9・調査依頼
娼館であるワラントの館は当然、夜の方が賑やかである。
とはいえセイネリアが入るのは裏口であるから客と顔を合わせる事はない。真っすぐ通されたワラントの部屋は、外の喧噪からも隔離されたように静かだった。おそらく、外に漏らす訳にはいかない話もするこの部屋は、音を遮断する魔法が入っているに違いない。
「どうしたんだい、急にさ」
部屋の中ではここの主人である老女が椅子に座って待っていて、横にはカリンが立っていた。今日は約束していた訳ではないからカリンだけに会えればいいかと思っていたのだが、女ボスは上機嫌で迎え入れてくれた。
「悪いな、もう寝ていたんじゃないか?」
「娼婦がこんな早くに寝るかい」
「あんたは引退したろ、それに年寄りは早寝するものだ」
「ウチの子達が騒いでるのに寝てられないよ」
ひゃひゃ、とかすれた笑い声をあげて娼婦間情報屋のボスである彼女は笑う。セイネリアが彼女の前の席に座れば、カリンがワラントとこちらにグラスの準備をする。
「実は今仕事中なんだ、調べてもらいたい事があったからちょっと抜けてきた」
ワラントは片眉を跳ね上げてこちらの顔を見てくる。
「おやまぁ、大丈夫なのかい?」
ただ口調は笑っている。セイネリアは注がれた酒を軽く飲んでから、口を拭った。
「ちゃんと許可は取ってきたし、今夜は俺の番じゃない」
「ふん、そんなに急いで来る程重要な話かね?」
「さぁ、そこはまだ分からない。だが出来るだけ祭り前に情報が欲しいんだ」
「それはまぁ……運にもよるねぇ」
言いながら老女はカリンを見る。カリンがここに世話になるようになってからは、セイネリアの調査依頼は基本彼女がやる事になっている。カリンはセイネリアの部下であるから情報料は発生しない――という事になっているが、ワラントの情報網を使っていいという段階でワラントが無償でセイネリアに協力しているも同じだ。勿論これはワラントが言い出した事で、当然ながら情報料を払わない分、『借り』を作っているとセイネリアは思っている。
「間に合わなかったら仕方ないさ」
緊張する顔のカリンを見て、セイネリアは軽くそう告げておいた。無茶をされても困るから急かすような言葉は言わない。勿論予告された祭期間に入る前にある程度敵のめぼしはつけておきたいのは本音だが、それで彼女に何かあっても困る。今の彼女はセイネリアの部下として成果を出そうと必死になっているところがあるから、あまりプレッシャーはかけないようにしている。
「……で、何を調べて欲しいんだい?」
こちらの思惑も大体察した上でワラントがそう聞いてくる。セイネリアとしてもさっさと用件を済ませたいからありがたかった。
「『紅の西風団』という連中を知っているか?」
それには即答が返ってくる。
「知らないねぇ」
「あぁ、俺も知らない。おそらく、テキトウに名乗っただけの名称か、出来たばかりの組織名だろう」
「そうだねぇ、実績が何もないのは確かだろうねぇ」
「今までの実績はなくてもこれから何かやる可能性はあるからな、一応調べて見てくれ。それとドートー商会、もしくはそこの主人であるアンジェック・ドートーについて調べている連中がいないかも調べて欲しい」
それでドートーが今回の依頼主だろうとワラントは察したのだろうが、彼女は何も言わない。勿論、情報屋として長い彼女は気づいていても気づいていないふりをするし、こちらも口留めをする必要もない。
ワラントの横では、カリンがメモを取っていた。書き終わって彼女が顔を上げたのを見て、セイネリアは話をつづけた。
「あとはドートー商会の最近の仕事……特に国外の仕事についても調べて貰いたい。ドートー個人についても、様子が変わったとか、気になる行動があったとか、そういう話があればその時期やきっかけも調べておいてくれ。勿論分かる範囲でいい、無茶をして探る程じゃない」
「ふん、しかし、ドートー商会ねぇ……」
話に割り込むように呟いて、ワラントは自分のグラスを口に運ぶ。何かあるらしいと思ったセイネリアは彼女がグラスから口を離すまで待った。
「確かあそこは立派な船を持ってるねぇ、となれば外国との取引は多いだろうよ」
「『西』というのは海の向こうという意味かもな」
セイネリアの呟きに、女ボスは意味ありげな笑みを浮かべる。
「そうさね、それは案外当たってるかもしれないよ」
首都の西には港町リシェがある。西からきた、つまり港からきた、という意味で『西風』なんてつけたのかもしれない。奴隷女が歌っていた歌の事も考えるとほぼそれで正解だと思える。
「なら一度リシェに行ってきたほうがいいかもしれないねぇ。カリン、行くならエレーナを連れてお行き、あの子はリシェの担当だからね」
「ですが婆様、それでは……」
「丁度買い物もあったからね、ついでさ」
買い物があるというのは嘘ではないだろうが別に急ぎではない筈だ。カリンのためにわざとそう言ってくれているというのは分かった上で、カリンはそれ以上は抗議しなかった。かわりに、ありがとうございます、と礼を言って頭を下げる。カリンに優しい笑顔で応えた老女は、そこからセイネリアに確認するような視線を送ってくる。貸しだよ、と。
食えない婆さんだと思うが、ただの親切よりもその方がこちらとしても頼みやすいというところまで織り込み済みだろう。勿論いつか彼女にはまとめて『借り』を返さなければならないと思っているが、それもそこまで遠い話ではないと思われた。
今回は、カリンが裏で結構がんばります。