46・下へ3
「え? いや、それってよ……」
当然だろうが、セイネリアの言葉に対してセルパは混乱したように顔を引きつらせて首をひねる。ただこの男に理由をいろいろ説明するのは時間が勿体ない。要点だけを話しておけば、あとはディタルが察してくれるだろう。
「俺は契約を破るような事は絶対にしない。彼女の安全を考えたらその方がいいという話だ。あんたは一旦上の部屋に行って、俺が暫く彼女を隠しておく事を伝えておいてくれ。なんならそのアッテラ神官らしい奴は連れていくといろいろ聞けるかもしれないぞ」
「いや、それなら俺もついて行った方がいいだろ?」
「隠す事を報告しておかないと騒ぎになるだろ。それに……ディタル達が上で無事かどうか確認しておくべきだ」
「あぁ……そう、だな」
ディタルの名を出したところでセルパの顔色が変わる。彼としては仲間が無事かどうか、本当は今すぐにでも行って確認したい筈だ。……ただ本音を言えば、セイネリアとしてはこれから隠れようという時にセルパみたいな隠密行動がどう見ても無理そうな男に付いてきてもらいたくないというのもある。
「あの……これでいいですか?」
奴隷女がセイネリアのマントを頭から被ってこちらに確認してくる。
「あぁ。……では悪いが暫く我慢しててくれ」
セイネリアは彼女の背と膝に腕を入れて抱き上げた。彼女は小さく悲鳴を上げて体を強張らせたが抵抗はしなかった。
「騒ぎが落ち着くまで隠れておく。なに、敷地内にはいる。もしドートーが何か言って来たなら上手く言っておいてくれ……と、ディタルに伝えてくれ。じゃぁな」
まだ多少納得できないところもあるのか微妙な顔をしていたセルパだったが、セイネリアが彼女を抱き上げたまま走り出しても引き止めるような事はなかった。セイネリアは庭に設置されたランプ台からの明かりを出来るだけ避け、暗闇を選んで走る。こういう時にいつも服装を黒で統一している意味があるというものだ。
「あの……どこへ行くのですか?」
一応気を付けて小声で言ってきた彼女をの言葉を聞いて、セイネリアは警備兵達を避けるため一時隠れたところで彼女に返す。
「見つかり難そうなところまで。……安心しろ、あんたを無事守り切るのが俺の仕事だ、雇い主との契約もある、あんたには何もしない」
「分かりました、貴方を信じます」
抱いている腕に彼女の体の震えが伝わってくる。声は精いっぱい強がっているが、体はどうみても怯えている。世慣れした話し方をする彼女だが、実際に危険な目にはあった事がないのだろう。
「あんたにも、あんたを慕ってここへきた連中にも、出来るだけいいようにはしてやる。だからあんたはどんな状況になってもドートーを裏切らないと約束してくれ」
それに彼女は一瞬黙った。だが頭の回転のいい彼女の事だ、それがどういう意味かは分かっているだろう。
「それは……もし国の者に一緒に行こうと言われても拒絶しろ、という事ですね」
「そういう事だ、ユラドの姫君」
彼女が笑う気配が返って、体の震えが止まる。体の緊張感は残っているものの、前よりも彼女がこちらに体重を素直に預けているのは分かる。
「嫌味ですか? ……私の事はルーテアと呼び捨てで構いません。ドートーの前以外でなら、ですけど」
「確かに、ドートーの前以外じゃないとマズイな」
そこでまた彼女が笑う。
警備兵が通り過ぎたのを確認して、セイネリアは隠れていたところから出てまた走り出した。さっきのアッテラ神官が警備兵の恰好をしていたところからして、敵が警備兵に紛れ込んでいると見ていいだろう。となると警備兵にも見つからないようにするべきだ。
とはいえ建物から離れるにつれ、その警備兵も殆どいなくなる。警備されている場所があまりにも偏りがありすぎて、ちゃんと指示を出しているものがいるのか疑問になるくらいだ。
――これもボンダリーが何か手をまわしているせいか?
ボンダリーが商人達にルーテアを連れてくるように指示し、そのためのお膳立てとしていろいろ手を回しているのは分かっているが、実際何をしているのか全部分かっている訳ではない。ただおかしいと思った事は何者かの意図が入っていると考えるのが自然ではある。
セイネリアは建物から離れるように、外周に向かって走る。
勿論、ただ隠れられそうだというだけでその方面に向かっているのではなく、セイネリアには考えがあった。やがてセイネリアの視界に外周の塀が入って来たところで、近づいてくる気配が一つ。それは傍にくると横にぴったりつくように並走してくる。見なくても分かる相手に、セイネリアは聞いた。
「カリン、ユラドからの連中はどうした?」
セイネリアがルーテアを部屋に戻すのではなく、外で隠した方がいいと考えたのには分かり易い場所においておくのが危険だからというだけではなかった。カリンがいるのなら戦闘状態になっても彼女を守ってもらう事が出来る。それに、もしまだユラドの連中がいるのなら彼等を利用も出来るだろうと、そう考えたからだった。
「下へ」はここまで。次回はカリン視点でセイネリアと合流する少し前から。