87・契約と……
少年はセイネリアの執務室に入った途端、足を止めて固まった。なにせそこにはセイネリアだけではなく、エルとクリムゾン、サーフェスとホーリーもいたからだ。少年の後ろには彼を呼びに行ったカリンと、一緒に連れてこられたラダーもいるから、これで現状セイネリアと個別契約をしている者全員が揃った事になる。セイネリアと話すつもりで相当の覚悟をしてきたとしても、少年がパニックに陥るのは当然といえば当然だ。
だから、固まって動けなくなっているかつての仲間の息子に、セイネリアは笑って言ってやる。
「なに、折角だから現在俺と契約してる連中を紹介しておこうと思ってな」
すると、ずっと渋い顔をしていたエルが口を開いた。
「だっから、やめとけっていったじゃねーか。ンったく、団のおっかねぇ幹部揃えてどうみても子供脅しにかかってンだろ」
「でも脅すような強面はマスターとそこの赤い人くらいじゃない?」
楽しそうにエルに反論したのはサーフェスで、彼は言ってからロスター少年に向けて『僕は怖くないからね』と言いながら手をひらひらと振ってみせた。
青い顔をして何も言えずにいた少年は、そこで大きく息を吸ったと思うとセイネリアの顔を見た。
「あ、の……俺、考えたんです、けどっ……」
がんばっているが、ぎくしゃくし過ぎて言葉が詰まっている様子を見て、さすがにセイネリアも少し助けてやる事にした。
「お前の父親は酒が好きなくせに酒に弱かった。その上酔うと調子に乗りすぎるからいつも飲み過ぎないように注意していた。……ちなみに、エーリジャが酔うと俺の事を何と呼ぶか知っているか?」
言った途端、エルがぶっと吹き出して、カリンが口を押える。クリムゾンはいかにも不機嫌そうに顔を顰めた。何も知らないサーフェスとラダーは周りの反応を見て不思議そうな顔をしていて、同様に少年も何故いきなりそんな話になったのか分からないのだろう、キョトンとした顔で首をかしげた。
「……いえ、知りませんが……」
「せっちゃんだ」
エルがその場で笑い崩れて座り込む。カリンは声は上げないが肩を揺らし、クリムゾンは益々憎々し気に表情を険しくした。
「酒に酔っているとはいえ、俺にそんな呼び方をしてくるのはあの男くらいだ」
「は、ぁ……」
気の抜けたような返事をしながらも、少年は顔を引きつらせると頭を抱えて言葉をつづけた。
「父さんはほんっとーにお酒を飲むと陽気になりすぎて……皆も止めないから更に調子に乗って……あぁやっぱりこっちでもお酒で迷惑をかけてたんですね」
「家でもやらかしていたのか」
「はい、次の日に全然覚えてないので、母さんや俺やおじさんやおばさんや爺ちゃん皆から怒られてました」
ロスターがここへ来た後、エーリジャの地元での話はエデンスに聞いたし、情報屋の方でも調べさせた。この少年にに考えるだけの時間を与えたのは調査用の時間を作るためもあった。エーリジャの一族は村の一角に皆まとまって住んで協力し合っているそうで、互いの家に勝手に出入りしていて、食事はエーリジャの家に一族全員が集まって食べるような状態らしい。そういう事情だからこそ、子供と体に不自由がある妻を置いてエーリジャが金を稼ぎに首都へ出る事が出来ていたのだ。
「お前の父親の酒癖は困ったものだが、その度胸は少し見習っておいてもいいと思うぞ」
言われた少年は先ほどまでの硬さが抜けた表情で周りを見た。
エルは立ち上がったもののまだ口を押えて笑っていたが、クリムゾン以外の他の面子は少年を柔らかい表情で見ていた。
また大きく息を吸って、今度はゆっくり吐いてから、少年はセイネリアを正面から見返す。表情からは大分緊張が抜けていた。
「俺、貴方と契約します。貴方のために働きたいです。俺みたいな未熟者には過ぎた契約だと思っていますが、母の事……お願いします」
言い切ると同時にその場で膝をついた少年に、セイネリアは告げた。
「分かった。これが契約書だ。サインはあとでいい」
契約書はエルが受け取って、少年のもとに持っていく。顔を上げた少年に、エルはいつも通りの気楽さで話しかけた。
「俺ぁエルラント・リッパー。呼ぶときはエルさんでいいぞ。一応副団長って名の雑用係をやってる。マスターに怖くて聞けねぇ事は俺に聞けばいいからな。じゃこれ、後でしっかり読んでからサインすんだぞ。なんか分かんねーことあったら、俺でもカリンでもラダーにでも聞けばいいからさ」
それでエルは最初にいた位置に戻ったが、そこで隣にいたクリムゾンに視線を投げる。それを受けてしぶしぶクリムゾンが口を開いた。
「俺は、クリムゾンだ」
それにエルがやれやれと肩を竦めると、今度はサーフェスが一歩前に出て少年の顔を覗き込むように言った。
「僕の事はドクターって呼んでくれるかな、こっちは助手でリパ神官のホーリー。僕はこの団専用の医者をやってるって事で、怪我や体調不良の時はいつでも頼ってくれていいからね」
少年は声を掛けられる度に、はい、と声を返すもののそれ以上は何も言えないでいる。サーフェスが下がって、カリンがこちらに尋ねるような視線を投げたから、最後にセイネリアが少年に声を掛ける事にした。
「カリンとラダーは分かるからいいな、団に慣れるまでもう暫くはラダーについていろ。自主訓練がしたい場合はカリンかエルに言えばいい。仕事を頼む場合も2人のどちらかから話がいく。エデンスはあまり団にいないが、これも2人に聞けば予定を聞ける。絶対的な主従契約とはいっても行動すべてを縛るつもりはないし、基本的にやるべき事をやっていれば禁止事項以外なら自由時間は好きにしていい。ただし、お前の目標のために自分が何をすべきか、それを考えて時間を使え」
「はいっ」
少し声がひっくり返ったものの大きく返事をした少年に笑って、セイネリアは退出していい事を告げてやった。少年はぎこちなく立ち上がると、何度も周りに頭を下げながら、来た時と同様カリンとラダーに連れられて部屋を出ていった。
次回は少年が退出した後の話でEND。ただその後にエピローグが付く予定。