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黒の主  作者: 沙々音 凛
【番外編:傭兵団の平和な一日】
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3・立場

 朝の一件は、団員達の間であっという間に広まっていた。


「エル、気を落とすなよ、カリンさんが凄いだけだってのは皆分かってるからよ」

「いやべつに落ち込んじゃいねぇよ」


 廊下ですれ違いざまに言われてエルは顔を引きつらせる。

 こんな風に声を掛けられるのは何度目か。もう数える気もないから分からないが、カリンとの勝負が終わった直後はまだしも、今日初めて会う人間からはまず第一声がこれでさすがにうんざりしてきた。っていうかカリンに負けるの自体は仕方ないと思っていたから別段ショックではなかったのだが、会う人毎に言われたらなんだか地味に精神的ダメージが蓄積してきてる。いわゆる傷口に塩を塗り込まれている気分という奴だろうか。


「エルー、聞いたぜ、カリンさんと……」

「るせぇ」


 なんかもうムカついてきたから最後までいわせずに睨めば、声をかけてきた相手は明らかに『ヤバイ』という顔をして固まった。ちなみにこの男はザハルという、この団に入る前から知っている顔でエルより少し年上だ。本人自身の戦闘能力はそこそこだが戦闘指示が的確で、器用にいろいろこなすところが評価されて団に入っている。


「……すまん、気にしてたか」

「つーか負けたの自体は気にしてなかったんだけどよ、会う奴会う奴皆に言われて嫌になってきてンだよ」

「そーかそーか」


 肩をぽんぽんと叩かれてエルは溜息を吐く。


「そもそもカリンと俺だと戦う場合の役目が違いすぎっから一対一で負けたってンな落ち込みやしねぇよ。それに負けたのがカリンなら立場的に示しがつかねぇ訳でもねぇし」

「一応お前さんがここのナンバー2じゃないのか?」

「俺は対外的な表向きのナンバー2、実質のナンバー2はカリンってのはマスターからの扱いみてりゃ分かるだろが」

「まぁ、なぁ……」


 と言って暫く黙った後、ザハルは言ってくる。


「でもよ、そもそもお前とカリンさんは役目が違うんだろ。ってぇことは総合的に見りゃそもそもどっちが上って訳でもないんじゃないか」

「いやいや、どーみてもあっちのがマスターの腹心の部下ポジだろ」

「ん-いや、そーゆーのじゃなく。マスターから見たら、エルとカリンさんの間に優劣はつけてなくて、単に用件によってどっちを使うかってだけなんじゃないか」


 それはちょっと意外な意見だった。カリンはエルよりセイネリアとの付き合いが長いし、最初からあの男の一番忠実な部下ポジションだ。だから彼から見たら自分はカリンの次のポジションだと当たり前に思っていたのだが。


「そう……見えるのか?」


 ザハルは今度は背中をばんばんと叩いてくる。


「そもそも単純に上下をつけるには、立場も役目も違い過ぎるだろ」

「でもやっぱ、どうみてもよ……」

「俺らからすりゃ、カリンさんがお前より偉く見える時もありゃ、お前がカリンさんより偉く見える時もあるぞ」

「あるか? そんな時」

「あるぞ、マスターに直接悪態をつけるのはお前だけだろ」


 そりゃな、と心の中でツッコミを入れてからエルは思わず苦笑した。


「あのセイネリア・クロッセスだぞ。あの人に面と向かって文句を言えるのは、この団どころか、国中探してもお前しかいないんじゃないか?」


 別に自分でなくてもセイネリアに文句や反論を言う事は許されているけどな――と思ってから、だが確かに実際あの男に対して真正面から文句を言うのは自分だけかもしれないとエルは思う。団員達はセイネリアに何か言うなんて無理だし、カリンやクリムゾンはセイネリアの意見に不満を感じる事が滅多にない。


「ま……そうかも、な」


 なんだかむず痒い感じがしてそこから咳払いをすれば、ザハルはにこにこ顔でまたエルの背中をちょっと強く叩いてくる。


「とりあえずだ、お前さんがマスターに何でも言ってる限り、お前を馬鹿にする奴なんざいねぇよ」


 そうして彼は手を上げて去って行った。

 エルが団員達に気さくに『エル』と呼ばれていても、前からの知り合いに弄られていても、それでもエルを本気で舐めてくる奴はいないし、いう事を聞かない人間はいない。それは全部ここのトップのセイネリアが絶対的に恐れられているからだ。普通の組織の場合、上にいる人間が部下に下の者らしい態度を強制するのは皆から舐められないためもあるが、ここではセイネリアが絶対的過ぎてその必要がない。

 考えれば考える程、すごい奴だとエルは思う、それに……。


――確かに、あいつは別に部下に順位なんてつけてねぇだろな。


 セイネリアは人を使う場合、その人間にあった役目を与えるようにする。だから仕事内容や状況によって優先する者は変わるし、立場云々よりその能力と性格、適正重視だ。なんというか本当に公平過ぎて改めてすごいと思うところだが、実のところエルとしてはセイネリアが一番優先する部下はカリンでいいと本気で思っている。セイネリアは部下の順列なんてのは気にしていないかもしれないが、カリンがセイネリアの一番忠実な部下である事は間違いないし、一番の理解者であることも、一番彼を想っている事も間違いないと思うからだ。

 もし彼がたった一人しか助けられないなんて事態があったとしたら、迷いなくカリンを助けて欲しい……そう思うくらいに。あの2人はあくまで主と僕の間柄ではあるが、カリンの気持ちを考えるとそれくらいのつもりでいてやって欲しいと思う。


――ま、俺がそんなの気にすることじゃねぇと思うけどよ。







 この団の副長の肩書きを持っているエルは基本的に毎日忙しい。

 午前中は団の連中の訓練に付き合ったり、これから仕事に行く連中の最終確認と見送りで終わる訳だが、昼食後の一番怠い時間はよりによって一番怠い仕事が待っている。


「あー……今日はこれくらいか、ま……いいけどよ」


 机の上に置かれた書類にうんざりする。昼食以降の午後は団員達にとってはただの自由時間で、街中に出かけたり、昼寝したり、自主訓練したりして過ごす訳だが、エルは特にイレギュラーな用事がない場合は事務処理の時間にしていた。


「ならさっさと座って仕事始めなよ。時間が勿体ない」


 と言ってきたのは魔法使いのサーフェス、というか、ここでは皆『ドクター』と呼ぶことになっている。事務仕事が多い時は、こうして彼を呼んで手伝ってもらうのがお約束になっていた。勿論患者がいたり等忙しくない時限定だ。なにせ団員達は腕っぷしには自信があっても学はない連中が殆どで、読むのは一応出来ても書く方は苦手という連中が多く、名前を書く事しか出来ないような者もいる始末だ。しかもクリュースの言語は、公用語の上に貴族や高官だけが使う上級語がある。貴族からの依頼も多いこの団では上級語が入っている書類もあるからそういうのは普通の冒険者は読めさえしない。そういう訳で、事務処理は限られた人間しか出来ないのだ。


「わあってるよ。あーめんどい」


 嫌々ながら椅子に座って背伸びをしてからペンを握る。

 ちなみにエルも最初は上級語は読めなかったが、契約書に出てくるようなよく使われるものに関してはセイネリアに教えて貰っていた。サーフェスは魔法使いだからさすがにエルよりも出来るし、他国の言語さえある程度イケルらしい。カリンもエルより上だが、彼女は情報屋の方の事務処理があるので出来るだけ団関係はエルがやるようにしている。

 まぁ勿論、分からない奴や処理が面倒な奴はセイネリアに丸投げだが。


「はぁ……めんっどくせー-やっぱ体動かしてる方がいいや」


 立場上仕方なくやっているが、エルはデスクワークは大嫌いだ。一応神官として公用語の読み書きはちゃんと出来るが、戦神の神官がお勉強方面が得意な筈がない。

 ちなみに団内にはそっちが得意な神官は数人いるからたまに手伝ってもらうが、幹部以外に見せられない書類は頼めないし、彼等は現場仕事もあるからあまりアテにも出来ない。


「はい、僕の見た分はこっちおいておくよ」

「おー、ありがとよ」

「うん、感謝の印に、今度カーシィの店でケーキ買ってきてくれるかな♪」

「おー……」


 まぁ勿論、サーフェスが手伝ってくれるのは助かるのだが無料ただではない。それでも手伝ってくれと頼むくらいエルはデスクワークが大嫌いだ。


「くっそ、今度は神官とか魔法使いとか、こういう仕事得意な奴があいつと契約してくんねーかな」


 上級言語が出来る貴族崩れとかでもいいんだけど……なんてぼやいていたら、突然部屋のドアが開いた。真っ黒のデカイのが目に入った段階で、誰かなんて言う必要もない。


「エル、ちょっといいか」

「マスター相手にだめっていう訳ねーだろが」


 そう嫌味を込めて返したが、彼の表情一つ変わる事はない。


「エッツ・フロウトから今夜の夕食に招待されてる、お前も付き合え」

「エッツ・フロウトって……」


 考えて、でっぷりとした商人を思い出す。フロウト商会の会長だ。途端エルの表情が事務仕事の愚痴以上に嫌そうに顰められる。


「えー……いつもみたくカリンでいいじゃねーか」


 普段、セイネリアが偉いさんとの会食に呼ばれた時は、大抵カリンがついていっていた。


「あの親父がカリンを見る目が気色悪い。それに貴族じゃないだけまだマシだろ?」


 なんだーちゃんとカリンの事考えてるじゃん、なんて思いつつ、そういう事ならエルが断れる訳はない。


「ち、しっかたねーなー」

「豪勢なメシが食えるぞ」

「そういう席じゃ何食ってもうまくなんかねーよ」

「まぁそれは同意する」

「へぇ、あんたでも回りのせいでメシが不味くなるってこともあんのか」

「まぁな。とにかく、仕事終わりの鐘が鳴ったら出かけるからそのつもりでな」

「へーへー、了解」


 行くと決めたからにはもう諦めるが、絶対食う気にならないから行く前になんか食っていった方がいいかなー、とか考えていたらサーフェスがセイネリア相手に笑顔で言った。


「へー、あんたでも自分の女をヘンな目で見られたりするとムカついたりするんだね」


 そこでエルは思い出した、そういやこいつって毒舌家だったわ、と。勿論セイネリアはそれに何かしら分かるような反応を見せる事はない。ただ淡々と言葉だけを返す。


「カリンが見られて不快そうだったからな」

「ふーん、でもあんた自身もムカついたんじゃない?」

「さぁな」


 そこでふと、エルは思った。セイネリアに堂々と文句を言う人間は自分くらいだと思っていたが、文句はともかく、嫌味を言えるのはこの毒舌魔法使いもだと。それはちょっと寂しいような悔しいような気もしたが、セイネリアは基本イエスマンは好きじゃないというのもエルは知っている。きっと今後、彼が契約をわざわざしてやるような人間は、彼に意見を言えるようなのが選ばれるのだろう。

 なんだかそれでしんみりしていたら、黒い男は唐突にこちらを向いて言ってきた。


「エル、朝の件だがな」

「へ?」


 まさかセイネリアが終わった事にわざわざ何か言ってくるとは思わなかったから、エルは間抜けな声を上げた。


「お前のは敵を退けるため、カリンは人を殺すための戦い方だ。一対一の勝負なら勝敗は分かってた。ただ単に、お前が懐に入られた時にどうするか見たかっただけだ」


 まさかセイネリアまでもが追い打ちをかけてくるとは思わなかったから、当然エルは不貞腐れた。


「へー……んじゃ見れて満足したかよ」

「まぁな。一か八かで動くのがお前らしい」

「分からなかったらヤマはるしかねーだろが」

「そうだな」


 それで微妙に楽しそうな顔をこの男がするものだから、エルは反射的に、けっ、と返した。


「用件は終わりだ、じゃぁ、書類仕事がんばってくれ」

「わあったって。くそ、誰のせいでこんな仕事してるんだと……」


 そこは最後まで聞かずに彼は部屋を出ていってしまう。一気に脱力したエルは机につっぷした。あぁ、出かけるなら今日は全部終わらないから明日にある程度回すしかねぇか――と思いつつすぐ仕事に戻る気もなれなくて、うらめしそうに書類の束を眺める。


「あの男も、結構気を使うよね」


 だがサーフェスが突然そんな事を言ったから、エルは頭を上げた。


「誰が誰に気を使うって?」


 サーフェスはにこりとエルに含みのありまくりそうな笑顔を向けてくる。


「そりゃー、マスターがエルにさ」

「はぁ?」

「気づかないの? マスターって結構エルに気を使ってるよ。今のだってあれ、今朝の件をわざわざフォローしてったんでしょ」

「え? えぇぇえ?!」


 そういう意図だったのか、とエルは正直に驚いた。


「っていうか気づかなかったの? マスターって何命じるにしても部下の都合とかはちゃんと考えてくれてるけど、機嫌を気にしてフォロー入れるのはエルに対してくらいだと思うよ」

「……そうか?」

「うん」


 俺ってあいつに気遣われてたのか……それはちょっと嬉しくもあったが、気づかなかった自分に対して自己嫌悪も感じてやはりエルは落ち込んだ。


これで終わりにするつもりで書いてたのですが、あと一話、団員達だけの短い話をつけます。


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