44・騎士の名3
「その男は……外にいる何者か……ギネルセラでしょうね、それに守られています」
「どういう事だ?」
聞いてみれば、最高司祭は目を開いてセイネリアの顔を見てくる。
「ギネルセラの意識は狂っています。名を呼ばれても自らを取り戻せないくらいに。そうして負の感情だけになった彼は、今まで剣を手にしたものをその狂気に引きずり込んで惨劇を作り上げてきました。ですが、そのギネルセラと共にいるそこの騎士の魂はその狂気には飲まれてはいないのです。それは、おかしくないでしょうか?」
言われればそこは確かにおかしい。
剣を持った者が皆ギネルセラの狂気に取り込まれてしまうのなら、共に剣の中にいる騎士の意識が正常でいられる訳がない。それこそ魔法ギルドの記録通り、ギネルセラに騎士の魂は飲まれてしまった……という方がまだ納得出来る。
更に言うならセイネリアは、王が剣を手に取って狂っていく時の騎士の様子を知っていた。王が狂っていく姿をこの騎士は黙ってただ見ていた。王が狂気に取り込まれた状況で、この男は正気で、わざと手を差し伸べなかった。
「だからこの男に対するギネルセラの意識を見ていたのですが……ギネルセラの狂気は貴方の事は取り込もうとしているのに、この男には全く攻撃をしようとしていない。この男の意識が貴方とギネルセラの間で防波堤になり得ているのは、ギネルセラがこの男を攻撃しないで……守っているからではないでしょうか?」
それでセイネリアは思い起こしてみる。騎士が魂だけになって剣の中に入った直後、騎士に話しかけてきたギネルセラの様子を。更にギネルセラの視点であの状況を考えれみれば……最高司祭の予想は間違っていないように思えた。
セイネリアはまた、騎士の方を見た。変わらず騎士は後悔の中、虚ろな声で呟いているだけだった。
「俺が……俺が、全てを殺した。俺のせいで……皆、死んだ」
――結局騎士は自らの意志で自分を失ったがな。
誰からも認められなかった魔法使いと、まったく逆の立場だったのに同じ境遇だった騎士。ギネルセラはずっと騎士に対して共感するものを持っていたのだろう。思えば騎士の記憶にあったギネルセラは常に騎士には友好的で信頼の目を向けていた。そんな騎士が最後までギネルセラが裏切っていない事を分かってくれていたのは、王に裏切られた魔法使いにとっては唯一の救いだったのだろう。だからギネルセラが狂っても尚、騎士だけは守ろうとしていたというのは分かる話ではある。
ただし、騎士が自分の罪に耐えられなくておかしくなったのはギネルセラにとって想定外だったのだろうが。まったく、皮肉な話だが。
セイネリアは騎士に同情などしていなかった。彼の過去を見た時もそうだが、真相を知って、余計に騎士には同情出来ないどころかムカついていた。それこそ騎士が生きている人間であったのなら、思いつくだけの手で地獄を味わわせてやったのにと思う程に。……勿論、それが叶わないからこそただ虚しさを感じる事しか出来ないのだが。
――それでも、この男が戦士としての矜持を失っていないなら。
セイネリアはここへくるまで、騎士と話すことが出来た場合、自分が何をすべきか考えていた。
いくつかの状況を想定し、どうすればこの腹に溜まる重い塊を多少なりでも軽く出来るかと考えた。それが出来ないならわざわざ騎士に会う必要もない。真相を知るだけではなく、これで自分の中にあるこのもやついた感覚にけじめをつけたかった。
だから、もうこれ以上話を聞く意味もないと思った段階で、セイネリアは最後に騎士にいうつもりだった言葉を告げる事にした。
「おい、騎士ラーディア、あんたが本当に最強と呼ばれた騎士なら、強敵と戦いたいとは願わなかったのか?」
ただ嘆いて後悔の言葉を呟くだけだった騎士の声が、そこで止まった。
「最強と呼ばれたなら全盛期のあんたに勝てる人間はいなかったんだろ? あんたは自分の全力を出して、それでも勝てないかもしれないと思う相手と戦った事はあるか? それがどれだけ楽しいか、あんたは知っているか?」
――あんたが魔法を使えなくても誰より強くなりたいとそれだけに人生を掛けていたのなら、そこまでに鍛えて極めたというのなら、そう思った事がないとは言わない筈だ。
騎士は目を見開いたまま、ゆっくりと顔を上げると呆然とセイネリアの顔を見てきた。彼の目からの涙は止まっていた。セイネリアは騎士の目を見て、笑みと共に言ってやる。
「あんたが認めた俺という人間と、戦ってみたいと思わないか?」
言い切ると同時に、虚ろだった騎士の瞳に意志の光が戻った。
絶望と後悔に打ちひしがれた彼の表情に希望が広がっていく。瞳は真っすぐセイネリアだけを映し、唇には笑みが湧いて、騎士は答えた。
「願った……願ったぞ、もっと、もっと、面白い戦いがしたいと、お前のような人間と戦いたいと。自分の持てる全ての力と技を使ってぎりぎりの戦いをしてみたいと」
この展開にいくための会話だったわけです。