのでその間、艦をよろしくお願いします」

『了解、艦を預かります』

 大体の指示を出し終えた楓は、頃合いを見て司令塔で指揮を執っていた早川中佐に艦の指揮を預け、大日本帝国政府に提出しなければならなくなるだろう『越後』の各種資料を纏めるために艦長室へと降りていった。



 艦長公室に戻ってきた俺は、まず深い溜息をつき、そのあと脱力してへたり込んだ。

「ふぅ……つ、疲れた。精神的に疲れたぁ〜……。絶対指示で変なところがあっただろうなぁ」

 所詮はあるだけの知識を引っ張り回してきたに過ぎないので、言い回しは全て自分で考えたのだ。

 しかしその引っ張り出してきた知識もまだ頭に定着していないようで所々に穴があるようだし……。

「あ〜、まだ書類なんかも読んで艦の構造や乗員の把握もしないといけないし……もうやだ、この仕事」

 へたれと言うならば言え、そもそも軍艦の艦長なんて俺の専門外なんだ。本来はちゃんとした幹部学校に通って、現場で経験を積んだきちんとした船乗りの人たちが行うべき仕事なのに……。

(なんでこんな右も左もわからない素人にやらせるかな……)

 その原因のほとんどは自分の責任だということを都合よくその時は忘れながら、俺は書類を分けるべく艦長室の椅子に座ったのだった。

(え~と、総乗員数は現在5393名で書類によると定員は3112名……余剰人員は2281名と。何なんだこのやけに多い余剰人員……)

 そして数十分の時間が経ったがまた違う問題が俺の頭を悩ませる……。



(………あ、改めて身体見ると、やっぱり女の身体って気になるよな)


 そう、普通の青年男子ならきっとおわかりになってくれると思うが、悲しい男の性である。普段はそんながっつかない俺ではあるが、自分が動かし、実質的に好きにできる体だ。気にならないはずがない。


(べ、別に自分の身体なんだから胸ぐらいさわっても……いいよ、な?)


(い、いやいやいやいや駄目だろういくら何でも!……でも、ちょっとだけなら)


(いやまて、この身体はいわゆる越後の身体なのであって……だけど俺の身体なのだから、遠慮する必要ないよな?しかし……)


 その時の俺の動きを誰かに見られてなくて幸いだったと、後から俺は思ったものだ。

 なにしろ手を自分の胸元まで持ってきては他人の手を引き戻すかのように錆び付いた機械のように小刻みに震える手を引き戻し、持ってきては引き戻しという何とも怪しい動きを繰り返していたのだから……。

 そして数十分後、艦長室で俺は顔が若干赤くなっているのを自覚しながらもなんとか耐えきり、資料を一応纏め終わった後は『越後』の現状に構造、乗員の顔と名前を覚えようとしていた。



 その日の夕飯は主計科が冷凍庫から見つけてきた豚の角煮が一人につき4切れずつ配られ、物資が乏しい時期に撃沈された艦から来た乗員には光り輝いて見えるほどの豪華な食事が出された。(とは言っても、沢庵、八杯汁、白米、前述の豚の角煮、キャベツとにんじんの茹で塩もみ野菜といったものである)

 中には口へ入れた途端に感激のあまり涙してしまう者もいた。もう二度とこうして飯を食べることはないと覚悟していたが故に、こういった当たり前の日常の有り難みがわかるのだろう。


 各々がそれぞれ夕飯も済ませ、当直の者以外は分隊ごとに臨時で割り振られた居住区へ入り仲間達と雑談をしている頃、楓は一人艦橋の防空指揮所の後部から伸びている信号用ヤードにいた。

 何をするわけでもなく、ヤードから足を投げ出して上下に二段ある落下防止用の索に腕を乗せながら身を預け、沿岸部にちらほらと見える灯りをただ眺めていた。



 ……落ち着いて考えてみなくても、普通に考えて今日一日のことは夢なんじゃないか?

 そもそも普通の男子高校生だった俺が、こんな戦前の日本に突如現れた怪物戦艦の最高責任者でめちゃくちゃ美人の身体になっていてしかも艦の魂になっていること自体どうかしてる。

 そうだよ、多分これで艦長室の布団の中に入って寝た次の瞬間には病院の集中治療室にでもいるんだろうよ多分。

 それか……うん、マイナス方向の考えはやめておこう。 そう結論づけた俺はさっさとこの夢の世界から逃れようと、艦長私室へ行き布団に潜り込むのだった。



 もちろん、夢オチという展開になるはずもなく早朝に目が覚めた楓は大いに落胆したことは、言うまでもない。


 そして陸奥湾入湾から5日が経った4月6日―――軍令部及び海軍省から沿岸部から70km離れて航行した上で、横須賀軍港へ入港せよとの命令が『多摩』経由で楓達『越後』幹部たちの元に届けられたのだった。




『次のニュースです。昨夜6時半頃函館市湯の川町で、大型クレーン車1台を含む車両7台が相次いで玉突き事故を起こし、大型クレーン車を運転していた男性1人が死亡、現場を歩いていた高校生1人を含む7人が意識不明の重体、11人が重軽傷を負いました。事故から一夜明けた現場に、山田アナが到着したようです。山田さん、山田さん?』

『はい……、はい!こちらは昨夜、大型クレーン車一台、普通乗用車六台が相次いで玉突き事故を起こした函館市湯の川町の現場付近です。現場は見通しの良い4車線の橋の上で起きました。ご覧下さい、橋の上が完全に事故車によって塞がれてしまっています。ああ、見て下さい横転したクレーン車が橋から半分程迫り出してしまっています!』

 テレビから流れてくる事故現場の惨状……私はそれを、朝食の最中に見ていた朝のニュースの中で初めて知った。その時の私は、事故に巻き込まれた高校生には気の毒だ、運が悪かったな……とは思ったものの所詮自分には関係ないことだ、と思っていた。しかしキャスターが言った次の言葉に、私は時が止まったような感覚を味わう。

『事故に巻き込まれたのは函館市湯浜町在住の、―――さん17歳で……』


―――ッ!?


 ……今、何て言った?

 いや、おそらく聞き間違いだろう。そもそもあいつが、あんな時間にあの場所にいるはずがない。

 ご飯に鱈子、味噌汁、サケの切り身という朝食を終えた私は、昨日借りていたあいつのコートを腕に携え、バスに乗って学校へと向かった……いつもはこの時間のバスに乗るあいつが、今日は来なかったことに気にしながら。


 学校の朝礼、チャイムの音とともに先生が教室に入ってくる。……おかしい、毎朝欠かさず『おはよう』と言うのがこの先生の特徴であるのに、今日に限って、しかも終業日であるのにないのだろうか?

 心なしか顔色が悪いようにも見える。まだあいつが登校していないのと合わせて、私の嫌な予感は減るどころか増すばかりだ。

「起立、気を付け、礼!」

 学級委員が朝礼の挨拶をする。しかしなぜか先生はなかなか話し始めない……不意に私は、この場から早く立ち去れ、逃げろ、聞くな、という自分の声を聞いた。その直後……、

「え~、皆には信じられないと思うが……昨夜うちのクラスの―――」


 聞くな、きくな、キクナと頭が命令するが、体が動かない。そして、先生は決定的な一言を口にした。


「―――駒場が、交通事故に遭い……意識不明の重体だ」

 その瞬間、言い表せぬ奇妙な感覚とともに、私の世界はどんどん色を失い、黒く、染まって……何故だろうか、真っ直ぐなはずの黒板が、斜めに見えて……。


(鶴崎!?おい、しっかりしろ鶴崎!)


 先生や周りの声がだんだんと遠くなっていくのをぼんやりと感じながら、この日、私こと鶴崎淑恵の意識は暗闇の底へと吸い込まれるかのように落ちて行った……。

 お久しぶりです、遅筆の陸奥でございます。

 第二節、いかがだったでしょうか?

 改訂前とは大きく変わったことと思いますが、妙なところ、違和感のあるところ等がありましたらご遠慮なくおっしゃってください。


 さてさて、ようやく帝国海軍側との接触&そのころの未来では、となりましたがこのペースで進んでも一体いつ運命の12月にたどりつけるのでしょうか……?自分でも不安になります。

 予定では二章か三章で12月に突入する予定ですが、どうなる事やら……。とりあえず来年中にはこの執筆速度を2倍、3倍に上げられるように頑張ろうと思います。

 とりあえず、次回は1月に2回更新できるように頑張りたいです、実は12月の中頃に東京へ旅行に行くので、その関係で執筆時間や更新時間が取れなくなるために12月中にもう1回はおそらく無理だと思われるためです。

 その時にいろいろ資料を買ってこようと思うのですが、なにかお勧めの資料などがありましたら作者宛メッセージで教えていただけると助かります。何せ地方なので大都市に出て行った時に集めなければあとはネットでの収拾のみ……。


 ご意見、ご感想などがありましたらどんどんお聞かせください。厳しいご意見もお待ちしております!

 では、次回の戦艦越後物語・〈改〉もよろしくお願いいたします!

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