81・普通なら
その日の夕方、いつも通り今日の報告に来たエルは、一通りの報告を話し終わってから退出せずにその場で立っていた。その沈んだ顔から彼が何をいいたいのかは察したが、セイネリアは彼が話すのを待つ事にした。
「あの、さ、エーリジャの事、聞いたんだけどよ……残念だった、よな」
やっとそれだけ言ってからエルはまた口を閉ざしたが、すぐに大きく深呼吸をすると今度ははっきりとした口調で言ってくる。
「それで、あいつの息子が来て……契約するかって聞いたんだってな」
「あぁ」
それでまたどう言おうか考えだした彼に、セイネリアの方から聞いてみる。
「お前はどう思う?」
エルは一瞬顔を顰めたが、すぐに頭を掻きながら言ってくる。
「正直……まだ早いんじゃねぇかなと俺は思う。せめてまず普通にウチに入れてやって暫くしてからそういう契約も出来るって話しかけてみれば良かったんじゃねぇか?」
「そうだな。その方が普通は良いのだろうな」
あっさりそう答えたからか、エルは益々顔を顰めた。
「……なんでそうしなかったんだ? なんか思惑があったんだろ?」
セイネリアは平坦な声で告げる。
「あの子供が俺に会った直感だけでどう判断するのかを見て見たかった」
「どういう事だ?」
「エーリジャの息子なら、あの子供は戦闘方面にはあまり向いていない。なら、人を見る目というのを持っていてくれないと困る。俺についてはエーリジャから相当聞いてるらしいから、それと直感だけで決断出来きるかどうかが見たかった」
表情も声も感情的になっているエルと対照的なくらい冷静にセイネリアは話す。彼と自分の会話は基本そうではあるのだが、前は自分ももう少し彼との軽口の言い合いを楽しんでいたと思う。
エルは考え込むように目を瞑ると腕を組んで唸った。
「いや……言ってもな、まだ子供じゃねぇか、て、うーん……」
「勿論、向こうからお前が言った通り、普通に団員として所属してから契約について考えたいというならそれはそれでいいさ。そういう立ち回りと交渉が出来るのも評価出来る」
とはいえ、それはないだろうとセイネリアは見ていた。あの少年は小賢しく立ち回ろうとせず、ちゃんと結論を出す筈だ。だからこその契約だ。
セイネリアの言葉の最後に被せるようにエルは派手に溜息をついた。頭を抑えている彼のその様子からして、衝動的に出そうになった言葉を飲み込んで自分を落ち着かせている、というところか。
「言いたい事があるなら言っていいぞ。別に暴言でも構わん」
言えばエルは不満げな顔でこちらを睨む。文字通りガンを飛ばす勢いで。……とはいえすぐにその顔も呆れたように一気に力が抜けて、頭をぐしゃぐしゃと掻きながらやっと彼は話し出した。
「そもそものとこ……昔の仲間の子供が頼ってきたって時はさ、冒険者として慣れるまではここに置いて生活の面倒見てやるくらいにしといて、後は自分で聞くなり調べるなり勉強させてさ、そンでいろいろ分かって慣れてから団に入るなり、契約するなり、出てくなり選ばせるって段階踏むのが一番筋が通ってる対応じゃねぇか?」
「確かにな」
セイネリアが即答すれば、エルがぐっと更に顔を顰める。
「って、さっきからなんだよ、俺の言う事を肯定するくせに意見を取り入れる気はないって態度はさ、なんからしくねぇ」
――らしくない、か。
「そうでもないだろ。最終決定は俺がするのは前からだ。……それに、お前の意見は一般的に正しいだけで、全ての場合に正しいのではない」
それで流石にこれ以上何を言っても意味がないと悟ったエルは更に溜息をついて、くるりと回れ右をした。
「わあった、とりあえず言うだけは言ったんで俺ァあとはマスターの決定に従う」
そのエルにセイネリアは言った。
「……今度は後悔しないために、向こうに迷う暇を与えず手を打つことにした」
エルは後ろを向いたままそこに立っていた。部屋から出るつもりだっただろうに、その足は動かない。だが暫く経ってから、彼はゆっくり顔だけをこちらに向けた。
「何を後悔してるってンだよ」
ここまで表情を動かさなかったセイネリアが、そこで苦笑した。
「俺が助けてやってもいいと思うような連中は、ことごとく俺を頼ろうとしない。そのせいで間に合わなかったり、分かった時には取れる手段が減っている。そういう後悔はもうしたくないからな、さっさとこちらが手を出せる状況を作る事にした」
エルは、けっと言うと同時にまた顔を前に向けた。
「ここのトップはあんただ、あんたの好きにすりゃいい」
そうして手を振ると、彼は大股で部屋を出ていった。
ここでのエルとの会話は1話のみ。