48・騎士の名7
――さぁ、どう出る?
騎士の動揺はもう、その姿からも受ける感覚からもすぐに分かる。騎士の姿、特に顔の辺りは兜が時折透けてその表情が見えていた。怒りと悲しみと屈辱に震えたその顔は、ちゃんと正気なのかも怪しい。
「……貴様に、何が分かる。老いた事もない貴様に、私の何が分かるというのだ」
どこまでも予想通りの言葉をいう男に、セイネリアは侮蔑を向ける。
「あぁ、分からないさ。だが俺の知っているかつて英雄と呼ばれた老人はあんたみたいな馬鹿な望みは持たなかったし、最後まで自分の大切なものを守るために死んだぞ。俺に対して望んだのは戦って死ぬことと自分が守ってきたものを託すことだけだった。あんたみたいにみっともなく若い連中に嫉妬して、守っていたモノ全てを捨てて、見ないフリをして、自分の勝手な望みだけを叶えようなんてしなかった」
黒い靄が騎士の体全てを覆う。そのせいで騎士の姿が見えなくなる程に。
けれど、彼の目だけは見える。赤く充血し、涙を流すその目だけは見える。
「うるさいっ、うるさいっ」
黒い塊がやってくる、やはり黒い靄に覆われた騎士の剣は見えない。だが、見えないなら最初からその剣を受けようとしなければいい。相手の剣がくると思わなければいい。ただ相手を斬る事、それだけを考えればいい。
セイネリアはやってくる黒い靄に向けて剣を振り落とす。靄が飛び散って、悲鳴が上がる。だが騎士もまだ足掻いている。黒い靄が伸びてきて、セイネリアの腹を抉っていく。勿論、セイネリアはそれも無視して考えないようにした。
「かつてのあんたは国の英雄だった。皆あんたを称えて尊敬していた。だがあんたはそれら全てを裏切った」
セイネリアの剣が再び黒い靄を斬る。手ごたえは確実に返って、騎士が叫ぶ。
「黙れっ、俺の絶望を知らないくせにっ」
黒く、長い靄がこちらに振り下ろされる。それを剣で受けて弾く。ぶわっと黒い靄が広がって騎士から離れ、その中心にいる彼の姿が見えた。
「あぁ知らないさ、だがあんたも俺の絶望を知らない、俺自身の選択ではなく、あんたの望みのせいで俺が失ったものを理解出来ないだろっ」
明らかに怯んで後ろへ引いた騎士の周りにまた黒い靄が帰ってくる。構わずセイネリアはその靄ごと騎士を斬る。黒い靄がはじけて飛び散る。それも無視して即座に切り返し、またその靄を斬る。黒い靄の塊を切り刻むように、何度も、何度も、剣を落とす。その度に黒い靄が膨れては散っていくが、やがてだんだんとそれも消えていく。
最後には騎士の姿だけが残って、彼は地面に刺した剣を支えにするように片膝を立ててしゃがみこんでいた。
何も言わず、ただ俯く彼の前で大きく剣を振り上げると、そのままセイネリアは剣をその首に落とした。
落とした首が転がっていく。首から血が流れて地面を濡らし、それは元の体に戻ることはない。ただ、落とした首がセイネリアを見ていた。
セイネリアは囁く程の小さな声で彼に言った。
「あんたも本当は自分がどれだけ最低の選択をしたのか分かっていたんだろ。だから、後悔した」
首だけになった騎士の目からまた涙が落ちた。それは後悔の涙だろう。細い水の筋はやがて滂沱の涙となって、騎士の顔が顰められていく。後悔と悲しみでぐしゃぐしゃになった泣き顔を晒して、騎士はえずきながら返してきた。
「……そうだ、後悔した、俺は間違えた。それはギネルセラの誘いに乗った事ではない。自分にとって都合が良いものを信じた事だ。……本来なら、王がギネルセラを疑った時点で彼を逃がすべきだった。王もいつか分かってくれると信じるべきではなかった。自分が庇えば済む話だなんて思ってはいけなかった。せめて……王に剣に入ってくれと言われた時点で全力で王を止めていれば。ギネルセラが謀反など起こす気がないと分かっていたのに……俺は再び王に仕えられるとその希望に飛びついた。おかしいと思っていても、そうであれば良いと自分にとって一番都合のよい事実を信じて行動した」
言い切ると同時に、騎士の顔が地面から消える。気配を探れば、首が戻った騎士の姿があった。涙を流し、表情は暗いながらもその瞳は穏やかだった。黒い靄も纏ってはおらず、首を落とす前と同様、その場に片膝を立ててしゃがみこんでいた。
長いですが、次回もまだ騎士との話。