11.だが今は2
「君は強くなりすぎた。しかもそれは、ただひたすら鍛えて強くなった強さじゃない、と俺は思った」
ステバンの言葉にセイネリアは唇を皮肉げに曲げた。
さすがに、彼くらいの腕になればこちらがどれくらい前より強くなったのか……少なくともそれが『あり得ない』くらいだというのは分かったのだろう。技能面だけなら別人になったと思われてもおかしくない。
ステバンはきっとあれからずっと更に鍛錬を重ねていた。彼に出来る精一杯の事をしていただろう。だが久しぶりに会ったセイネリアとの差は前よりもずっと開いていた。出来る限りの事をやっていた彼だからこそ、セイネリアがこの期間でそこまで急激に強くなった事をおかしいと感じた筈だ。
「インチキだ、と思ったか?」
「そんな事は思っていないっ」
ステバンは怒鳴るくらいの強い声で返してきたが、すぐに表情をすまなそうに沈ませる。
「今の君の力を否定する気はないんだ。ただどれだけやっても俺が追いつけない強さだと分かった……だけなんだ」
だからあれ以上やっても無意味だと彼は理解した。あそこで勝負を捨てるしかなかった訳だ。
「何があった、とは聞かない。話してもらえるような内容なら、既に君の方から話してくれている筈だから。ただ……残念だ、もう君と前の時のような試合が出来ない事が」
それはどういう意味だろう――ステバンの言葉の意味をセイネリアは考えた。実力差がありすぎて剣を合わせる意味がなくなったと言っているのか、互いに楽しんで試合する事が出来なくなったという意味か。どちらでもいい事だが。
「そうか」
セイネリアとしては声に感情を乗せたつもりはなかったが、冷たく聞こえたのかもしれない。途端、明らかにステバンは泣くくらいに辛そうな顔をして、それから顔を下に向けた。
「すまない、期待をしてくれたのに……俺には無理だ、俺では君に追いつけない」
顔は見えなかったが声は震えて泣いているようにも感じられた。セイネリアはもちろんそんな彼に同情なんて少しも感じなかったし、彼がそこまで謝る理由も分からなかった。
「君が楽しくないのは、楽しめるような相手がいないからだろう? 君は……俺に期待をしてくれていた、本当はすぐ終わらせる事が出来る程余裕があったのに、わざわざ俺にいろいろ手の内を見せてくれたのは……俺にもっと強くなってそれらにも対応できるようにして欲しかったからだったんじゃないか? ……すまない、俺は君の期待に応えられなかった」
セイネリアは苦笑する。どうやら自分はステバンに対して少し間違えていたらしい。
彼が手合わせ後に一人になって落ち込んでいたのは、負けを認めた自分自身を許せなくて悔しかったというのは確かだろうが、それだけではなくセイネリアに対して申し訳なさすぎて合わせる顔がなかったというのもあったのだ。だから彼はセイネリアに謝った、謝るために夕食を共に取る事を断る選択肢はあり得なかった。
どこまで真面目な男なのだと思うと同時に、彼はセイネリアがどうして戦いがつまらなくなったのかその理由を正確に理解しているのだと分かった。強くなり過ぎて、誰と剣を交えても少しも熱を得られない――ひたすら強くなろうと努力してきた彼だからこそ、それがどれだけ虚しい事か理解出来たのだ。
「……正直、年齢的にも俺の体は今がピークだろう、それでこれだけの差があるともう追いつけるとは思えない。君の動きがどうにか見えても体が届かない、俺ではだめなんだ……すまない」
彼の言う通り、ステバンの年齢的に肉体面をこの後更に上げていくのは難しい。筋力だけならどうにか出来ても体力切れからは逃れられない。だから彼はこれからどれだけ努力をしてもセイネリアには届かないという結論しか出せなかった。
――そもそもあの騎士の技術だけではなく、疲労も知らず衰えもしない不老不死の化け物に勝てというのが無茶な話だからな。
セイネリアにとっては分かっていた事で、今更失望する程ではない筈だった。少なくともステバンが自分の虚しさを理解してくれただけ、期待分くらいは応えてもらえたと言えるだろう。
だからもう話を切り上げるべきかと、セイネリアは酒瓶に手を伸ばした。だがそこでステバンが唐突に顔を上げた。
「だが、世の中に絶対なんてないっ。きっといつか、君に追いつく者がいる筈だ」
それには驚いて、セイネリアは彼の顔を見た。彼は強い目でこちらの顔を見ていた。
「だから、諦めないでくれ。またいつか、君が笑って剣を握れる時がくる」
クソ真面目な男が真剣な顔でそう言ってきて……セイネリアは目を見開く。
ステバンとしてはこれは精いっぱい自分を励ましているつもりなのだとセイネリアには分かった。セイネリアが感じている虚しさを分かっているからこそ、セイネリアが何を求めているかを理解して、その望みを肯定したのだ。
根拠もなく、けれどそれがセイネリアに掛けるべき、望んでいる言葉だと思って言った男の真剣過ぎる顔を見ていたら、セイネリアは笑うしかなくなった。クク、と喉を鳴らして、それから声を出してセイネリアは笑った。
「諦めたのはあんただろ? あんたが諦めて負けを認めた方だ」
茶化してそういえば、こちらが笑った事で困惑していたステバンがその困惑顔のまま返してくる。
「え? あ、いや、それはそうだが……君へ言いたいのは……」
「それにその言い方だと、俺はまるで負けたがってるみたいじゃないか?」
「そうではなく……いや、勝ち負けではなく、君が満足する相手と出会えるという意味で……負けたがってると言いたい訳じゃなく、いい勝負をしたいという君の願いを……だな」
セイネリアは更に声を上げて笑った。ステバンはそれ以上は口を噤んでこちらを恨めしそうに見て来るだけだったが、セイネリアがやけに楽しそうに笑っているからか、ステバンも苦笑して表情を和らげる。
勿論これは、彼の様子がおかしくて笑っているのではない。
彼が自分の状況を理解して掛けてくれた言葉が、思った以上に自分の心に響いたからだ。こんな事に喜びを感じる自分がおかしくて笑っただけだ。自分の願いを他人に肯定してもらえた事に喜びを感じる程、自分で自分を見限ろうとしていた事に気づいただけだ。
――あんたの言う通りだ。間違っていないさ、俺は負けたかったんだ。
「その……俺は、何かそんなに笑われるような事を言っただろうか? さすがにずっと笑われると、俺もどうした方がいいのか分からないんだが」
真面目過ぎる男は正直に今の状況を口に出す。さすがにセイネリアも悪いと思って、笑みをどうにか収めて彼に言ってやる。
「すまなかったな、少し気づいたことがあって、それで笑いたくなっただけだ。あんたを笑った訳じゃない」
「そうか……それは良かった、のか?」
「あぁ良かったさ、礼を言う」
「いや、礼を言われる覚えはまったくないんだが」
「いいんだ、受けておいてくれ。……さて、さすがにそろそろ食おう、料理が冷めきってしまうからな」
そうしてセイネリアは酒の封を切って開けると、彼に勧める。ステバンが慌ててグラスを前に出したから、セイネリアは酒を注ぎながら聞いてみた。
「俺に勝てないとしても、折角ここに泊まるんだ、時間があればまた何度か手合わせはしていくんだろ?」
そこでやっとステバンが笑う。分かりやすく嬉しそうに。
「勿論だ、君をがっかりさせてしまうかもしれないが、それでも相手をしてくれるだろうか?」
セイネリアは口元に深い笑みを浮かべた。
「構わんさ、空いてる時ならいつでも付き合ってやる」
中途半端に次回へ続く、をしたくなかったのでこのシーンの最後まで入れました。
次回は翌日の話。