2・ハードな命令
エルの視線を追って2人の姿を見た途端、団員達の間に緊張が走る。皆が皆、その場で姿勢を正し、それから口々に声を上げる。
「おはようございますっ、マスター」
セイネリアはそれに軽く手を上げて、いつも通りの無表情と抑揚のない声で応える。
「こんな時間から鍛錬とは感心だ、俺の事は気にせず続けてくれ」
いやいや、気にせずって言っても無理だろうよ――と心の中でツッコミながら、エルはひきつった笑みを浮かべる。団員達の顔を見れば青ざめるくらい緊張しているのもいて、さすがに可哀想になってきてエルはセイネリアの方に向かっていく。
「今邪魔してくれたろ、何でだよ」
「接近させないままだと面白くないだろ」
セイネリアは『なんだそんなことか』程度の感じで返してくる。エルは大げさにガクリと首を落としてみせた。
「……いやまぁそんなこったろうと思ったけどよ。あっぶねぇだろーが」
ラジーナの剣は訓練用の刃をまるめたなまくらだが、まともに食らったら大怪我もありえる。というかそもそも投げたナイフが当たったらどうする気かと睨めば、やはり悪いとはこれっぽっちも思ってなさそうな男は当たり前のように言った。
「あれくらいどうにか出来るだろ、お前なら」
エルは思わずぐっと言葉に詰まる。ムカついても、さらっとこっちを持ち上げてくるあたりがこの男は本当にうまい。それで黒い男をじっと睨んだまま言葉を返せずにいれば、横にいたカリンがくすくす笑いだす。
「ナイフを投げたのは私だ。悪かった」
「どーせ、マスターが投げろっつったんだろ」
「あぁ」
なんかいろいろ怒る気も失せたエルはバツが悪そうに頭を掻いた。そこでやっとセイネリアも僅かに口元を緩めて言った。
「実際接近されたらどうするか見たくなっただけだ。さすがにうまくあしらったな」
「まーな、マスターみたいに叩いても止まらない相手じゃねーからな」
セイネリア相手……特に鎧を着ている前提だと、棒で叩く攻撃はほとんど意味がない。突きを当てるか受けさせるかでやっと足を止められる。ただの手合わせでそれだから、本気で殺しあったら一瞬でカタがつくだろう。いやそもそももうこの男に勝とうとは思っていないが。
はぁっとまた大きく溜息をついて、話を終わりにするかと思ったエルだったが、そこでセイネリアが少し考えているような素振りを見せたので嫌な予感がする。
そして、そういう予感はまず当たるのだ。
「エル」
「……なんだよ」
「お前の戦闘スタイルとは逆の、接近戦の専門家とやってみないか?」
「へ?」
それって誰よ、と思ったところで、セイネリアの視線が横に行く。
「カリン、お前はエルとまともに戦ってみた事はなかったろ」
「そうですね」
げ、とエルは顔を引きつらせたが、後ろにいる連中からは、おぉっと声が上がった。
「お前達の試合なら、見るだけで他の連中にとってはいい勉強になるだろ?」
更に団員達からは期待に満ちた歓声に近い声が上がる。特にカリンの腕が見れるという事に彼等はかなり喜んでいるようだった。
エルはこうしてたまに団員達と手合わせをしているからその実力は皆大体わかっているところだが、カリンは普通の仕事に出ないのもあって団員達の前でその腕を見せた事はほぼない。それでもウチの団員レベルの人間ならその所作から相当の腕だと察する事が出来るし、なによりセイネリアが傍に置いているのだから並み大抵の腕の筈はない、と皆分かっている。ついでにもとボーセリングの犬だった……というのも、噂程度(いや事実だが)で流れているのだ。
「……朝から随分ハードな命令だこって」
「嫌なら無理にやれとはいわないが」
「いやいーよ、やるよっ」
ここで断ったら団員達に示しが付かないし、後で馬鹿にされても仕方ない。それに、カリンとちゃんとした勝負というのは確かに面白そうではある。こういう機会にボーセリングの犬と戦ってみるのは後々役立つかもしれないとも思うし。
セイネリアが微妙に楽しそうなのはムカつくが、ここはやるしかないだろう。
「カリン、準備が必要か?」
「いえ、準備はいつでもできていますので」
「そうか」
まー心構えから俺らとは違うよな――なんて思いつつ、エルは自分の装備の点検をする。流石に朝だから戦闘用のフル装備ではないが、もともと軽装で戦うタイプだからそこまで影響は大きくない。一応手甲だけはつけてきて良かったと思いつつ、本音を言えばカリン相手ならフル装備にしたかったとは思う。
――今更言っても仕方ねぇや。こっから準備待たせてたら遅くなるし。
カリンがセイネリアから離れてこちらの前までやってくる。それからその場で少し考えて、後ろ腰から刃の幅が広い短剣を2本抜いて両手に持った。しかも逆手持ち、リーチの差どころか完全に懐まで入る事前提の武器だ。それだけでも団員達からいちいち声が上がる。
「やっぱ元ボーセリングの犬って言われてるだけあって武器はソレっぽいな」
「あれでどうやってエル相手に有効距離に入るのか見物だな」
見てるだけの連中は楽しそうでいいねぇなんて思いつつ、こら思ったよりも真剣勝負だなとエルは覚悟する。間合い的にはエルの方が有利ではあるが、体捌きや速さ、身軽さは向こうの方が上だ。
カリンの様子を見ていれば、こちらを見た途端に目があって、彼女が笑って言ってくる。
「今日はこれしか使わない事にしよう」
カリンは本来なら、離れた相手にはナイフを投げたり、重りつきのロープを投げたりする事もある。それは今回なしという事だ。
「そりゃありがたいこって」
口元を引きつらせながらそういうと、エルは長棒をくるりと一度回して前に構え、腰を落とした。それを見て、カリンも構える。そうして即、こちらへ向かってくる。
――うわ、速ぇっ。
思わずそう言ってしまいたくなるくらい、走るというより滑るように上体の位置が変わらぬまま音もなくカリンは近づいてくる。しかもただ真っすぐ突っ込んでくるのではなく、大きく横に膨らんでこちらの左側から回り込んでくる気かと思ったら、ある程度近づいたところで急に角度を変えてこちらの正面にそのまま飛び込んできた。
こんなん突きで捉えられる訳がない――エルは接近されるのは諦めて前面で防御として棒を回す。そうすれば彼女の体が急に消えて……それがしゃがんだせいだと気づいた時には彼女の足がこちらの足を狙って伸ばされていた。
「まじぃっ」
エルは焦って飛びのく。どうにか足を蹴られる事は回避したが、ただ空振るだけだと思った彼女の足は地面を削るように蹴ってくる。その意図はすぐに分かって、蹴り上げられた小石が飛んできたかと思うと、土埃が上がった。
――うぁ、ずっりぃ。
と思ってしまったが、勿論これは反則でもなんでもない。小石は回した棒で弾いたが、ちょっと咳き込みそうになる。口を閉じて目を細め、急いで気配を探る。とはいえ気配を消す事は向こうの得意技だ、それですぐわかったりなんかしない。
こうなればいちかばちかとしゃがみこみ、大きく半円を描くように足元回りを棒で払う。そこから立ち上がると同時に背後に向けて棒を回す。これにはカツっと手ごたえが返って、カリンが後ろへ飛びのいたのが見えた。
――やぁっぱ後ろだよな。
カリンの戦闘スタイル的に、背後を取ってくるだろうと思っていたからそうしやすいように動いてみた。どうにか土煙も収まって、距離も少し取れたからこれでしきり直しだ。
「あっぶねぇ」
わざと軽そうにそう言えば、カリンは笑う。余裕あるなぁちくしょーめ、なんて思いながら息を整えて棒の先を相手に向ける。やはりカリンはそこですぐまた突っ込んできた。ただエルも今度は簡単に接近させはしない。近づかれるより先に棒で前面を大きく横に払えば、カリンはそれを避けてまた左から回り込んでこようとする。そこへすかさず棒から右手を話して大きく体の左横へ伸ばす。思った通り、そこでカリンは更に大回りして避けるのではなく、また一気に懐へ滑り込んできた。
――させるかよっ
棒を即座に戻し、両手持ちになった途端前を叩く。カリンはそれを避けずに短剣を当てて棒の軌道を少しだけ逸らし……その直後にエルは一瞬彼女を見失いかけた。けれどすぐにまた彼女がしゃがんだのだと理解して視線を下に向ければ、身を低くしたカリンがそのままこちらの右横を通り過ぎていくのが見えた。エルは右足を上げ、体を捻って後ろを蹴った。珍しく、カリンが足を止めた音がした。すぐに追撃として蹴ったその先に棒を伸ばす。それは避けられた、が……伸びきった棒の先を上から短剣の根本で思い切り叩かれて、棒を落とす事はなかったが先端が地面に付きそうになる。それを持ち上げて戻し、構えなおしたら、それに気を取られた隙に彼女は目の前まで来ていた。
「ちょっ……」
速すぎだろ、と言いかけた時には、彼女の短剣の刃がベルトの上に当てられていた。カリンが持っている短剣はなまくらではないからこちらに怪我をさせないようにわざとベルトに当てたのだろう。そしてそんなピンポイントなところを狙えて、しかも引いたり刺したりしないで当てるだけ、なんてマネができるくらいカリン側には余裕があったという事だ。
エルは言葉より先に棒を落として両手を上げた。
「はいはい、こっちの負け」
カリンはすぐに短剣を引いてそれを後ろ腰に戻した。にこりとこちらに笑いかけてきた彼女はまったく息を乱してはいなかった。
どうにかカリンとの戦いの終わりまで書けました(==;;
あ、カリンの短剣、ナイフではないですので刃渡り30センチちょいくらいはあります。