17・最後の酒1
翌日、ステバンは傭兵団を去った。
セイネリアは結局、彼とは3回程手合わせの時間を作ったが、それ以外の時も彼はひたすら鍛錬をしていたようで、途中からは訓練場の方に行ってそこで団員達と手合わせをしていたらしい。彼が去る時には気づいた団員が手を振っていた(セイネリアが傍にいたから一緒に見送るまでは出来なかったのだろう)から、この2日で随分皆となじんだものだと感心した。
ステバンは団員達の腕が皆良い上にクセのある人間が多かったからいい経験になったと言っていたが、セイネリアがたまたまその様子を一度見たところでは彼が団員達の稽古をつけているようにも見えた。
義理堅い男だから、もしかしたら団に滞在させてもらった礼代わりとして、本当に団員達に稽古をつけてやっていたのかもしれない。
ちなみにステバンの相手をした中にクリムゾンはいない。
実はステバンが団員達と手合わせをしているというのをセイネリアに知らせに来たのはクリムゾンで、その時に彼は自分も相手をしていいかと聞いてきていた。ただしわざわざ彼が許可を求めてきたのは『間違って殺すかもしれませんが』という理由のせいで、だからセイネリアは許可しなかった。クリムゾンの言い分として『殺すつもりでないと勝てない相手だから』というのはおかしくはないが、彼がステバンを良く思っていない事も見て分かったので関わらせない方がいいと思った。
ステバンが去ったその日の夜に、セイネリアはエルを部屋によびだした。彼としては約束通り契約をするためだと思ったのだろうが、部屋に来たエルはまず驚いて聞いてきた。
「え? なんだ契約して終わり、じゃねぇの?」
彼が驚いたのは、机の上に食事の支度がされていたからだろう。しかもセイネリア一人分だけではなく、もう一人分の席がセッティングされている。少なくとも夕食を一緒に取るつもりで呼び出したのはみてすぐに分かる状態だった。
「契約書は用意してある。これを見てお前がサインすれば契約は完了だ。……だが契約をする前に、長く固定パーティを組んでやってきた仲間としての最後の酒を付き合え」
エルはそこで目を大きく見開いてから、けっ、と呟いて下を向くと大股で用意された席に歩いてきた。それから少々乱暴に椅子に座ると、思い切ったように顔を上げてこちらを見て来た。
「らしくねぇ、どういう風の吹き回しだ?」
「言った通りだ、契約したらお前の立場は変わる、その前に話をしておこうと思っただけだ」
「契約してもしなくても、俺のやる事なんて何一つ変わらねぇだろーが」
エルはわざと顔を顰めているが、すぐに目をそらしたあたり、今言っているのは彼の本心ではないだろう。
「だが、お前の気持ちが変わるだろ」
そういえば、エルは黙る。
「俺も話があったしな、お前も、契約前じゃないと言えない事があるだろ。契約をして立場が変わったら言えない事は今の内に言っておけ」
言ってセイネリアはエルのグラスに酒を入れた。
エルはまだ黙っていたが、グラスを掴んでそれを一気に呷ると口を拭った。
「……お前は、最初に会った時からヤバイ奴だと思った。それと絶対将来何かすごい事をしそうだと思った。そんな奴に出会えて俺にも運が回ってきたって思ったんだ――」
こちらの目を見ずにエルがぽつりぽつりと話しだす。セイネリアはそれを黙って聞きながら彼のグラスに酒を足した。
エルの話は出会った頃の昔話から始まった。初めて会った時の印象、最初の仕事で死ぬかもしれないと思った事。その後もいつ死んでおかしくない状況に何度もあって、それでもセイネリアがいればどうにかなる気がしていたと、そうしてセイネリアはそれを毎回証明してくれたと、今までの仕事を振り返ってエルがどうセイネリアを見ていたのかを話してきた。
途中、言いにくい事がある度に酒を飲んで、セイネリアはその度に酒を足した。だから当然、話の途中からエルは相当に酔ってきていて、ただ酔いが回るにつれていつもの彼らしい陽気な口調になってきた。
「あの魔女を捕まえる時なんか、お前俺の事囮にしやがったろ。っとーにひでーやつだよな、お前はよっ」
「そんなの分かってたろ」
「あーあ、分かってたぜ、なにせ長い付き合いだからなっ。ほら、のめよっ」
勿論酔ったエルはセイネリアにも酒をもっと飲むように勧めてきた。セイネリアは注がれたら大人しく飲んでいたが、黒の剣のせいで一定以上飲めば酔いは覚めてしまうためエルばかりが酔っていく事になる。
酔って楽しくなってきたらしいエルは舌の滑りもよくなって行く。少し大げさ気味ではあるが彼が一方的に話してはセイネリアが一言二言づつ入れていく――そういえば、こんな風にエルと酒を飲んで話したのは久しぶりかとセイネリアは思った。
固定パーティで仕事を受けていた頃は、仕事が終わると毎回酒場に行ってこんな風に酒を飲んで話していた。カリンは基本聞き役だからあまり話さなかったが、エーリジャがいたころはエル一人がしゃべるんではなくあの弓使いの親父も一緒になって騒いでいてもっと賑やかだった。
その頃を思い出せば、あの頃はよかったなんてどこぞのジジイみたいな感想が浮かんでしまって我ながらバカバカしくなる。酔えないのもあって冷静過ぎる頭が、時は戻らないのだと言ってくる。
エルとセイネリアの対等な仲間としての最後の夜のお話。