66・雇い主への報告
太陽はとうに高く昇り切って今はもう降り始めている。
夜の騒がしさが嘘のように屋敷には平穏が戻っていて、そんな中、まだ一人だけ平穏に戻り切れていない屋敷の主人はベッドの中でだるそうに溜息をついた。
「とりあえず……ご苦労だった。お前達のおかげで私も彼女も無事で済んだ、そこは礼を言う」
体はもう寝る程ではないだろうが精神的な面でのダメージが大きいのか、ドートーはそう言って辛そうに表情を沈ませた。
セイネリアの読み通り、あの地下の部屋で縛られたまま転がされていたのは顔を変えられたドートーと警備隊長だった。2人とも結構ひどく殴られた上で口に布を噛ませられて縛られていたため、戦闘が終わってしっかり治癒を受けるまでは黙って転がっている事しか出来なかった。
ただ一応戦闘終了後、その場でリパ神官二人が完治するまで治癒術を掛けたから体のほうはもうなんともない筈だった。実際、警備隊長の方は怪我を治した後はすぐに仕事に復帰して、今はいなくなった兵の数を把握するために忙しそうに動き回っている。
とりあえず雇われた側の義務として何が起こったのかその報告はしなくてはならないため、ドートーが落ち着いたと聞いてからディタルとセイネリアは改めてここへ報告来たという訳だ。とはいえ、ドートーはこちらが何を話しても気のない相槌を返してくるだけで目はずっと虚ろなままだった。相当怖い目にあったのか、それとも信頼していた護衛が最初から敵対勢力の回し者だったというのがショックだったのか……一晩で一気に歳を取ったのかと思うような顔をしてずっと何か考え込んでいるような状態だった。
「今回は向こうが用意周到過ぎた。まさか商人や国外の連中相手で魔法使いが出てくるとは思わない」
セイネリアがそう言ってみると、ドートーはどこか怯えたような顔でこちらを見て、聞いてきた。
「警備の兵は……どれくらいの人数が入れ替わっていたんだ?」
「正確な数は今警備隊長殿が調べています」
セイネリアの代わりにディタルがそう答えれば、自分から聞いてきたくせにあまり興味がなさそうに、そうか、とだけ言って終わった。さすがにその反応にはディタルがこちらに助けを求めるような目で見てくる。
――ロッダに何か言われたか。
ここまで様子が変わるのだから、ただ裏切られて殴って気絶させられただけではないのだろう。
ともかくドートーがこの様子では話にならないと、セイネリアが肩を竦めて見せればディタルも諦めたように溜息をついた。
「まだお体の具合が良くなさそうですので我々はこれで失礼致します。とりあえず祭りが終わるまでは契約通りこのまま彼女の警備を続けますので、何か契約に変更があればお声を掛けてください」
ディタルとしては昨日で連中を一通り撃退したからこれでお役御免となることも見越しての言葉だったのだろう。報告の中でもユラドからきた連中は彼女を連れ帰る気は全くないと伝えたし、他の手の者についてもあれだけの事前準備をして潜入した者達は勿論、その潜入の要だった魔法使いやアッテラ神官まですべて捕らえた、だからディタルとしてはこれですべてが終わったつもりだったのだろう。
だがそんな彼の感覚を裏切るように、今まで無気力だったドートーが急に目を見開くとディタルに怒鳴ってきた。
「け、契約は延長だ、祭りが終わったからと言って私を見捨てないでくれっ」
そこでまた、ディタルとセイネリアは顔を見合わせる。ただこの反応で、セイネリアとしてはドートーの様子がおかしい理由に大体の予想がついた。
「延長、というと何時までになるのでしょうか?」
「そんなの私の安全が確定するまでだ」
「それは……具体的にどうなれば、という基準があるのでしょうか?」
「私が狙われている間はずっと雇う、だから私を見捨てないでくれっ」
これは今話しても無駄だろう――ディタルとセイネリアはお互い目で確認する。それでディタルも、とりあえず強引に話を終わらせる事にしたらしい。
「分かりました。ですがまだ貴方の体調も万全ではないようですし、今日はゆっくりされて、落ち着きましたら改めて契約の話をさせて下さい」
「あ……あぁ……か、勝手に出て行ったりはしないだろうな」
「はい、先ほど言いました通り、祭りが終わるまでは警備を続けますので、とりあえず今日は一日ゆっくり休まれてはいかがでしょうか」
「あ……あぁ、そうだな」
それでやっとセイネリア達はドートーの部屋から解放された。当然この状況には相当困ったようで、部屋を出てすぐディタルは頭を押さえて盛大に溜息を吐いた。
「契約延長……と言っても、長期で受ける気はなかったんだけどな……」
基本的に紹介所を通して冒険者に依頼するような仕事は、決められた期間内のその場だけの仕事ばかりだ。勿論ドートーの屋敷における警備兵の募集のように長期の募集もあるにはあるが、長期的に仕事を頼むような場合は雇い主側は前に仕事を頼んだ事がある人間に名指しで頼んだり、紹介所を使わず知人からの紹介を通して頼む事が多い。
「俺も当然、この仕事をそんなに長くやる気はない」
「だよね」
ははは、と気のない笑いと共にディタルが困った顔でこちらを見てくる。
「だからまぁ、さっさと契約終了に出来るようにしてみるさ」
「え?」
驚いて目を見開いたディタルに、セイネリアは薄い笑みを返した。
ここからは事後処理の話。