120・最後の一押し
グローディ軍はザウラ領に入ってすぐのキオ砦の前で依然、陣を張ったまま睨み合いを続けていた。ただ現状はグローディ側の指揮官であるザラッツがザウラの領都に言って話し合いをしている事になっているため、それが終わるまでは戦端は開かれないものと思われていた。
とは言っても、ザラッツがクバンに行ってから既に16日程が経っていた。行った当日の夜にザウラ領主の館に蛮族の襲撃があったとかでその復旧作業等があって話し合いが遅れていると言われていたが、その後の追加報告は何も入ってきていなかった。となればグローディ側としてはザラッツの身に何かあったのではないかと不穏な噂が兵達の間で流れ出すのは当然の事で、ザウラ側に対する不信感は日々高まっている状態だった。
そんな緊張した日々が続くある日の朝、いつも通り天幕の中で起きたばかりのスオートの世話をしていたカリンは、彼の身支度が全て終わると急に椅子に座っていた彼の傍に膝をついた。
「え? カリン、どうしたの?」
当然スオートは困惑したが、カリンはその体勢のまま事務的に聞こえる抑揚のない声で少年に告げた。
「スオート様、スオート様には大事なお仕事をして頂かなくてはなりません」
「仕事って? ザラッツが帰ってきたの?」
どこか安堵した顔でそう言って来た少年に、カリンの声は変わらず告げる。
「いえ、ザラッツ様はまだこちらへは帰られていません。ですがご無事です。今はディエナ様と一緒に我が主と共に行動していらっしゃいます」
一瞬否定されて不安な顔をした少年は、最後まで言葉を聞いてほっと笑う。
「そうなんだ、ならよかった。でもまだ帰ってくるのは難しいの……かな?」
「それはもうすぐ、全ての決着が終わったら」
「そう、まだやることがあるんだね」
「はい、ですからそのために、スオート様にもやって頂かなくてはならない事があります」
「それは何?」
少年は不思議そうに首を傾げて聞いてくる。これから言われる事など想像もしないだろう無邪気な顔に、カリンはやはり事務的に告げた。
「ここにいる兵士達に、キオ砦への攻撃命令を出してください」
まず、言われた事が理解できずにスオートは目を丸くしたまま固まる。それは予想出来ていたから、彼に理解させるためにカリンは続けて説明した。
「我が主、セイネリア様より連絡がありました。今、ザウラに攻撃をしかけるべきだと。当然共にいるザラッツ様も了承しています」
「……え、待ってよ、そういう問題じゃなくて何故僕が」
やっとある程度理解が出来たのか、少年は焦って椅子から立ち上がった。
「今ここで、兵達に攻撃命令を出せる権限を持っているのは次期領主であるスオート様だけです。ザラッツ様がスオート様をここへお連れしたのはその為です」
それで自分の立場として考える事があったのか、少年は青い顔をしたものの黙ってまた椅子に座った。その後考えて……それから、震える声で聞いて来る。
「……本当に、攻撃しろって、ザラッツも同意してるんだよね?」
「はい、誓って嘘ではありません。私を信用出来ませんか?」
それには少年は苦しそうに首を振る。カリンは思わず苦笑して、それから少しだけ声を和らげて続けた。
「ただあくまで『攻撃を開始する』事が重要で、キオ砦を落そうとする必要はありません。キオ砦の方も防戦はしても積極的にこちらを壊滅させようとは動いて来ない筈です」
青い顔の少年が僅かに安堵の息を吐く。それから少し考えて、たどたどしく聞き返してくる。
「……それって、それも脅しだからってことなの?」
「はい、その通りです。これから現在の状況を説明します」
スオートはごくりと息を飲むと、カリンの話に真剣に耳を傾けた。
最後の一押し、想像通りの方は多かったのではないかと。
次回はザウラ卿スローデンの狼狽えぶりをお楽しみください。




