53・互いに思うこと
ラスハルカが目を覚ましてすぐ感じたのは怒りだった。
ただし、その怒りが何なのかは分からなかったから、意識がはっきりしてからその感情は消えた。それから感じたのは後悔で……その理由は理解出来たから苦笑した。その時には最初の怒りの理由も分かっていたが、そちらには同情できなかったから怒りを感じる事はなかった。
「気分はどうですか?」
聞こえて来た司祭長の声に視線をずらせば、少し不安そうなその顔が見えてラスハルカは笑って見せた。
「気分がいい、とは言えませんが、問題はありません」
言いながら起き上がって周囲を見渡せば他に寝ているものはいなくて、どうやら起きたのは自分が最後だったらしいと知る。ただし、黒い男は肩を回しながらどこかへ歩いて行ってしまうところだった。会話からしてまたあとで会えそうなので、特に声はかけなかったが。
「私は暴れましたか?」
言えば、司祭長は少しだけタイミングをずらして答えた。
「……少し、ですね」
「それは申し訳ありませんでした」
「貴方のせいではありませんから、悪く思う必要はありません」
ただ自覚はあったのだ。あの時の記憶が戻った時に、王の意識――怒りや憎しみの感情が強すぎて、それに飲まれた時の感覚に意識が支配された。その後は夢としての記憶がないから、おそらくもっと深く眠らされたのだと思う。
「貴方の記憶は読んでいますが、魔法使いが記憶を消す前にいくつか質問をしたいそうです。大丈夫ですか?」
「はい、問題ありません」
ただそれには少し疑問が沸いた。基本的にアルワナの術によって記憶を読まれた場合は全ての記憶を取得されるからあとは最高司祭に聞けばいいだけである。なのに自分に話を聞くのは何故なのか。
「さて、今は話しても大丈夫な状態かな?」
魔法使いが最高司祭と共に近づいてきて、ラスハルカは台から足をおろす。現在は台に座っているような状態だ。
「はい、今は落ち着ていますので問題ありません」
「例の記憶は……ちゃんとあるんだろうか」
「はい、まだ消されていませんから」
そう答えると魔法使いは苦笑して、だが次の言葉を言うと同時にその顔は真剣なモノに変わる。
「で、今回の件なんだが……騎士の名前は分からなかったことにしたい」
聞いた瞬間は、え? と思いはしたものの、ラスハルカはすぐにその理由を察した。司祭長や最高司祭は驚いた様子がなかったから、もしかしたら事前に聞いていたのかもしれない。
「魔法ギルドに騎士の名を知られれば、ギルドの意志であいつの中の騎士の意識を呼び戻す事が出来てしまう。それを使ってギルドはあいつを都合がいいように動かそうとするかもしれない」
セイネリアのためにその提案をしたのだろうとは分かっていたが、ここまでハッキリとギルドから彼を守りたいのだと明言するとは思っていなくて、この魔法使いが魔法使いとしてはかなり変わった人物だというのが分かる。
「例の王の意識が入ってきた途端、意識自体を乗っ取られてあまりよく覚えていない、という事にすればいいでしょう」
そう言ってきたのは最高司祭で、それに頷きながら司祭長の方も言う。
「相手が狂っていた場合などは入ってくる記憶自体が断片的になりますから、その中に騎士の名前を言っているものはなかった、という事にすればいいのではないでしょうか」
「勿論、何も分からなかっただと怪しまれるでしょうから、他に分かった事をギルドに報告します。いくつかギルド側が喜びそうな話もあるので大丈夫でしょう」
同じ顔の司祭長と最高司祭はどこか楽しそうで、当たり前のように魔法使いの提案に乗る前提で話を進めていた。そして彼らがこの件を了承しているというのならばラスハルカとしては返事を迷う必要はなかった。ただそれで了承は確定としても、不安事項がある。
「ですがその……口裏を合わせるだけで大丈夫、なのですか?」
それには魔法使いが眉を寄せながら答えた。
「大丈夫、と言える程大丈夫ではないな。だが時間は稼げるだろう」
「時間稼ぎ、なのですか?」
魔法使いは頭を掻いて更に顔を不機嫌そうに顰めると、彼が持ってきて台においていた小箱の方を見て言った。
「記憶を消す時はその内容をこいつに入れる訳だが……実際のところ、こいつから直接記憶を読むのは可能ではあるがとんでもなく面倒臭いんだ。だから記憶を消す場合に必要な情報がある場合は、事前に本人から話を聞いておくなり術で読み取るなりしておく」
「……という事で、今回は私が貴方から記憶を読み取りましたので、私が上手く誤魔化せばどうにかなります。勿論、あの箱を直接調べる者がいれば分かってしまいますが、普通はまず調べません」
最高司祭がにこりと笑って発言するのに、魔法使いは呆れるように気が抜けた声で言った。
「まぁ、最大の問題はあんたが協力してくれるかどうかだったんだが……あまりにもあっさりと乗ってくれて正直驚いたんだがな」
「彼には今回借りが出来ましたし……それに、面白い人物ですからね。彼には彼自身で決めた道を進んでもらいたいのです。そう思いませんか?」
同意を求めるように笑いかけられて、ラスハルカはぷっと噴き出してしまった。
「……はい、そうですね、彼がこの先どんな道を選ぶのか私も見てみたいです。確かに、そう思わせてしまう人物ですね」
そもそもラスハルカは半分はセイネリアのために記憶操作を受けたのだ。彼のためだというならそれを断る選択肢はあり得ない。
最高司祭と司祭長は双子でもこういう事がなければ自由に会う事が出来ないと言っていた。アルワナ神殿の最高位にいる筈の彼らにはその程度の自由もないのだ。そしてラスハルカもまた、役目のために生きる事しか出来ない。だからそんな自分と違って、自分自身の価値観と判断だけで動く彼の姿に憧れた。決して自分では出来ない生き方をしている彼にそのままでいて欲しいと思った。おそらくは司祭の2人も同じ思いなのだろうと思う。
そして恐らくこの魔法使いも、同じように役目だけで生きていて、セイネリアの生き方に惹かれたのかもしれない、とラスハルカは思った。
次回は外へ行ったセイネリアの話。