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黒の主  作者: 沙々音 凛
【番外編:或る女の願い】
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68・覚悟

 彼女――ルーテアの部屋はおそらくこの屋敷の中でも一番窓からの眺めがいい。というのも庭の整備は彼女の窓から見る事を前提にされているそうで、この部屋からが一番よく見えるように考えられている――らしい。確かに昼の太陽の下で庭を眺めれば、特に花が咲くようなものはこの部屋から一番よく見えるところに配置されている。それはドートーがそれだけ自分を大切にしてくれているという事でもある。


――こういうのが里心がつくとでも言うのでしょうか。


 庭を眺めながら彼女は溜息をついた。

 ちなみにバルコニーに出る時はアンナが後ろについているから、自分が先ほどから外を見ては溜息を何度もついているのは全部見られているのだろう。ちらとアンナの方を見れば、傍には女魔法使いもいた。アーネイド達は既に別室に移されたが、魔法使いは女だという事でそのままこの部屋にいる事になったからだ。


 視線をまた庭に戻すと、また自然に溜息を吐いてしまう。

 彼女は、相当の覚悟をして奴隷となりこのクリュースにやってきていた。その覚悟は変わる事はなく、彼女も契約を破る気はない。そもそも自分が提案してこの状況にいるのだ。だが、故郷からやってきたかつて自分の護衛役だったら彼等と会ってしまったら……自国にいた頃ばかりがやけに頭に浮かんでしまって、あの頃に帰りたいという気持ちが自分の中に生まれてしまった。

 勿論、それは思うだけで自分の役目を放り投げてここから逃げたいなんて事までは思っていない。自分の覚悟を揺るがす程の事ではない。

 けれど……苦しい。

 時折胸がちくりと痛むような、きゅっと締め付けられるような、そんな気がしてしまう。ここに来て今まで割り切れていた自分の感情が綻びを見せている。それはきっと、諦めて切り捨ててきたものがまだ失われていないという事を知ったからだ。


――約束なんて、ただの気休めのつもりでした。


 アーネイドとの約束は、ただ自分の胸にしまっておければよくて別に実現しなくても構わないものだった。なにせ口ではああいっていたものの本当にドートーが自分を手放した後冒険者になれるかなんて分からなかったし、もし実現したとしてもその頃には迎えに来てもらえるような価値が自分にはなくなっているだろうと思っていたからだ。

 ただ故郷もそこにいる人々も全てを捨てて他人のモノになる覚悟の中で、自分を待ってくれている人がいるとその小さな希望を持っていたかっただけなのだ。


 だから彼が本当にその約束を果たすつもりでいたことが嬉しくて……ここから逃げる訳にいかない自分の境遇に悲しみを覚えてしまった。諦めていた筈なのに、諦めなくていい希望が見えてしまって心が未練を訴えてくる。


「ねぇ、さっき貴女が話してた人って……もしかして貴女の恋人だった?」


 唐突にそういわれて、驚いて彼女は振り向いた。


「え? いえ、そうではなく……ただその……幼い頃からずっと傍で守ってくれて……」

「つーまーり、貴女の騎士様って奴かしらぁ?」

「……あぁはい、そうですね」


 彼は確かに国では騎士だ。そして彼女を守ると誓ってくれていた。だからそれは間違っていない。だから答えに迷いはない。

 だがアンナは何故か微妙そうな顔をしていた。魔法使いなど隣で笑っている。


「まー……うん、そうね、可哀想というか……」


 彼女はその言葉の意味が分からなかった。

 だがそこで別の声が聞こえて、彼女は急いでそちらを見る事になった。


「あまり長く外にいないで貰えるか? 一応まだ狙ってる奴がいるかもしれないからな」


 それはあの黒い男の声で、となると彼女としては聞く事があった。


「あの……彼等は、どう……なりました?」


 アーネイド達ユラドの者は、この男がドートーを助けにいく間だけはこちらにいたが、彼らが戻ってきたあとは別室に連れていかれてしまった。それからこの男ともう一人の男は改めてドートーに事情を説明しに行って、そこでアーネイド達をどうするか聞いてくると言っていた。


「あぁ、あんたを攫うって手紙を出したのはボンダリーの仕業だというのはドートーも分かってる。彼等はボンダリーにあんたがドートーから酷い扱いを受けてると言われてそれを確認しにきただけだと話した。それであんたから説明を受けて納得し、あんたを守るためにこちらに協力してくれた――という事にした。まぁ、基本的には嘘はない。ドートーも彼等は解放する事で納得はしている」

「……そうですか」


 安堵して大きく息を吐き出す。ともかく、彼等の身を案じなくて済む事だけは本当に良かった。


「ただドートーが回復してから一度、彼等から直接話を聞く事になってる。確認程度だ、そこで彼等が俺の説明通りの返事を返せば問題ないだろ」


 この男がドートーに言った事は確かに嘘ではない。アーネイドは嘘がつけない男だが、ドートーには真実を告げるのだから問題はない筈だ。

 だが、それでまた胸に手を置いて安堵の息を吐いた彼女に、黒い男は続けて言ってきた。


「俺の説明に嘘があるとすれば、ユラドの連中は最初は確かにあんたを取り戻す気でこの国に来たという事くらいだ」

「ですが、この屋敷に来た時にはその気はなかったのですよね?」

「あぁ、ここから逃げる気はないというあんたの返事を予め伝えてあったからな。……だが、彼等が何と言われてこの国まであんたを助けに来たか分かるか?」

「え?」


 この男の先ほどの言葉を考えるなら、自分がドートーから酷い扱いを受けているからである。ただわざわざ聞いて来たなら、その酷い扱いがどういう事かという意味なのだろう。


「酷い扱い……食べるものも与えられず、使用人以下の生活をさせられていると……でも」


 黒い男は呆れたように苦笑をした。


「あんたがドートーを拒絶したせいで、部下達の慰みものになっていると言われたそうだ。意味が分かるか?」


 彼女は最初、意味が理解できなかった。だがよくよく言葉を考えて、そして思いついた事に思わず顔が赤くなる。考えれば考える程頬が熱くなって彼女は返事を返せなかった。赤くなっている自覚があるから思わず顔を下に向けてきつく唇を閉じる。

 そうすれば憎らしい程冷静な男の声が上から掛けられた。


「分かったらしいな。……なら、そんな目にあっただろうあんたを国を裏切ってまで助けに来たあの男の覚悟を分かってやれ」

「国を……裏切った?」

「そうだ、取引として渡したあんたを取り返せば国としてはドートーを裏切った事になる。国の利益を損ねる事なのだから当然、それを実行するのは国を裏切るのと同じだ。それを分かっていて、それでもあの男はあんたを助けに来た」


 言われればその通りだった。最初に彼女がアーネイド達を怒ったのも、彼らが来た事が自分や国の意志に反する事だったからだ。馬鹿な事だと分かっていたのに、彼らが国を裏切ってでも自分を助ける気持ちでいた事を考えなかった。そこまでの覚悟があったとは考えなかった。

 そして、彼らが救おうとしていた自分が、どんな状態の自分だったかを考えれば……。

 

「アーネイドはどんな私であっても迎えに来てくれると言っていました」


 それが真実であると証明されたのだ。それを実感すれば、ずっと燻るように続いていた胸の痛みが更に強くなる。苦しくて悲しくて、でも嬉しい気持ちもあって……いつの間にか瞳からは涙が落ちる。


「何故……そんな事をわざわざ私に言ったのですか?」


 どこまでも冷静な黒い男の表情は彼女には読めなくて、だから聞くしかない。


「別に、大した意味はないさ。ただ、あの男の覚悟にあんたはどんな覚悟を返せるのか興味があった」


 それだけを言うと黒い男はじゃぁな、と言ってカーテンの向こうへ行ってしまった。

 涙は、暫くの間止まらなかった。


彼女をどうするか、という話があと数話。

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