63・嫌いな相手3
『だから、お前がどうにかしてみせろ』
感情の消えた瞳を大きく見開き、やはり感情のない声で魔法使いギネルセラはそう告げた。
セイネリアも僅かに目を見開いた。
だが暫くして、魔法使いの顔にはまた歪んだ笑みが浮かぶ。唇を大きくゆがませて、こちらを見下すような目で、魔法使いは言葉を続ける。
「お前は俺の事が嫌いだろ? そして現在、その嫌いな俺のせいでお前は不本意な状態にある、今のお前は俺の手のひらの上にいるようなものだ。どうだ、とてつもなくムカつくだろう? なら、それをどうにかしてみろ。嫌いな俺の手の上から逃げてみせろ」
その言葉の裏にある意味をセイネリアはすぐに理解した。理解して、唇には自然と笑みが浮かんだ。
「つまり、どうにかする方法はあるんだな?」
それに、魔法使いも唇端を大きく吊り上げて答える。
「そういう事だ」
その返事と共に魔法使いは声を上げて笑う。笑い声は周囲に響き、更には彼の姿はただの黒い影となる。それからすぐに影の輪郭がぼやけて人の姿を保てなくなり、まるで部屋の中に融けるように霧散して消えてしまった。
そうして、完全にギネルセラの気配がなくなると、同時に。
「――どうかしたのか?」
声を掛けてきたのはケサランだった。つい少し前まで止まっているように見えていた彼は、驚いてこちらを見ていた。どうやら自分の意識は元の空間に戻されたらしい。
「ふ……はは、はは……」
セイネリアの口から自然と笑い声が出た。
あぁ確かに――自分が強くなろうとした理由には、嫌いな人間のいう事を聞きたくなかったというのもあった。ならあの大魔法使い様に絶対屈する訳にはいかない。そういう意味では、ギネルセラがムカつく奴で有難いとさえ思う。ギネルセラ本人が言う通り、奴の手の上で踊る立場のままいる事はあり得ない。彼を敵と認識するなら、こちらも無駄な迷いはなくなる。
正直なところ、騎士と話してある程度ふっきれはしていても、それは無理やり自分を納得させるために考えた代案のようなものであった。現状の自分の中に燻る靄をどうにかふりきるため、どんなカタチであれ騎士に勝てたら、絶対はあり得ないと、不死や最強の呪いを解く日がくるとそれを信じるのだと……それはある種自己暗示のような部分もあった。おそらく騎士に会ったとしても自分の状況を変える事は出来ないだろうと言う予想のもと、それでもふっきるために作った暗示だ。つまり、本気で信じているというより、信じ込もうとしていたというのが真実だ。
――確かに、俺が一番知りたかった事を教えてもらった。それだけは感謝しておく。
だから、信じ込もうとしていた事が真実だと確定したのならそれだけでいい。
黒の剣から逃れる方法が確実にあるというのなら、それを見つければいいだけの話だ、何があっても見つけ出せばいいだけだ。
「なんだ、なにがあった?」
暫く驚いて固まっていたらしいケサランが完全に困惑した顔で声を掛けてくる。おそらく彼なら、今の一瞬を境目に、自分の感情が全くの別モノになったのが分かった筈だ。呪文の続きを言う事もせず、ケサランはしゃがんでこちらの顔を覗き込もうとしてきた。
「本当に……お前、どうしたんだ?」
勿論、ギネルセラの事まで彼に――魔法ギルドに教える気はセイネリアにはなかった。ただし、彼に伝えてもらう事がもう一つ出来た。どうにも笑い声が出てしまう口を押さえながら、セイネリアは顔を上げて魔法使いの顔を見た。
「いや……なんでもないさ。思い出し笑いと言うやつだ」
「そう、なのか?」
「ただ、もう一つだけ、記憶を消した後の俺に伝えてもらいたい事を思い出した」
「それはなんだ?」
セイネリアは顔から笑みを消す。そうして魔法使いの顔をじっと見つめて口を開いた。
「剣から逃れる方法はある、あるのは確かだから探せ、ムカつく奴に負けたままでいたくないなら――と、それを伝えてくれ」
言われた直後、ケサランは訳が分からないといった顔をしていたが、暫くすると穏やかに微笑んで答えた。
「分かった。必ず伝えてやる」
アルワナ大神殿でのやりとりはここで終わり。