30・言っておくこと
早朝の森の中は静かで辺りに人の気配はない。遠くに聞こえる鳥の声や風に揺れて擦れる葉の音だけが辺りを満たしていた。
そんな中で馬の足音を響かせて、セイネリアは街に向かっていた。
帰りも行きと同じくくらいゆっくりと歩かせているのは、後ろにカリンが乗っているからだ。更に言うなら、まだ人がいないだろうこの辺りで彼女に話しておく事があったからというのもある。
ケサランと別れて馬に乗せた後、カリンは後ろからこちらに抱き着くように掴まったまま何も言わなかった。
セイネリアも暫くは何も言わなかった。
ただ、森の静寂を感じて、気持ちを落ち着かせてからセイネリアは彼女に向けて口を開いた。
「カリン、お前に言っておくことがある」
「はい、何でしょうか」
こちらの体を掴む彼女の腕に緊張が走ったのが分かる。
「樹海の仕事から帰ってきてから、俺の様子がおかしかったのはお前も分かっていたと思う。その理由だが……どうやら俺は不老不死になったらしい」
息をのむ気配はしたが、彼女はすぐに返事を返して来なかった。驚いたのか、言うべき言葉が見つからないか……おそらくは両方だろう。ただ暫くして、おそるおそるといった様子で彼女が言ってくる。
「それは……どう取ればよいのでしょうか」
ケサランに言われた通り、本当はカリンにこの事を打ち明けておくべきだとは分かっていた。ただ他の理由をつけて中々思いきれなかったのは自分の中に迷いがあったからだ。言えば後戻り出来ないという……エルの事といいカリンといい、こうして理論で割り切れない迷いが生まれるという事は、自分が彼らに対して情を感じているからなのだろう。
「今のところ実際試して分かっているのは、怪我をしてもすぐに治るという事だ。それも大怪我であればある程早く治る。後は髪を切っても元の長さに戻る、休憩しなくても疲れない、体調不良も起こらない。代わりにどれだけ鍛えても今以に上筋力は上がらない。早い話、俺の体はある時の状態で固定されたようなものらしい。そこからの変化は起こらない、あった場合はその状態に戻る」
そこでカリンはまた黙った。彼女は考えているのかもしれない。
「原因は樹海で手に入れてきた黒の剣だ。あれの主人となった事で俺の体はそうなった。文字通り、本当の化け物になった訳だ。……だからな、カリン。お前はよく俺の無事を心配するが、もう、その必要はないんだ」
彼女の腕に更に力が入る。顔がこちらの背に押し付けられる。
そうして、また、彼女の小さな嗚咽が聞こえた。
「お前は、また、泣いているのか?」
「……はい」
「何故泣く」
「貴方が泣けないからです」
セイネリアは唇だけに笑みを作った。
「またそれか」
くくっと喉を鳴らして、だが当然楽しくも面白くもない。ただ腹の中にはどこへもぶつけられない憤りと重く不快な塊があって……だがその感覚も、彼女の嗚咽を聞いていると少しだけマシになる気もした。気のせいかもしれない。ただ単に、他者が感情的になっているのを見ると冷静になれるというだけの事なのかもしれない。
「……いや、そうだな。確かに、俺は泣きたいのかもしれない」
おそらく、泣くような――嘆くとか悲しいとかそういう感情は、母親にいないものとされ、娼館を出たあの時に失ってしまったのだとセイネリアは思っている。それ以前の記憶はほとんど思い出せないが、昔は確かに悲しんだり心から笑ったこともあった筈だった。
「なら、今後も、お前は俺の一部として俺の代わりに泣いてくれ」
「はい」
その返事は嗚咽混じりではあったものの、嬉しそうに聞こえた。だが、続けて彼女が言った言葉には、決意と同時に辛そうな響きもあった。
「私の命ある限り、貴方の一部としてお仕え致します」
その言葉に対して、セイネリアは反射的に唇を皮肉げに歪める。
そう、彼女はセイネリアとずっと共ににはついてこれない。彼女がどれだけ長生きしても、自分より先にいなくなるのは確定している。カリン自身もそれを分かっているからこそ出た言葉なのだろう。
「あぁ、それでいい」
とはいえ、彼女に望むものとしてはそれで十分だ。
いつか自分が剣に取り込まれて狂う日がくるとしても、彼女が生きている間くらいはそうならずに済むだろう。
ここからあとは騎士の名前関連の話ですね……。