11.交代2
それにしてもあの様子からして、彼等は似たようなやりとりをいつもやっているのだろうとセイネリアは思う。全員悪意がないから、見ていて呆れはするが不快感はない。セルパやディタルの年齢からして10年以上組んでいるなんて事はなさそうだが、それでも固定で組んでから長そうに見えた。
廊下の上の方には小窓があるから陽が上がってくればランプ台の明かりがなくても周囲が明るくなってくる。部屋を出たばかりの頃はまだ空はうっすら青くなった程度だったが、今はかなり白く明るくなっていた。
耳を澄ましていれば、外から鳥の囀り以外の生活音が聞こえてくるようになる。
やがて食事の匂いが漂い出し、大神殿の方角から朝一の鐘が聞こえてくる。
そろそろここの主人が起きて朝食の時間か――と思っていた辺りで、セイネリアは数人の足音とワゴンの音が近づいてくるのを聞いた。奴隷女の朝食を持ってくるにしては人数が多いと思ったところ、現れた人影達の先頭にドートー本人がいた事でセイネリアは僅かに眉を寄せた。
「ご苦労」
セイネリアがドアの前から避けて軽く頭を下げれば、ドートーはこちらを一瞥して、そう声を掛けて部屋の中へ入っていく。ワゴンに乗っていた食事の量からして、ドートーは朝食をあの奴隷女ととるつもりで来たようだ。
――そういえばドートーは結婚していないのか。
彼の歳と地位からすれば結婚していないのは珍しい。その結婚していない理由があの奴隷女だとすれば随分ご執心だとしか言えないが。
ドートーが来た後、部屋からは時折彼の声が聞こえてくるようになった。彼が部屋の中にいる間は基本中の厚いカーテンは開いているのだろう。会話内容が分かる程ではないが、笑い声等、大きい声を出した時には廊下までその声が響いていた。たまにアンナの声も聞こえるから、彼女も会話に参加させられているようだ。例の奴隷女の声は聞こえないから、彼女は声が小さいかあまりしゃべっていないか……おそらく、両方ではないかと思う。
――勿論、それはあの女がそう演じているからだけだろうが。
あれは歳の割にかなりしたたかなな女だ。自分の武器を分かっていて男を手玉に取っている、上客持ちの娼婦達と同じ匂いがした。
そうして暫く中からはドートーやアンナの声が聞こえていたが、それが途切れたと思った後、代わりに昨夜も聞いた女の声が聞こえてきた。
――また、歌っているのか。
昨日とは明らかに違う歌だというのは分かったが、やはり言葉の意味は分からない。今回も知らない異国の歌だ。
ふと気づくと、おそらくは廊下を巡回している兵がこちらの通路前で立っていた。そのまま動く素振りがないところからしてこの歌を聞いている……と思ったそれは正解のようで、暫くして歌が止むと同時にその兵は動きだした。
「おい、ちょっといいか」
静かな廊下はそこまでの大声を出さなくてもあの位置なら聞こえる。その兵は体の向きを変えただけで歩き出す前に足を止めた。セイネリアは相手を怖がらせないようにゆっくり近づいていく。
「私……ですか?」
近づき過ぎず、5歩分は離れた位置でセイネリアは足を止めた。
「お前、『歌』を聞いていたんだろ?」
聞くと明らかに兵士は動揺した様子で周囲をちらちらと見ているから、セイネリアは出来るだけ軽い声でその兵に言った。
「別に誰にも言う気はないさ、安心してくれ」
それで安堵した様子の男は、一息つくとおそるおそる聞いてきた。
「あの……それで……何の御用でしょうか?」
「歌は毎朝同じ時間に聞こえるのか?」
脅されるとでも思っていたのか、その質問をしてやっと相手の声が軽くなる。
「はい、毎朝……時間も旦那様に予定が入っていない限りは大体同じです。旦那様との朝食が終わった後に歌ってくださるそうですので」
「昨夜も歌っていたようだが、夜も毎回同じ時間なのか?」
「いえ、夜はその時その時で違います。というか、夜はたまにしか歌ってくださいません。眠れない時に歌っていると聞きました」
「毎回同じ歌なのか?」
「その時々で違います。どの歌も歌詞の意味は分かりませんが、それでも素晴らしくて皆聞き惚れてしまいます。……昨夜貴方は聞けたのですね、正直羨ましい、幸運でしたね」
眠れない時に歌っている――それは誰から聞いたのか。聞いてみようかとも思ったがやめた。代わりに兵士が期待しているだろう言葉を返しておく。
「そうだな、確かに幸運だった。素晴らしくいい声だ」
案の定、兵の顔が嬉しそうに綻ぶ。うっとりとした瞳は昨夜の兵と同じだった。
「えぇ、とても素晴らしくて……なので部屋近くの警備担当になった者は皆楽しみにしているんですよ」
この言い方だと、やはりここの警備兵達の間では彼女の歌は有名なのだろう。そしてそこまで知られているという事なら、それを誰かが話して外部の人間が知っていてもおかしくない。いざとなったら合図等にも使える訳だ。
実はセイネリアの考えている内、『紅の西風団』とかいう連中が彼女と繋がっているというセンはかなりありえると思っている。そうでなくても、彼女の出身地の人間である可能性は高い。勿論まだ確定ではないが、彼女も、例の団の連中も海の向こうから来たと考えれば関連性を疑うのは当然だろう。
「ちなみにあんたは、いつからここに雇われてるんだ?」
「え? あ……はい、ここでこの仕事をしてからだいたい一年が経ちました」
「ドートーは金払いがいいからな、あんたも幸運だったな」
「はい、幸運でした。しかもこんな幸せな楽しみもありますし。正直こんな大きな屋敷の警備なんて不安で仕方なかったのですが、あの方の歌を聞けるなら多少のキツさは気になりません」
さすがにセイネリアの顔をしっかり見てはこないがこちらに対しての警戒は大分消えたらしい。兵の口の滑りがよくなってきた。
「しかし……そんなに待遇がいいなら、競争率も高かったんじゃないか?」
「あぁ……えぇっと、その時は結構な人数を取ってくれたので……申し込んだ人間は大半採用されたみたいです」
つまり一年前に警備兵を多く採用して、館の警備を強化したという事だ。更には言い方からして、彼がここに来た当初からあの奴隷女がいたと考えていいだろう。
「そうか、分かった。呼び止めて悪かったな、もういいぞ」
言えば本気でほっとしたらしい息を吐いて、彼は向こうの通路へと歩いていく。セイネリアもすぐに部屋のドア前へと戻った。
次回は奴隷の彼女の方の話。