15・朝の鍛錬4
みっともねぇ、と思いながらエルは空を眺めて溜息をつく。これじゃ他の団員達と変わらない。セイネリアが手合わせで試合用の剣をあまり使わないのは、重さの感覚が違って訓練にならないというのとその方が真剣になれるからだと前に聞いていたが、今の彼の場合はおそらく違うだろう。余裕がありすぎるから蹴るとか柄で叩くとかを決定打に出来るし、刃を向けるにしても寸止め出来る自信があるからだ。つまり、間違っても相手を傷つける事はないし相手の刃が当たって怪我をする可能性もないから本物の剣でいい、という訳だ。
――特に俺の得物なら殺傷能力は微妙だしな。ったく、やっぱあいつそんくらいの差がある事なんて最初から分かってンじゃねーかよ。
多少でもいい勝負が出来るかも、なんて事は思ってなかったから予想していた状況だが、エルは腹を押さえつつも起き上がってその場に座りこんだ。
「みえねーし、追えねーし、全然っ、全く、勝負にならねぇよっ」
分かっていたが本気で全く歯が立たなかったから投げやりにそれだけ言えば、直後にぞくりと背筋が震えてエルは焦って顔を上げた。
そこにいたのは、セイネリアだった。
彼は何も言わず自分を見下ろしていた。ただ今の感覚的に怒っているのかと思った彼の顔はそうではなく無表情に近くて、目だけがあえていうなら……なんだろう、寂しそう、に見えた。それを失望されたのだと取って、エルは思わず下を向いた。
「俺に何期待してたのか知らねーけど、お前だって俺じゃ相手にならない事くらい分かってたンだろ」
騎士団に入る前までのセイネリアなら、まだある程度の駆け引きを楽しめるくらいには勝負になった。だが今のセイネリア相手じゃ差がありすぎてエルが面白くないのは当然として、セイネリアだって全く面白くない筈だ。
それが分かっていたからエルは、今のセイネリアに対して手合わせをしようなんて言わなかった。何があったのかは知らないが、騎士団から戻ってきてからのセイネリアの強さは異常だ。……だが、そこまで考えてエルはふと疑問を持った。
――いや、こいつがおかしくなったのは傭兵団を作ったあたりからだったから……。
エルとしては、彼が騎士団に入ってから暫く会わなかったせいでその間に彼がここまで出鱈目に強くなったと思っていた。それならあの樹海の仕事で再会した時点の彼は既に今くらい強かった事になるのだが……それに対しては正直なところどうともいえない。あの時の敵はあくまで樹海の動物や化け物相手だったから現時点との比較がし難いというのもある。
とはいえ、セイネリアの持つ雰囲気が変わって底知れない『怖さ』を感じるようになったのがいつからかと言えば、傭兵団を作っていろいろ始めたあたりからだ。
それ以降……クリムゾンに聞いたところからして、傭兵団建設への嫌がらせを撃退した時は今くらいにヤバかったのは確定している。
あの時期に何かあったかといえば鎧を手に入れた事くらいだが、まさか特殊な魔法が入っている訳でもない鎧一つであそこまで一気に強くなるとは思えない。なら何が原因かと考えれば……あと思いつくのはあの剣しかない。
――そらぁ、魔法使いが王になれってくらいのとんでもないシロモノらしいからなぁ。けどどれもあいつがあの剣を使ってる時ではねぇから関係ない……よな?
あの剣を持った時だけ人が変わる、とかいうのなら剣のせいだが、そうでないなら剣のせいとは考えにくい。しかも剣を手に入れた直後におかしくなった訳でもない。
となるとやはり、普通に考えれば突然とんでもなく強くなったなんてのはあり得ないから、会っていなかった間に何かすごい鍛錬をやって強くなったと考える方が自然ではある。それならステバンは最初から今のセイネリアがあれくらい強いと分かって手合わせをしたのかもしれない。だから心が折れないで何度も対戦出来るのだと納得は出来る。
ただ、どこかで何か……セイネリアが変わるだけの事があったのは確かな筈だった。
別にだからといってセイネリアに対する評価は前と変わるものではないし、エルの立場としては困る訳ではないからへたに追及しようとはしなかった。そっちはカリンが心配して動いているようだから任せていたというのもある。彼女の方が自分よりセイネリアに近い関係だというのは分かっていたから、エルからどうこうするよりその方がいいと思っていた。
それはマズかったのだろうか?
自分も彼に何があったか聞くべきだったのだろうか?
ただ今更そんな事を考えても、それはもう手遅れだというのは分かっている。聞くのなら気づいた直後か……せめて、契約なんて言い出す前にしなければならなかった。
「俺がいても邪魔になるだけだろ、そろそろ早起き連中も出てきてるだろうし、俺ァあっちで皆とやるわ」
立ち上がってセイネリア達に背を向ける。特に引き止められはしなかったから、エルはそのままそこから離れた。
エルも入れて3人でのシーンはここで終わり。