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黒の主  作者: 沙々音 凛
第二十章:決断の章
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83・かつての2

 管理人の家の裏手にある細道を入り、かつて知った……けれども全体的に木が大きくなって記憶の様相と違っている森の中を暫く歩けば、唐突にひらいた場所に出る。この森の中にはいくつかそういうところがあるが、ここもその一つだ。そこまで広い訳ではないが、簡素な墓が並ぶここが目的地だろうというのはカリンもフロスも見てすぐに分かっただろう、足を止めた。


「ここはこの辺りで死んだ冒険者の、死体の引き取り手がなかった連中のための墓所だ」


 セイネリアが説明してやれば、フロスが聞いてくる。


「街の人間の墓所は街の中にあるのですか?」

「そうだ」


 そこにカリンが入ってくる。


「身内がいるのに……あの方の家族はここに葬られたのですか?」

「近いからな」


 それにアガネルの妻も身内はアガネルと娘しかいなかったそうだ。生まれた地へ遺体を送っても身内がいないのならここの方がいいと思ったとあの男は言っていた。『不動のアガネル』と呼ばれた男は妻の死後にあっさり冒険者を辞め、妻の墓と娘を守って暮らしていた――名声を捨てた彼を惜しむ声はかなり多かったらしいが、あの男自身がそれを少しも惜しんでいなかった事をセイネリアは知っている。


 ここにいた時に見た彼の姿は、いつでも幸せそうだった。


 当時のセイネリアは彼の満足そうな笑顔の理由が分からなかったが、今なら分かる。大切なものを守ってそのためだけに生きていた彼は確実に幸せだったのだと。

 ……ただし、セイネリアという厄介なガキの面倒を引き受けたせいで、彼の幸せは崩れてしまった訳だが。


「ここだ」


 アガネルの妻の墓は、他の墓より少し離れたところにある。自分と娘と、娘の家族の墓も作れるように管理人特権で場所を確保した――と得意げに説明してくれた事を思い出す。

 予想した通り、妻の墓のすぐ傍にリレッタの墓があって、その横にアガネルの墓があった。子供を挟むように父と母の墓が並んでいる様は、まさに幸せな家族の姿のようでそれには我知らず笑みが漏れる。

 セイネリアは手に持っていたアガネルの斧を思い切り振り上げると、かつての師だった男の墓前に振り下ろした。これだけでも抜くのに相当苦労する筈ではあるが、そこから斧の柄についていた鎖の先の杭を地面に刺した。足も使って思い切り刺したから、これでまず持って行こうとする者はいないだろう。この斧は最後アガネルが使っていたものだが杭付きの鎖はケンナにつけるよう頼んだもので、そのせいで今日セイネリアが持ってくる事になった。

 つづいてカリンが大きな花束を3つに分けてそれぞれの墓前に置いていく。

 この墓所にある墓は墓石などなく、木を立ててあるだけや、使っていた武器を刺してあったりするだけの簡素なものが多い。アガネル達の墓もロックランの印が入った木を立ててあるだけのものではあるが、その前に名前を刻んだ小さな石が置いてあるだけまだマシだ。ただ大半は放置されて風化しかかった墓達の中、大量の花が置かれた彼らの墓だけはやけに華やかに見えた。……まぁ、父親代わりをしてくれた分くらいは、たまにこうして花くらい置きに来てもいいかと思う。


 アガネルには何度もイカレたガキだと言われた。

 セイネリアが求める先には破滅しかないと言われた。いくら強くなっても更に上を目指す限り幸せになれないとも言われた。

 彼自身が強さを求めた後に違う方向で幸せを見つけたからこそ、幸せなんてものと縁のない人生を送ろうとしている弟子をどうにかしてやりたくての言葉だったのだろう。


 別に、自分が選んだ道を後悔している訳ではない。幸福とやらが欲しかった訳でもない。だからイカレたガキの末路を見て『それみたことか』と彼に言われたとしても考えを改める気はない。

 ただ一つだけ、彼の言った言葉の意味を、あの時の自分は分かっていなかったと認める言葉はある。


『そうして声も出さずに痛みを我慢できるお前は、確かに強くなれるだろうよ。だがな、お前はまだ心の痛みって奴を知らねぇ。いいか、体が感じる痛みなんてのは心の痛みに比べりゃなんて事はねぇ。例え死ぬくらいの、どれだけの痛みであってもだ』


 あの時の自分は、心の痛みを知っていると思っていた。痛みは切り離せばいいと思っていた。


『どんだけ強くなっても心の痛みを知らないままなら、いつかお前はぽっきり折れる。何も感じないから何も怖くないなんてのはガキの理論だ、恐れろ、お前が耐えられない痛みを知る時が必ずくる』


――あぁ確かに、ガキの理論だったさ。


 心の痛みを知っている気になっていたあの頃の自分の愚かさには嗤うしかない。

 黒の剣によってもたらされた自分の変化を知った時……あれは心の痛みとはまた違うのかもしれないが、自分は前に進めなくなった。目指すものがなくなって心の空洞が大きくなり過ぎて、行動しようとする事に迷いが出るようになった。世界のすべてが灰色に見えた時に逆戻りしたかのように、自分を含めた全てが本当にどうでも良くなった。何をやっても無駄だとしか思えなくなった。

 まさか自分の心が折れる日がくるなんて想像もできなかったから、自分を見失いかけた。


 幸せなんて望んだ事はない。そんなものを望めるような綺麗な生き方をしていない自覚がある。ただそれでも、死ぬ直前の彼を思い出すと願ってしまう事はある。

 もし自分が死ぬ事が出来たら――彼のように、満足気に笑って死にたいと。

 その願いのために、生きるのもありではあるのだろう。


 そうして最後に、セイネリアはアガネルの墓に持ってきた酒を掛けた。

 そういえばついぞ彼と酒を酌み交わす事はなかったなと、そう思ったから持ってきた。自分を息子みたいなものだと言った男に、息子として最初で最後の酌をしてやるのも悪くない。

 持ってきた瓶の中身を全て注いでから、セイネリアは師であり父代わりだった男の墓に背を向けた。


次回も墓前での話。

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