37・歌が……
歌が、聞こえた。
声は遠いから小さかったものの、それでもその声が誰のものかはすぐ分かった。
その時、アード達はどうにか建物の裏側まで来て塀沿いに植えてある木の陰に隠れているところだった。まずは目を閉じてその歌声に神経を集中し、それからゆっくり目を開けて歌が聞こえてくる方向に目を向けた。
そこで彼は見た。
予め知らされていた部屋の窓のところに立つ女性の姿。満月の夜の月は明るく、彼女の姿を浮かび上がらせる。勿論、遠すぎて顔が見える事はなかったが、明るい色の彼女の髪が月明りに光って見えて、なによりこの声が彼女が本物だと伝えていた。
ふと、他の3人を見れば、彼らも呆けたようにその方向を見ている。
「ルーテア様……」
呟いたツランの目には光るものが見えた。
「あぁ、間違いない」
アードがそう答えると、誰のものか分からないが鼻をすする音が聞こえた。歌声は間違いなくルーテア姫のもので、かつて彼女が城で歌っていた時の声とぴったり重なる。忘れる筈がない。
彼女は歌が上手かった。だが機嫌がいい時しか歌ってくれないから、アード達彼女に付く事が多かった者は歌ってほしくて彼女のちょっとした我がままに付き合う事がよくあった。しかも彼女は客たちには歌が上手い事を黙っていたから、城で働く者達は皆、自分達だけが彼女の歌を聞く事が出来るのだというちょっとした優越感を感じていたくらいだ。
歌に乗せて、その彼女がユラドの言葉で言っている――自分はここで良い暮らしをしている、元気でいるから心配の必要はない、務めを果たすまで帰る気はないから自分を連れに来たのなら帰れ――と。何度もそう繰り返されて、絶対にここまで来るなと締められる。メロディーは子供の頃によく聞いた子守歌なのに、歌の歌詞はどう聞いても脅しのように物騒で――そのあたりもとても彼女らしいと思った。懐かしい声を聞いていれば、やがて歌は終わってしまう。
「どうします?」
ツランが聞いてきたから、アードは苦笑と共に答えた。
「帰るしかないだろう。ルーテア様が元気でいらっしゃる事が確認できただけで……十分だ」
それでも名残惜しむように窓に立つ姿を見ていれば、やがて彼女は部屋の中へ入ってしまって、代わりに別の人間が彼女のいた場所まで出てきて何やらバルコニーから身を乗り出している。
「何かあったのかな」
呟いて、考える。身を乗り出している人物は下の方と何かやりとりをしているようで、せわしなく動いている。たまに聞こえる声でのやりとりで、縛っておけ、とか、ヤバイ、とかいうのはかろうじて分かったが、詳しい事は分からない。ただ何かが起こっているのは確かだろう。
「どうします? 戻りますか?」
今度はホーツが聞いてくる。
「そうだな……いや、もう少し様子を見てみよう」
カリンという女性からは絶対に、建物前にある石畳から先には行くなと言われている。ここまですべて彼女のいう事が正しかった事もあって、彼女の言葉は信用している。何より先ほど助けてもくれた、その彼女の忠告を無視する気はない。
幸いなところ、警備兵達は主に建物近くを警戒しているようで、建物からかなり遠いここらはあまり見に来てはいないようだ。
「どうやら我々以外にも侵入者がいるようだな」
言いながらティードルの方を見てみれば、彼はこちらから顔が見えない方を向いていた。自分達を囮にして他の勢力が彼女を狙っている事をディスティナンと通じている彼が知らない訳はない。おそらく向こうで何かあった様子なのも、他の侵入者のせいなのだろう。
彼女の救出は諦めるとしても、今すぐここから逃げるには警備が動き回っている現状では難しく、様子を見たほうがいいと思われた。それと……出来るならば元彼女を守る騎士として、間接的にでもいいから彼女を狙う連中を排除する役に立ちたいという思いもあった。
次はセイネリア達の話に戻ります。