43・治癒2
アンナは笑ってディタルに言った。
「なーにやってんのよ、治癒で思ったより疲れちゃった?」
「いや、違う……これ、は」
だが返ってきた彼の声がやけに深刻だったせいでアンナも何かを察する。急いでアッテラ神官の男を睨めば、彼は最初からこちらにいた警備兵の男を蹴り飛ばしていた。
「神よ、その慈悲の尊き光を我に――」
こいつやっぱり――思った時にはゾーネヘルトが光の術を唱えていた。アンナはそちらに背を向け、バルコニーにいる筈のルーテアに向かって叫んだ。
「下へ逃げなさいっ、早くっ」
光が消えたと同時に振り向いて弓を構えようとしたアンナだったが、そこで目に入ったアッテラ神官は、目を押さえて騒いでなどいなかった。
「何度も同じ手は利かないだろ」
目の上を覆っていた手を離して、アッテラ神官の男は笑う。確かに、クリュースの人間同士だとリパの光の術は有名過ぎて工夫しないとそうそう使える手ではない。アンナは咄嗟に弓を落として腰の短剣を抜く。と、同時にアッテラ神官の男の足が迫ってきたからそれを避けた。チ、と舌打ちが聞こえたかと思うと蹴りがもう一発、それは横に転がって避けた。
そのまま距離を取って起き上がると、向こうは忌々し気に両腰から幅の広いタイプの短剣を抜いた。
「な~んだ、拳で勝負してくるのかと思ったわぁ。男らしいと思ったのに」
茶化して言えば、相手は顔を顰めてふん、と鼻で笑う。なんでもいい、今は時間を稼がなくてはならなかった。
「悪かったなっ」
相手の短剣が襲ってくる。それをこちらの短剣で弾いたが、軌道を逸らすのが一杯一杯だ。手ごたえとして、完全に向こうの刃を受け止めるのは力の差で無理だろう。しかも一つをしのいでも即座にもう片手の短剣がやってくる。アンナはそれを左手にもったままだった矢で受けながらしゃがんで避けた。矢は折れたがかろうじて刃を逸らす事は出来た。すぐさまアンナはその体勢から足を延ばして相手の足を払おうとするが、足はただ床を滑るだけで終わる。既に向こうは後ろへ飛び退いていた。
だがその男へ、背後から鈍器が振り下ろされる。ゾーネヘルトだ。
「なんだこいつっ」
まさか老神官が殴り掛かってくるとは思っていなかったのか、相手は驚いてまた飛びのいた。
――爺様は魔法だけじゃないのよ。
彼の腰に下げている小ぶりのメイスは飾りではない。普段は基本、魔法だけで戦闘参加はしないが、ゾーネヘルトは長く冒険者をやっているだけあって体もかなり鍛えている。若い頃は普通に戦闘に参加していたと昔話としてよく聞いていた。
とはいえ、ふい打ちならともかく、真向勝負になれば神官同士とはいえ戦闘の専門家には敵わない。ゾーネヘルトの2撃目も避けられて、前のめりになった老神官の体は相手に蹴り飛ばされて床に転がって行った。
勿論、アンナはそれを黙って見ていた訳ではない。
ゾーネヘルトが飛ばされる前に、短剣を構えて相手に向かっていた。アッテラ神官の男はそれにぎりぎりで気がついて避けようとしたが、それは出来なかった。
男の目が忌々し気に足元を睨む。倒れたままのディタルが男の足を掴んでいた。
逃げられないから、相手はアンナの短剣を受ける。それから、体勢を崩しながらももう片手の短剣でこちらを刺そうとしてきた。アンナはそれを後ろへ引いて避けると共に相手の腕を蹴った。これは綺麗に入って男は片手の剣を落とす……だが。
「くっそぉぉっ」
アッテラ神官の男は怒鳴ると同時に、蹴って戻ろうとしたアンナの足を掴んだ。そのまま引っ張られて体毎床に叩きつけられる。さすがにアンナも悲鳴が漏れた。
「貴様もだっ」
それから、未だ男の足を掴んでいるディタルを掴まれていない方の足で蹴る。
「大人しく寝てろっ」
何度かディタルを蹴ってその手が緩んだところで、無理やり彼を振り切って足の自由を取り戻す。アンナは立ち上がって男の前に行こうとしたが、相手はその前にアンナを横へと蹴り飛ばした。
「邪魔だっ」
男は落ちた剣を拾うと、カーテンを掴んで乱暴に開き、奥へと向かう。
――貴女のおてんば姫エピソードが嘘じゃない事を願うわ。
痛みに意識が薄れそうになりながらカーテンの向こうに消えて行った男をアンナは睨む。出来る限りの時間は作った、あとはルーテアが既に下におりていてくれる事を祈るしかなかった。
って事で次回からは下のセイネリア達の話になります。