10・だが今は1
夕飯の時間になって、セイネリアの執務室には2人分の食事が運ばれてきた。
つまり、ステバンはセイネリアと共に夕食を取る事を了承したという事だ。カリンは彼に夕飯が出来た事を知らせに行った際、どこで食べるかを聞いて、それから料理を運ばせた筈である。だからステバンが一人で食べると言ったのなら、ここへ彼の分が運ばれてくる筈はない。
思わずセイネリアの唇には笑みが上る。
確かにステバンは、騎士団で英雄視されるだけの人間ではあるのだろう。
「私はどうしましょう?」
配膳が終わった後でカリンが聞いてきたから、セイネリアは少し間を置いてから答えた。
「お前は下がっていていいぞ。終わるまで呼ぶ事はないから、待機の必要もない」
「分かりました」
カリンはそれで部屋を出ていく。来ている客によってはカリンには食事中、酒の準備や料理の取り分け、食器の追加等の雑用をやってもう事もあるが、今回は彼女もいない方がいいと思ったのだ。
その方が、ステバンが先ほどの手合わせでの事を話しやすい筈だった。
彼は真面目な男だから、あの後でセイネリアと会う気があるというのならさっきの手合わせの話をしないで済まそうなんて考えないだろう。彼自身が許せなかった負けを認めた話をするのなら、セイネリア以外はいない方がいい。
棚から酒瓶を2本とって席につけば、暫くしてステバンが入ってくる。ただ彼の顔が強張ったものではなく自然な笑顔であったから、それには少しばかりセイネリアも内心驚いていた。
――無理やり落ち着かせた、という状態ではないようだ。
いつでも諦めずに足掻いてきた男が初めて足掻くのを無駄だと悟って負けを認めた――それは彼にとって相当に悔しい事だった筈だ。彼自身に対する憤りの感情は簡単には消化出来るものではなく、暫くはひきずるだろうと思っていた。だから今はまだセイネリアと顔を合わせたくないと言い出すかと思って、夕食を共にする事を断ると思っていた。もしくは真面目な男だから、約束を守ろうとして無理やり自分を落ち着かせてやってくる可能性もあると……その場合は、表情に必ず無理しているのが出るだろうと思っていた。
だが彼の顔は落ち着いていて、あまつさえ笑みまで浮かべている。
それでセイネリアがまず思ったのは……他の連中のように、彼もセイネリアになら負けるのは当たり前の事だと思って納得して諦めてしまったのではないかという事だった。
であるのならつまらない。
ただ彼の持つ空気はそういう者達とも違ったからそうではないとも思えた。……いや、そこはもしかしたら自分の願望もあって否定したかっただけなのかもしれないが。
「すごいね、ご馳走だ。さすが大傭兵団に数えられるところの団長様の食事だけある」
席に座りながら、ステバンが楽しそうにそう言ってくる。別に無理に明るく言っている訳ではなさそうだった。
「食事が終わるまでは誰も呼ばなくていいように多めに置かせた」
だがセイネリアがそういうと、彼の笑みが少し辛そうに歪んだ。
「そうか。……気遣い、感謝する」
けれどその顔はすぐにまた穏やかな笑みに戻る。彼は座ったまま大きく深呼吸をすると、真剣な目でこちらを真っすぐ見て言ってきた。
「久しぶりに君に会った時から、君が何かとても変わってしまった、何かがあったのだろうと思っていたんだ。君は……強くなり過ぎてしまったんだな」
セイネリアは何も答えず、暫く彼の顔を見た。それでも彼の目が自分から動かないのを見て、セイネリアは軽く口を歪めた。
「そんなに変わったように見えたか」
「あぁ、何よりも、君が楽しそうじゃない」
即答で返された答えに、だろうな、と心で呟いてから聞き返す。
「前の俺はあんたから見てそんなに楽しそうだったか?」
「少なくとも相手が何者であろうと、これから剣を合わせようとする時の君は楽しそうだった。俺も、君と同じ『楽しさ』を感じていたから、分かる」
確かに剣を手に入れる前は戦う事を楽しんでいた。だが……それはそこまで昔の事ではない筈なのに、今のセイネリアはその時の感覚を思い出すことが出来なかった。
「……そうだな、かつては楽しかったんだろうな」
相手が次に出すだろう手を予想して、その対処をする、あるいは先手を打って相手の動きを制限させる。リスクを承知していちかばちかの賭けで仕掛ける――それが、楽しかったのだと思う。強敵であればある程、相手の動きは予想しきれない。全力を出していれば疲労が溜まって思うように体が動かなくなる。
そんな当たり前のリスクがあるからこそ楽しいと思えたのだろう。だが今は――。
次回もこのままステバンとの会話