60・その時
「で、またさっきのように座ってればいいのか?」
振り返って聞けば、急いで追いついてきたケサランが恨めしそうにこちらを見る。
「本当は台に寝てくれた方がいいんだが……嫌ならさっきと同じでいい」
セイネリアはそれですぐに先ほどと同じく床に腰を下ろす。遅れてやってきたラスハルカはこちらを見て笑っていたが、大人しく台の上に乗っていた。セイネリアは暫く座ったままケサランが準備をしているのを見ていたが、彼が急にこちらを向いて歩いてきたからその顔をじっと見た。準備が出来て始めるにしては少し様子がおかしい。
魔法使いは目の前にくるとわざわざ少し屈んで、こちらの顔をじっと睨んでから真剣な声で言ってきた。
「それで、伝えておくことはなんだ? なんなら大雑把に何について伝えたいか言っておいてくれれば、詳細は最高司祭殿に頼むという手もあるが」
それを向こうからわざわざ聞いてくるあたり、本当に彼の魔法使いらしくなさに苦笑しか出ない。魔法ギルドの立場からすれば、こちらから言わなかったら忘れたふりをして記憶をさっさと消去してしまいたいところだろうに。
「そうだな。騎士に会った事で気は済んだ、とでも伝えてくれ」
「それだけでいいのか?」
「あぁ、それだけでいい。わざわざ具体的に何があったかまで覚えている必要はない」
だがそれに何故か、ケサランが申し訳なさそうな顔をする。
セイネリアが怪訝そうな視線を彼に向ければ、魔法使いは目を伏せた。
「……いや、結局、騎士との話もお前にとってあまり意味はなかったのかと思ってな」
「そうでもない、気が済んだ、と言っただろ」
「だが、内容は覚えておく程のものじゃないんだろ?」
「気が済んだと伝えるだけで、騎士に会った時に俺が何をしたかくらいわかる、という事だ」
本当に、何故この魔法使いはこちらにそこまで気を遣うのか。僅かに口元に笑みを浮かべて、セイネリアはまだ沈んだ表情の魔法使いに言う。
「で、すぐやるのか? それとも先に向こうからか?」
視線でちらとラスハルカの方を見れば、魔法使いも内容を理解して表情を戻す。
「あ、あぁ、お前からやるつもりだ。さっさと済ませたいだろ? それに、その体勢で待たせておくのも悪いからな」
「そうだな、また体を解しにいくのは面倒か」
「大丈夫だ、今度はすぐに終わる」
「それはありがたい」
言ってセイネリアは目を閉じた。
「いつでもいいぞ」
「分かった」
ケサランが杖を掲げたのを音で察する。すぐに呪文が聞こえてきて、魔力がこちらに向けられたのを感じる。あとはその魔力が入ってきた時に受け入れるだけと構えていれば――唐突に呪文がやんだ。
けれども、魔力は流れてこない。というか、ケサランから向けられていた魔力自体を全く感じない、まるで消えたように。何かがおかしい――セイネリアは目を開けた。
「なんだ、これは」
目の前に魔法使いケサランは確かにいた。
だが、彼は動いていない。杖を掲げ、口を開けていたがその口は動いていない。それどころか瞬きもしていない、まるでその場で固まったように彼はそこにいた。いや……よく見れば完全に止まってはいなかった。本当にごく僅か、じっと見ていなければ気づかないくらい僅かに、少しづつ、動いている。
「ここは向こうと時間の流れが違うからだ」
聞こえた声が誰のものか、セイネリアはすぐに分かった。
「やはり、貴様にはちゃんとした自我があったのか」
言えば、ケサランの後方に、騎士の記憶の中で見た通りの彼の仲間の魔法使いの姿が現れた。ただしその姿は透けているから、精神体、もしくは精神の作った姿なのだろう。
この人が出てくるんだろうな、と思われていたと思いますが。