85・話しておくこと2
怒りを抑え込むように唇を引き結んで下を向いたカリンに、セイネリアは尚も言う。
「黒の剣を手に入れてからの俺が腑抜けて無様な様を晒していたのは、自分に起こった剣の影響に気づいたからだ。正直、これから自分が何をすべきかが分からなくなっていた。……お前には迷惑を掛けたな」
今回の事でセイネリアは思った。自分は、自分の中にある空洞を埋めるために強くなろうとしてきた。ただ強くなったのを実感する度、死線を潜り抜ける度、それなりに心を埋める感覚が得られてそれが楽しかったのだ。具体的に何かを手に入れるという目的がなかった分、強くなる、戦いに勝つ等の普通なら目的に対する手段の方が目的になっていた。
だからこそ、それを楽しめなくなった段階で気力が失われていた。本当に、自分は中身のない人間なのだとそう思った。
「ボスは、そんな剣など持つ前から強かったです」
カリンが呟くように震える声で言ってくる。
それから顔を上げて、今度は大きい声で訴えてくる。
「剣などなくても、ボスが誰よりも強い事は変わりませんっ」
目に涙を溜めてこちらを大きな瞳で見つめてくる彼女に、セイネリアは笑った。
「お前はまた、俺の代わりに泣くのか」
意外な事にカリンはそれに肯定の返事を返してこなかった。ただだまってこちらを見つめて泣いていた。
セイネリアは泣くカリンの頭を引き寄せてこちらの胸に押し付けるてやる。それから、視線をフロスに向けながら言った。
「なに、俺の意志を無視した現状そのままでいるつもりはない。剣の呪いから逃れる方法は必ず探す」
カリンが顔を上げる。
「……そのために、各地の伝承や謎の現象の情報を?」
「そういう事だ。気に入らない状態にあるのに、いつまでのその状態のまま諦めるのは俺らしくないだろ?」
正確には『気に入らない状態』ではなく『気に入らない者の思い通りの状態』だが――そこは魔法使いがいるから言わずに。フロスはセイネリアのその発言に顔を顰めていたが、暫く目を合わせていれば溜息と共に言ってくる。
「貴方は剣の主である事を辞めたいと思っているのですか」
「そうだ」
即答すれば更に目を細めてから、彼は顔を振って溜息をついた。
「本当に貴方は……私には理解できない人間ですね」
それには、だろうな、と返して。魔法使いらしいこの魔法使いには、手に入れた強大な魔力も不老不死も手放したがる気持ちは分からなくて当然だ。ただとりあえず、剣の主である事を辞められる手段を探しているというこちらの意志を彼に伝えておけば、魔法ギルドの方にもそう伝わるだろう。ここでカリンに話をしたのはそのためもある。
「私は、貴方がどんな状態であろうと、貴方をに従い、貴方のために働きます」
カリンがそう言ってきてセイネリアは苦笑する。彼女がそういう事は分かっていたしそれ自体は喜ぶべきことだが、だからこそ彼女は部下にしかなれないとも言えた。
「あぁ、分かっている」
笑ってカリンにそう言うと、セイネリアは最後にアガネルの墓を一度振り返ってから帰る事を告げた。
帰りは首都内にあるポイントの中の一つ、西の下区にある廃屋の中への転送となった。ここが一番団に近いらしい。結界という程ではないが、人が近づきたがらなくなる術を周囲にかけてあるそうで、普通の人間に見つかる事はまずないという。
「それでは、私はこれで」
「あぁ、転送には素直に礼を言う」
「いいですよ、ギルドの方針で受けてる事ですから。……今回は別のお仕事もありましたし」
フロスは言うと、わざとらしく深いお辞儀をしてみせる。
それから杖を掲げかけたものの、何か気が変わったのかそこで一度杖を下すと、こちらを見てわざとらしい笑みを浮かべた。
「それにしても、あんな大きな花束をいくら部下とは言っても女性に持たせるのはどうかと思います。貴方ならあの程度の荷物なら花束くらいは持てたでしょう」
「俺が花を持っても似合わないだろ? それに、墓前とはいえ俺が花を贈るのも似合わない」
そう返せば、フロスは少しの間目を丸くして、それから呆れたように言ってきた。
「それは……そう、でしょうが……」
言葉を濁らせたフロスだったが、そこで何か思いついたのか片眉を跳ね上げたと思うとわざとらしく偉そうに腕を組んだ。
「ですが女性には花を贈らせるより、贈ってさしあげるべきではないでしょうか。女性慣れしている貴方らしくない気遣いのなさですね」
嫌味だとは思うが、魔法使いとして真面目なこの男らしくない言葉だ。
「成程、一般的にはそういうものだったな」
自分にその『一般的』な感覚がなかった事がおかしくてセイネリアが軽く笑えば、フロスは満足したように笑って深くお辞儀をした。
「それでは、今度こそ私はここで」
「あぁ」
それで魔法使いは杖を掲げて詠唱を唱え、姿を消した。
ちなみにセイネリアは今まで女性に花を贈った事はない。情報の礼としては金を渡すのが一番いいだろうと思っていたし、何かモノで渡すのは本人が欲しいものを指定してきた時だけだ。花なぞ送られても何の役にも立たないと思っているからそれを贈るのは考えた事がなかった。
だからカリンを見て聞いてみる。
「カリン、お前は花を贈ってもらいたいか?」
カリンは驚いてその黒い瞳を見開いたが、少しすると俯いて小さな声で言ってきた。
「ボスが下さるのなら……嬉しい、です、が」
彼女は仕事上必要なものならちゃんと言ってくるが、個人的になにか欲しいとセイネリアに言ってくる事はなかった。
「そうか……なら贈ってやる、自分の誕生日を知っているか?」
「いえ……」
彼女の育ちを考えれば、そう返ってくるだろうなと思っていた。
「なら好きな日に決めてしまえ。その日に花を贈ってやる」
するとカリンは少し考えるように視線をさ迷わせて、それから控えめな声で言ってくる。
「では、ボスとあった日を。あの日、私は生まれ変わりましたので」
「分かった、その日になったら毎年花を贈ってやる、楽しみにしていろ」
「はいっ」
カリンは本当に嬉しそうに笑った。見ているセイネリアが釣られる程に。
カリンとのちょっといい話、的な。
ちなみにフロスはケサランと酒を飲んだ時に、さっさとセイネリアはカリンに全部話すべき……的な事をケサランが言っていたのを何度も聞かされた模様。