21・迎え2
――仕方ない。
カリンは腰にいくつか括り付けてある小袋の一つから小さな玉を取り出す。そうしてそれをその化け物に向けて投げた。
化け物が目を細める。狙い通りそれは化け物の顔にぶつかった。
途端、化け物がブファっとくしゃみをして派手に頭を振り下ろす。すぐにもう一度くしゃみをして、それから今度は顔を左右にぶるぶると振ってから声を上げた。それは咆哮といえるもので明らかに怒っている。勿論、カリンの狙い通りだ。カリンが投げたの玉の中身は強い匂いを発する液体が入っていたから、それが顔に当たれば鼻がいい動物程ダメージがあって少なくとも暫く鼻が使えなくなる。
カリンは暫く化け物の様子を見て、化け物がこちらを睨んだのを確認してから走りだした。今度は横ではなく、森の更に奥へ。
思った通り、化け物はこちらに向かって走ってくる。
走る度に、重そうな化け物の見た目通りの重そうな足音が地面を揺らす。ただそのせいで後ろを見て化け物の位置を確認する必要はなかった。その振動と音で化け物との距離は予想がつく、とりあえずカリンに追いつける程速くはないらしい。
とはいえ、カリンもこの化け物を連れて延々とトップスピードで走れる訳もない。ある程度待ち合わせの場所から引き離したところで光石を投げつけ、化け物が暴れている間に逃げて元の場所へ戻るつもりだった。化け物の鼻はもうしばらくはまともに機能しない筈だから、目ではなく鼻で獲物を追うタイプの化け物だったとしてもそれで逃げられる筈だった。
時折声を上げながら、化け物はカリンの後を追ってくる。
狭い場所では細い木を倒し、藪を踏みつぶして追いかけてくる。初心者が来る森とはいえ自信がないものは奥にまではこないから、カリンが走っている間に人に会う事はなかった。
――そろそろいいか。
向かう先にひらけた場所が見えたから、そこで光石を使おうとカリンは思った……のだが。近づいてそこに人影が見えた事でカリンは迷う。更にその人影がセイネリアだと分かってカリンは驚いた。
まず思ったのは、何故主がそこにいるのか。
それから次に、それは本当に主であるのか。
セイネリアが右手を上げると、その手の中にはカリンもよく知っている禍々しい派手な槍が現れた。それで間違いなくそれが主だと思った途端、彼が怒鳴った。
「カリン、そこで止まれ」
反射的にカリンは足を止めた。後ろからは化け物の足音が近づいてくる。
セイネリアは槍を構えたまま更に言ってきた。
「それでいい。そのままそこに立っていろ」
いつも通り、黒一色の男の声は大声ではあっても落ち着いている。余裕を崩さず、槍を掲げて持つ姿は彼に間違いない。
後ろからは足音が近づいている。足の裏に感じる振動は更に強くなっている。振動だけではなく地面が揺れて、すぐ後ろには化け物が来ていると分かる。
けれどカリンは動かなかった。
主がそのままでいろというなら従う以外の選択肢はカリンにはない。
地面が揺れる。振動が腹に響く。視界さえ揺れる。
化け物の息遣いさえ感じられて、その匂いさえ近づいてきても、カリンはただ黙って立っていた。
ドン、ドン、という足音がほぼ真後ろで聞こえる。
その振動にカリンは軽くよろけたが、それでも立って道の先にいる主を見ていた。
ふっと辺りが暗くなる。化け物の影が自分の影に重なる。
けれど次の瞬間、化け物の気配は消えた。
もう後ろに何の気配も感じない。平和な鳥たちのさえずり以外、聞こえる音もない。
そこで始めてカリンは後ろを振り向いた。思った通りあの化け物の姿は何処にもなかった。何事もなかったかのように跡形もなく消えていた。
けれど背後には向うから続く大型獣の足跡がある。倒され、踏みつぶされた木々の跡がある。つまり化け物は確かにいてカリンを追って来ていたが途中で消えたということだ。
「これで文句はないか、魔法使いっ」
その声はセイネリアで、カリンが見れば彼は不機嫌そうな顔をしてこちらに向かって歩いてきていた。カリンはにこりと笑うと主に向けて頭を下げた。
「おかえりなさいませ」
セイネリアは不機嫌そうではあったが、カリンを見ると僅かに表情を和らげた。
「あぁ、今帰った。悪かったな、茶番に付き合わせて」
茶番の理由は次回。




