76・魔法使いの事情
ボンダリーが帰って、セイネリアはドートーの部屋から解放された。
ボンダリーは彼女の傷を信じたらしく、表面上は機嫌よくドートーのために仲間内に今回の事を広めてくれる約束をしていったが、態度や口調は来た時からすれば明らかにテンションが落ちてやけに事務的だった。その『がっかりした』感じからして、とりあえずここまでは計画通りに行ったと言える。
逆にドートーの方はやけにハイテンションになっていて、襲撃後の落ち込みぶりからは嘘のように浮かれて、実はボンダリーが帰った後も彼の上機嫌なだけの無駄話に暫く付き合わされる羽目になった。
――ま、ここは浮かれてもらってた方がいいさ。
その方が扱いが楽だからな、とセイネリアは声に出さずに呟く。この後はどうなろうと命を狙われる事はなくなる、あとは手続き通り彼女を手放せばいいだけだ、とドートーにはそう思って浮かれてもらっていた方があれこれ余計な事を考えさせずに済む。
――とりあえず、一番の問題は片付きそうだな。
放置すると一番後味が悪くなる話はこれでどうにかなるだろう。ただまだ細かいところでやる事は残っている。セイネリアはドートーの部屋からの帰り、ルーテアの部屋に行く前にある部屋に寄った。
「なんだ、終わったのか?」
部屋の鍵を開けて中に入ると、立ったまま本を見ていたらしい魔法使いはその本をテーブルに置いてこちらを向いた。
「あぁ、ボンダリーはさっき帰った」
「上手く行ったらしいな、良かったじゃないか」
こちらが結果を言う前にそう言われたから、セイネリアは僅かに目を細めた。それを見て魔法使いの女は笑う。
「上手く行ってなかったら、『帰った』だけで言葉が終わってないだろう」
「まぁ、そうだな」
魔法使いは今回の件を手伝うにあたってボンダリーに一度会っているらしい。だからある程度あの男がどういう人間かも分かっている。
セイネリアが部屋の中まで入っていけば、魔法使いは偉そうに椅子に座って足を組んだ。セイネリアも彼女の向かいの椅子に座ると、彼女に聞いた。
「それで、解放したらあんたはどうするつもりなんだ? ディスティナンに戻るのか?」
事情を聞いたところによると、彼女はディスティナンにいたらしい。クリュース外の国では大抵魔法使いを嫌っているから、国外に住んでいる魔法使いというのはそれだけでかなり珍しい。
「そうだな……ある程度あの国で調べる事は終わったし、今回の件もあるからな……戻るといろいろ面倒そうだと思ってる」
ただ当然、魔法使いとして魔法ギルドに所属しているのだから彼女はクリュースの人間である。
もともと彼女はボンダリー商会からディスティナンで取れるある植物を買っていた。そこから実際その植物の生えているところを見てみたくて、ボンダリーの船に乗せて貰ってディスティナンへ渡った。だがディスティナンでその植物の調査をしていた彼女は、怪しい人物と思われて王宮騎士団に捕まってしまった。とはいえディスティナンの王は、偏見なく面白そうなものはなんでも取り入れるタイプの男だったから、正直に事情を話した彼女に興味を持って滞在場所まで与えてくれた。
もっとも、そのせいで王の軽い頼みをたまに聞く事になって、商人達等、クリュースから来た人間との通訳によく呼ばれるようになり、そこからボンダリーの例の計画に関する提案を王に話す事にもなった。あとは話が進む中で当然のように魔法使いも協力する前提になってしまったという事だ。
「どうせ聖夜祭にはセニエティに戻らなくてはならなかったし、祭りの間は魔法の効果が上がるのもあっていろいろ試せてデータも取れるから面白いかと協力する事にしたが……正直、計画自体は成功したら面倒だから失敗して欲しいと思っていた。ま、結局失敗したからな、別に責められる事はないだろうが、もうあの王に付き合うのもいい加減面倒くさい」
魔法使いというのは俗世への興味はあまりなく、ひたすら魔法の研究だけをする連中だ――と一般的に言われているが、この女魔法使いはまさにその言葉通りの人間なのだろう。
「確かに面倒そうだな。あぁ……ちなみにあんたはディスティナンの連中と一緒にこっちにきたのか?」
「あぁ、まぁな」
さすがに頭がいい人間だけあって、セイネリアのその質問には少しばかり警戒したような目を向けてくる。セイネリアはわざと軽い口調で聞いた。
「なら、連中が帰る時にはあんたに声を掛けてくるんじゃないか?」
「まぁ……居場所を教えておけば、声は掛けてくるだろうな。……何かあるのか?」
ボンダリーのゲームに参加していた連中は、おそらくボンダリーが確認したと言って事情を話せば皆手を引くだろう。だがディスティナンの王にはきっと、それでは済まない。
「今捕まえてる連中は、彼女の顔の傷の話をしてから全員解放してやる予定だ。取引に使う予定だったから捕まえたままにしていたが、彼女の怪我でその必要もなくなったと言えば突然の解放も不審には思われない」
「まぁ……そうだな」
「ただディスティナンの連中は彼女の顔の傷が本当かどうかまず疑う。おそらく自国からも確認しろと言われるだろうな」
「確かにな」
「だから連中が確認して国に帰ると伝えてくる時まで、あんたに暫く付き合ってもらえないかと思ってな。勿論、無報酬とは言わない。なんでもとは言わないが、俺かあいつら自身で可能な範囲なら相応の礼はするつもりだ」
言えば魔法使いは少し驚いた顔をしてセイネリアの顔をじっと見て来た。
それから暫くして、呆れたように言ってくる。
「お前は他人の事などどうでもいいタイプの人間だと思っていた。そこまでお前がする理由はなんだ? お前にメリットなんかないだろう?」
「別にメリットがない訳じゃない」
言うと魔法使いはまた不審そうに顔を顰めた。
「恩を返してくれそうな人間には恩を作っておく主義なんだ。別に恩返しを期待してはいないが、今後どこで役立つか分からないだろ。それにまぁ、彼女も、彼女の騎士様も、どちらも本人達の好きにさせてみたら先が面白そうな人間だったからな、すっきり解放してやれば次に会う時の楽しみが出来る」
「本当にそれだけか?」
「あぁ、それだけだ」
言えば魔法使いは次は笑って了承の返事を返した。
ちなみに報酬代わりの魔法使いからの要求だが、ディスティナンの連中が帰るまでの滞在場所の確保と魔槍をじっくり見せる事、そして魔法使いがディスティナンで調べていた植物がおそらくユラドでも取れる筈だからそれを定期的に送ってほしいとの事だった。その植物は加工すると肌の感触に似せられるそうで、彼女はそれを魔法と合わせてより完璧に他人に成りすます事が出来るように研究していたそうだ。勿論それが、今回ルーテアの傷の感触を偽装するのに役だったのは言うまでもない。
魔法使いの事情はさくっと1話で終わりにしたかっため説明文多めになりました。
さすがにこの人の事情まできっちり回想いれてあれこれやってたらキリないので……。