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黒の主  作者: 沙々音 凛
第二章:首都と出会いの章
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14・英雄と呼ばれた男

 女は今度は僅かに驚いたようであった。そうして、暫く呆然とセイネリアの顔を見た後、ほんの微かに、口元を笑みのように緩ませた。


「了解しました。主にもそう、伝えておきます」


 そうして女はまた深く礼をして部屋を去ろうとする。表情は変わらないものの、女の気配からはどこか安堵した様子が読み取れた。

 だからセイネリアはその腕を掴んで女を引き留める。

 彼女が反応出来ない間に、そのまま体同士が触れる程傍まで女の体を引き寄せ、その顎に手を掛けて顔を上に向かせた。


「ところで、俺との連絡役に女を使うなら、お前は女としての俺の相手もするようにも言われている、と思っていいのか?」


 聞いた途端、びくりと体を強張らせた女は、だが動揺を表情にまで出す事はなく、無機質な瞳でじっとセイネリアを見つめたまま答えた。


「はい、言われております」


 声にも動揺はない。今この時のこの女を見ただけなら、よく訓練された暗殺者だと言えるだろう。

 けれども、顎から手を離し、頬を撫ぜ、首筋に手を入れて髪を梳けば、その体が僅かに震えているのが分かる。嫌悪感を無理矢理押さえつけて女がそこに立っているのが分かる。

 セイネリアは薄く唇に笑みを乗せた。


「お前の名は?」

「アカネ」


「ならアカネ、丁度良かった、こんなジジババばかりの辺鄙へんぴなところに閉じ込められて、こちらの方だけはどうしようかと思っていたところだったんだ……」


 唇を合わせれば、アカネは最後に低く呻いた。





 早朝の訓練は最初はただひたすらに剣を振る事だったが、馬に乗りながら武器を使う訓練を始めた辺りから朝は馬の世話と遠乗りに変わった。勿論、剣を振る事は暇さえあればやるように言われているのでやらなくて良くなった訳ではない。だからセイネリアは主に休憩時間に剣を振る事になった為、実質仕事と訓練メニューが増えただけだと言えた。

 シェリザ卿の元で馬に乗る事だけなら出来るようになっていたものの、馬に乗って戦うとなれば話は別になる。ついでに、今までは移動手段として乗れればいい程度しか思っていなかった為、乗り方も自分流が過ぎてナスロウ卿的にはかなり気に入らないものだったらしい。だからまずは騎士として正しく馬に乗れる為に、朝の日課がそうなったという事情があった。

 ナスロウ卿に付き添って遠乗りに出かけるようになると、いつもそのまま狩りをしてくるまでがセットになっていた。

 セイネリアにとって森での狩りは慣れたものである。最初にその弓の腕をみてナスロウ卿も感心はしたものの、この朝の狩りには一つ問題があった。つまり、弓を使うなら馬から降りるな――と言われた事で、セイネリアは馬上のまま弓を使わねばならなかった。

 両手を使わなくてはいけない弓を馬上で使う場合、体のバランスを取る事は当然だが、馬の操作も下半身だけでやらなくてはならなくなる。それは馬上での正しい姿勢と体重移動が出来ていないとまず不可能であり、更にその状態で動く得物を狙って弓をひくとなれば、少なくともそれら馬上での体の扱いに関しては意識せず自然に出来るまでになっていないとならなかった。

 いくら馬に乗るだけは出来るといっても、弓が使えるといっても、それらを同時となれば一朝一夕でどうにかなるものではない。最初は何度も落馬をしたし、上手く弓を放つところまでは出来ても当てるのはかなり困難ではあった。

 それでも元々、筋力と気迫だけはあるセイネリアであるから、手綱を使わずに馬を従わせる事は案外早く出来るようになれた。初めてその状態で得物を取るまでにはそこから更に掛かったものの、それが叶った時には、馬上で他の武器を振るう事に何の不安も感じなくなっていた。


「お前は前に、体だけは先に作ったといっていたがな、お蔭で確かに何をやらせるにしてもモノにするのが早い。多少力で強引にやる部分はあるが、出来ているなら先を教えられる」


 嬉しそうにそういって目を細める老騎士の顔に、セイネリアは見覚えがあった。

 それはかつて、自分を娼館から送り出した時、最初の師とも言える女がうかべていた顔と同じだった。


 だから、彼の望みも大方分かっていた。


 あの後、セイネリアはナスロウ卿について、アカネに聞いて、または調べさせて知った事がいくつかある。

 英雄と呼ばれた事もあった男は、騎士団内では実は肩身の狭い思いをしていたという。彼が英雄と呼ばれるまでになったのは国境の砦の戦闘で何度か活躍したせいではあったものの、首都の騎士団本部に移動させられてからの彼は失望の連続であったらしい。貴族騎士達の腐敗を目の当たりにしても彼にはそれを正す発言権はなく、ならせめて下の者を鍛えようと思っても上に呆れ果ててやる気のない者達ばかりで彼について来てくれる者は多くはなかった。

 酒が入ると、国境の砦配属でいた時が一番充実していたとよく漏らし、結局、英雄と呼ばれながらも騎士団の改革をする事は何一つ出来なかったと言っていたと言う。


――それで、あのジジィは俺に何を期待する気だ?


 いくら懸命に鍛えて騎士団の英雄と呼ばれるだけの強さを手に入れても、あの老人はこのまま惨めに老いて、やがてはその強ささえも手放すだけなのだろう。英雄と呼ばれた事があるだけ他人から見ればあの男は名を残せたといえるのかもしれないが、あの老騎士本人はきっと、失意の中で最期を迎える。

 だがそれは、何も珍しい事ではない。

 どれだけ努力をしても、高尚な目標があっても、運一つだけでもそれはあっさりと無に還る。それを運命というのかもしれないが、何かを持っていない人間は結局何も為せないのだ。

 ならば、自分はどうなのか。自分が何も掴めず終わるだけの者であるのかどうか。


 セイネリアはそれが知りたかった。


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