37・その日の朝
もう早朝という程ではないが、朝の訓練場で思い思いに鍛錬をしている団員達の姿をカリンは眺めていた。
冒険者というのは毎日決まった仕事をしている訳ではないから、仕事が入っていない日の朝は昼近くまで寝ているような者が多い。相当真面目か向上心の高い者なら朝の鍛錬を日課として早起きをするが、まず大抵の者は空きの日は好きなだけ夜遅くまで遊んで好きなだけ朝寝をするような生活をしている。
ただこの傭兵団の場合、朝の鍛錬をする者はかなり多い。
それはこの団に入れるだけの腕があるということと、団の長であるセイネリアが向上心のある者を評価してくれるからというのが大きいだろう。
カリンは窓から視線を戻すと、廊下を歩きだした。
カリンから見て、不老不死を打ち明けられたあの日からセイネリアの態度や行動に変化があったようには見えなかった。カリンもあれからその事について何か聞いたりする事はしなかったし、彼からもそれについてはあれ以上何も言ってこなかった。不老不死なんて普通なら信じられない言葉だが、あの主がそんな事を冗談や憶測で言う筈はない、それは真実なのだとカリンは思っている。
そのつもりでセイネリアを見ていれば、確かに黒の剣を手に入れる前と今では彼には変わったところがいくつかあった。たとえば、彼が滅多に朝の鍛錬をしなくなったのもその一つだ。前のセイネリアは仕事の時や、何かやれない事情がある時以外は朝の鍛錬を欠かさなかった。けれど今は、リオがいた一時期には毎朝やっていたものの、朝もそれ以外の時間でも滅多に鍛錬をしているところを見なくなった。セイネリアも団を作ったばかりの頃は忙しくてその時間がなさそうだった事と、カリンも忙しくて主の傍にあまりいなかった事もあって気にしていなかったが、思い出せば確かにおかしいと気づくべきところだったと思う。
他にも考えれば、ほんの少しでも体調について何か言ってくることもなくなったとか、起きた後身支度を整えるのが早くなったとか、前以上に不用心に一人で出掛けることが多くなったとか……些細な事だが、言われれば合点がいくような事が思いつく。カリンにとってセイネリアの持つ空気感が変わったのが気になりすぎていて、細かいところが見えていなかったと思う。
「今日は、どちらにお出かけですか?」
セイネリアの部屋に入った途端、既に鎧を着て立っていた主にそう尋ねれば、彼はマントを着けながらこちらを見た。
「アルワナ大神殿だ。南の森でケサランと待ち合わせして飛ばしてもらう」
「お帰りはいつになられますか?」
「夕方には帰ってこられるだろ。遅くなるようなら連絡する」
ただ最後に、彼があの黒い剣を腰に差したのを見て思わず聞いた。
「それを持って行かれるのですか?」
「あぁ、向こうで呼んでもいいが、念のためにな」
今の言葉で分かるのは、これから主が行く場所でその剣を使うつもりだという事だ。ただ、普段の主武器である長剣の代わりに持って行く段階でそれを戦いに使うためとは思えない。行先からしても、剣を使ってなにかをする……魔法関連の何かだろうか。
カリンが何もいわずじっと見ているだけなのが気になったのか、彼は正面からカリンに向き直って聞いてくる。
「何をしに行くのかは教えられないが、俺の心配はしなくていい、言った筈だ」
そう言ってこちらとすれ違うように部屋を出ていこうとしたから、カリンは言った。
「貴方の体の心配をしていません。貴方が泣きたくなるかもしれない事態が起こるのなら私もついて行くべきかと思ったのです」
それには少し驚いたように足を止めて、それから彼はカリンを見ると自嘲気味に唇を歪めた。
「そんなに事態にはならないさ」
すぐにそう言ったものの、その後視線を前に戻してから彼は言葉を付け足した。
「いや……もしそうなったらお前を呼ぶ」
カリンは振り返ったが、そのまま彼は部屋を出て、廊下を歩いていく。
暫くは去って行く主の姿をじっとみていたカリンだったが、やがて口元に微かな笑みを浮かべて、いってらっしゃいませ、と唇だけで呟いた。
次回から実際、ラスハルカの記憶を戻す話になっていきます。