1・早朝
本編終わった後周辺くらいのエルの傭兵団での日常話。ついでに本編ではなかったキャラ同士の戦い(ただの手合わせですが)も書きたいな、くらいの話です。
首都だけでも傭兵団や私設騎士団というものは相当の数あるが、冒険者なら誰もが名前を聞いただけで分かるようなところといえば数える程しかない。その中でも黒の剣傭兵団は他とは少し違う方向で有名過ぎて、扱いも別格だった。
――まぁ、団の有名な部分の殆どはあいつのせいだけどな。
いっそ団が有名というよりセイネリアが有名と言った方が正しい。そんな事を考えながら、まだ日が昇って間もない時間、あくびをしながら体を伸ばしつつエルは敷地内の訓練場へと向かっていた。
「あ、おはようございます」
「おう、おはよーさん」
訓練場が見えてくれば、気づいた者がすぐ声を掛けてくる。
――こいつは確か、タバットっていったっけ?
真面目そうなこの青年はここに来てまだ一年経っていない筈だ。腕はそこまでいいという程ではなかったが、やたら向上心があっておまけに記憶力が良いのを見て、セイネリアが『おもしろい奴だ』と言ったから声をかけてみてここにいる。確かに記憶力がいいせいか、腕のいい連中の動きをマネてみてはいろいろ研究しているらしく、入団時よりも今はちょっと驚くくらい腕は上がっている。
――やっぱ、あいつの人を見る目は確かだよなぁ。
「エル、おはよー」
「おっはよー、エル」
「エールぅ、今日はちっと遅くないかぁ?」
次に声を掛けてきたのは傭兵団内ではそこそこ長い連中になる。基本的にエルは団員達相手に威張ったりしないし、敬えなんて事もいわないから、こうして気さくに『エル』と呼んでくるのが大半だ。
「お、エル、丁度良かった、ちぃっと強化掛けてもらえっか?」
「ほいほい」
「あ、エル俺も頼んますっ」
「お、俺もいいですか?」
「わぁった、強化かけて欲しいヤツはそこ並びやがれ」
各自それぞれ鍛錬をしていた連中も、気づけば次々と声をかけてくる。勿論、こちらを無視して黙々と鍛錬をしている者もいるが……クリムゾンとかクリムゾンとか。
黒の剣傭兵団は首都の有名な団の中では団員の数自体はそこまで多くはないが、質では一番だと言われている。流石に団が出来たばかりの頃は一定数の人数が欲しいから将来性と人間性重視で腕はそこまで厳しく見なかったが、今は団に入るための基準はかなり厳しい。っていうか現在は、団員の推薦がないとそもそも入団テストさえしない状態だ。
ただそうして団員のレベルが高いからこそ、こんな朝っぱらから訓練をしている連中が多いとも言えた。
仕事を受ける上ではここの団員というだけで、腕は勿論、信用面でも評価は高く報酬にもプラスアルファをしてもらえる。おまけに貴族様からの依頼も多いから当然金銭的にもかなり潤っているという状態だ。セイネリアは金をため込んだり贅沢をするのが趣味ではないから、成果を上げた人間には気前よく特別報酬を出すし、訓練のために必要な設備や道具も要望があれば用意する。それで余計に団員達のモチベーションも上がるというものだ。
「皆、向上心が高いようでよいこった」
一通り強化を掛けた後、さてそろそろ自分もやるかと長棒を持ったエルだったが、そこでガタイのいい男がやってくる。
「おはよう……ございます。俺も、強化、お願い、できますか」
「お? いいぞ、朝から無茶はなしだから1段階なー」
「はい、ありがとう、ございます」
――いやー、こいつすげぇ大人しくなったな。
見ただけで体が大きく顔もいかつい、いかにも強そうな風貌のエッジィという名のこの男は、実は団に入る前は乱暴者としてかなり悪評の高い人物だった。団で参加した仕事に同じく参加していたこの男が、セイネリアの噂を聞いてイキがって喧嘩をふっかけに来て見事なまでに軽くあしらわれ、脅された末にセイネリアに絶対服従を誓ったという経緯がある。ちなみに絶対服従と言っても、勿論その程度の男がセイネリアと個別契約をしている訳ではない。
信用度も別格と言われているこの団だが、団員が全員真面目で真っ当な人間という訳でもなく、この男やクリムゾンのように団に入る前は腕はあっても評判が良くなかった人間も結構いる。それでも団員達の信用が高いのは団の評判を落とすようなマネ――契約違反や逃亡等は何があってもないからだ。なにせ団員達にとっては、団の長であるセイネリアを敵に回す事が一番怖い。セイネリアを敵に回すくらいなら死んだ方がマシだという事をよくわかっているので、セイネリアの顔に泥を塗るようなマネは絶対にしない。
「さぁって、やっとだな」
その場で大きく背伸びをしてから、長棒を背に回して両腕で挟む。エルの得物であるこれは刃物ではないから殺傷能力は高くないが、本格的に体を動かす前のストレッチにも使い勝手がいい。
「エル殿、準備運動が終わったら、軽く相手をしてくれないか?」
そう言ってやってきたのはラジーナ。両手剣を使うだけあって戦士らしい体格の……エルよりも背が高い女性だ。アッテラ信徒の彼女は真面目で、仕事の時以外では早朝の訓練を怠った事はない。
実を言うとこの団は女性比率が少なくて、特に戦士登録の人間は彼女ともう一人だけだ。術者枠ならもう少しいるが……まぁ、いろいろな噂もあって女性でここへ入ろうとする人間は少ない。
「おう、んじゃちぃっと待ってくれ」
体を伸ばして、腕を回して、足上げをして。眠っていた筋肉を急いで起こす。
「強化はどうする?」
「今日はなしで」
「ほいほい」
最後に手首足首をまわしてから、長棒で地面を突く。ラジーナがそれを見て距離を取ったから、エルも適度に距離をとって足元を確認する。
あくまでただの手合わせ程度だから審判役はいない。互いに武器を構えて腰を落とせばそれが開始の合図となる。
まずは、得物的にリーチが長いエルから仕掛けるのが礼儀というもので、長棒を伸ばして彼女の胸当てを狙う。当然それは避けられるが、そこまで深く踏み込んでいないからこちらもすぐに戻せる。だから即次の突き、それも避けられて次の突き、速い突きを繰り返せば、何度目かで避けるだけではなく彼女の剣が伸びきった長棒の先を叩いて横に流し、そのまま前に突っ込んできた。
勿論、そう簡単に懐に入らせはしない。
流された棒をその勢いのまま回し、反対側の棒の先で向かってきた彼女の体を横から叩く。セイネリア相手だとこれが間に合わない、間に合って叩けたとしてもびくともしないのだが、彼女は自分の間合いに入る前に叩かれて体勢を崩した。そこから彼女の胸当てを棒でつけば、彼女はこちらへ詰めた距離の分だけ後ろへ下がる事になる。
「まったく、やはり長い武器相手は難しいな」
「だけどマスターなら剣で俺にあっさり勝つぜ、いやまぁありゃぁ化けモンだけど」
「確かに」
笑って、ラジーナは改めて距離を取った後にまた構えを取る。
――さて、このまま相手を寄せ付けないのも訓練にならねーしな。
そりゃ実践ならこちらの有利な点を利用して一番勝率の高い動きをするが、今は勝つためにやっている訳ではない。いつもの勝ちパターンだけをやっているんじゃ訓練にはならない。
「エル、離れてつついてるだけじゃ男らしくねぇぞ」
ギャラリーもそう言っている事だし、と、エルは棒を前に出すと足を強く踏み込んで突進した。先ほどまで速さ重視で浅かった突きが今度は深く入る。当然、向こうとしては接近のチャンスであるから避けた直後にこちらに向かってくる。それは想定内だ、そして相手もそれが読まれているのを分かった上だ。
エルは長棒をまわして、彼女が接近しきる前に躱された棒の先で彼女の体を叩く。それは剣で受けられたが、受けるために彼女の足が止まった。エルは長棒を逆に回すと同時に一歩後ろへ下がる。彼女からすれば受けた反対側から攻撃がくる訳で、受けるには受けたがぎりぎりだった。
――こっちは剣と違って戻す必要がねぇからな。
この武器のいいところは持った箇所の上下ともに攻撃可能であるから、剣のように振ったあと戻す必要はなく、弾かれたらその勢いのまま回して棒の反対側で攻撃が出来る事だ。だから隙が出来にくい。ただ勿論、接近されたら一気に不利にはなる。
「そらよっ」
また棒を逆に回して彼女が受けた更に反対側から叩く。さすがに受けきれなくて彼女は一歩引いたが――そこで追撃を掛けようとしたエルは聞こえた音に反射的に目を向けた。そうして、何かがやってくると気づいて即、それを棒で叩き落した。
「え?」
カン、と乾いた音と共に手ごたえが返る。何を落としたんだと思って地面を見ればそれはナイフで――ただ、そちらに気を取られすぎた。
「うわぁっ」
気づけばラジーナがすぐ傍にいて、慌ててエルは防御する。かろうじて剣は受けたものの、両手で持った間で剣を受けるのは実践なら棒を折られる可能性があるため極力やらないようにしている。
「くっそぉっ」
その状態から思い切って剣を弾くと、同時に体ごと棒と共に回る。回りながらもしゃがんで今度は彼女の足を叩く。下に意識が行っていなかった彼女は急いで避けたが片足を引っかけられて体勢を崩す。そこで立ち上がると同時にエルが彼女の足を棒で更に引っかければ……彼女はそこで転倒した。
エルはそれを見届けて大きな安堵の息を吐く。そして即座に、先ほどナイフが飛んできた方向を睨んだ。
「なぁに、やってくれんだよ」
皆が集まっている輪の少し先、そこにはセイネリアとカリンがいた。
コミカライズの配信に合わせての臨時更新。
なので、気楽に読める話って事でエルメインの話にしてみました。内容的にも3話前後で終わる筈。