88・希望
「いやー本当にいじめじゃねぇのか」
扉が閉まると同時にエルが言ってきたから、セイネリアは冷静に返した。
「俺と2人だけよりいいだろ」
「いやま……そりゃそうだろうけどよ……」
サーフェスがそこで笑う。
「いいんじゃないかな、これで団でやっていく度胸がついたんじゃない?」
「あー……うん、まーなー」
「あ、あとで僕のとこに一回来るようにって言っておくの忘れた。体調のチェックしておきたいからね」
「俺も一回ちゃんと腕見ておきたいんだよな。強化入れてどうなるかとかもさ」
「じゃ、それ言いに行く時、僕の用件も伝えておいてくれない?」
「そら構わねぇけど……」
サーフェスとエルが話しているところで、相変わらずクリムゾンは不機嫌そうに黙っていた。エルとサーフェスは放っておいても話が終われば自分から帰るだろうが、この男は言わないと何時までもここにいるだろう。面倒な男ではあるが、行動原理は単純であるから使いどころはハッキリしていて使い易くはあるのだが。
「では、解散だ」
告げると残っていた3人もそれぞれ了承の返事を返して部屋を出て行く。契約書の説明が終わったらカリンは部屋に戻ってくるだろうが、今は一人だけになった執務室の中でセイネリアは椅子の背もたれに背を預けて目を閉じた。
セイネリアが望みをかなえる代わりに部下契約をしているという話は、信憑性の薄い噂話としてそこそこに広まってはいるらしい。ただ噂話であるから途中でいろいろ変えられて、部下契約が命を捧げるに変わっていたり、セイネリアに一太刀入れられたらなんて条件が追加されたりしているようだ。それもこちらとしては思惑通りで、その噂を実際確かめようと思う程の度胸と、そんな噂にさえ縋りたい程の願いと覚悟がある者しか、契約の可能性はそもそもない。
――暫くは剣から逃れる方法を模索しながら、使い道のない力で他人の願いを叶えてやるのもいいさ。
どうやら自分は気に入った人間にはその努力にみあった成果を得て欲しいと願っているようだし。それに自分の望みがない分、他人の望みを知る事で自分の望むものも見つかるかもしれないという思惑もある。
勿論ただの慈善事業ではなく、彼らは確実に自分の力となる。セイネリアは黒の剣の力の強大さを分かってはいるが、それでも出来ない事が多くある事も分かっている。違う生き方、違う見方、考え方を出来る人間を従えれば、それだけで出来る事は確実に増える。
娼館を出た時から目指した強くなるという目標はもう意味のないものになってしまったが、剣によらない『力』はまだ手に入れる事は出来る。少なくとも思考が自分のものであるなら、予想と駆け引き、そして味方を得る事で、剣の力に頼らない別方向の『力』を手に入れる事は出来る筈だ。
あの頃目指していたものとは違う意味の『強さ』となるが、剣の力を使わずに更に『強く』なる事で、多少はあの気に食わない魔法使いに対する溜飲も下がるだろう。
それに……今は使い道のない力も、望みが見つかれば使う日がくるかもしれない。使うだけでムカつくあの剣の力さえ使ってでも叶えたい程の望みを自分が持つ日がくる可能性はある。勿論、その前に黒の剣から解放されるならそれはそれでいい、もとから自分の力でないのだから惜しむ気もない。
そこまで考えてからセイネリアは口元を皮肉げに歪めて、自嘲するように呟いた。
「ふん、全部俺の希望的な可能性の話ばかりか。……だが、不確定な希望というのに縋ってみるのも悪くはないさ」
最終的な望みはこの空虚な心を満たす事。それは母親に『誰』と言われ、自分の存在を否定されたあの日から追い求めてきた、自分の生きる意味を得る事でもある。今の自分がどんな状況にあっても、それを忘れなければいつかきっと望みに手が届く。……なにせ、時間だけはいくらでもあるのだ。
そして最後に、笑って死ねればそれでいい。
END
本編は一応ここでENDです。この後続けてエピローグも更新しますので、最終話の後書きはそこで。