72・午後のお茶2
「いえ……その、そこまで言って頂きますと……その、恥ずかしいです」
「その言葉に自信を持ってください。そんな貴女を私は好ましく思います」
ザウラ卿は特別の美形という程ではないが基本的には整った顔をしている。清潔感のあるいかにも好青年といった風貌をしていて、身分も考えれば貴族女性には相当もてているに違いない。だからうっかりその時のザウラ卿スローデンの顔に見惚れてしまって、はっと気づいてディエナは頭の中で懸命に唱えた。
――腹黒ムッツリスケベ腹黒ムッツリスケベ……優しい顔に騙されてはだめ、この男はお父様を殺し、我がグローディを陥れようとしている策士なのですから。
セイネリアという男も言っていた、騙そうとする人間というのはいかにも優しくて親切に見えると。胸に手を置いて一度息を大きく吸ってから、ディエナもお辞儀を返した。
「ありがとうございます。ですがザウラ卿にそこまで言われてしまうと……私としてはただただ恐縮するばかりですわ」
とりあえずここは素直に礼を返しておけばいいだろう。そう思っていれば、スローデンがまたくすりと笑う。
「スローデン、と名を呼んで下さいと言ったではないですか。少なくとも二人だけの時はザウラ卿は止めてください」
「そ、そうでした、申し訳ございません、スローデン様」
「そうですね……もし、貴女が婚約の申し出を受けてくださるのでしたら、様もつけなくて構いませんが」
「それは……」
やはり向うは話の持って行き方が巧い。不意打ちで言葉に詰まってしまったディエナは笑って誤魔化すしかなかった。ただ、明らかに焦っているのを見せてはいけないからできるだけゆっくりと優雅に茶を一口飲んで、それから改めて微笑む。向こうが畳みかけてきた時は、一度タイミングを外すためにわざとゆっくりとした動作を入れて『間』を取るのがいいそうだ。
「申し訳ございません、そのお話はもう少し待っていただけますでしょうか」
ザウラ卿の笑みは変わらない。向うもそれで一呼吸の間をとって、こちらを見つめたまま聞いて来る。
「もしかして、貴女の心には既にどなたか決めた方がいらっしゃるのではないですか?」
それにディエナは一瞬――本当に一瞬だが、思考が真っ白になった。
その所為ですぐに返事が出来ず、それだけではなくその後に思い浮かんだ人物の影に思わず表情を曇らせてしまった。
「……そうですか、それなら貴女がなかなか色良い返事をして下さらないのも分かります」
察したようにそう答えたスローデンに、そこで更に焦ってしまったのがディエナの失敗だった。
「いえ、その……私だけの想いですので、向うはまったくそんなつもりはないでしょうし、それだけで終わる話なのでザウラ卿がお気にされる事はありません」
スローデンは笑っている、一見優しそうに、ただ年下の女性を見守るように。そうしてその笑みのまま優しい声で言ってくる。
「貴女の想い人が誰か――は気になりますが聞こうとは思いません。ですがどんな人物なのかは聞いても良いでしょうか?」
そうして、名を告げなければ言っても構わないだろうと判断したのもまた、そこでのディエナの大きな失敗だった。
「とても、真面目な方です、真面目すぎて少々融通が利きませんけど。……でも、貴族の出だというのに勤勉で常に鍛錬をかかさず、貴族というだけで偉そうにする者を嫌って部下達にも常に公平な態度で接している……」
「それは確かに素晴らしい人物ですね。貴女が想うだけの事はある方のようです」
スローデンの笑みは少し残念そうで、けれども優しい微笑みで。それは婚約を申し入れた相手の想い人の話を聞く男の表情としては非の打ち所がなかった。
「はい、素晴らしい人です」
だから彼女は、ただ頭の中に浮かぶ人物――騎士ザラッツを褒められたのが嬉しくて、心からの笑みを浮かべてそう答えてしまった。
ディエナとの茶の時間が終わってスローデンは席から立ち上がった。
いつも通り彼女に微笑んで別れを告げ、建物へ向かって歩き出せば、離れて待機していた護衛達がさっと前後に付く。そうして最後に建物内で待機をしていたジェレが横につくとスローデンは口を開いた。
「ジェレ、調べて欲しい事がある。もしかしたら一気に状況を有利に持っていけるかもしれない」
その時にスローデンが浮かべていた笑みは当然ディエナに見せた優しい笑みではなく、歪んだ唇と昏い瞳のまさに『腹黒』と呼ぶに相応しい悪意のある笑みだった。
ディエナの方でちょっと不穏な空気が流れたところで次回は蛮族達と会う事になるセイネリア達のお話。




