7・試合3
ステバンは再び彼に向かっていく。今度は体を低めに、走るというより滑るように素早く、彼に近づいて剣を伸ばす。だがその視線が急に黒に覆われる。それが彼がマントをわざと広げたせいだと瞬時に気づき、ステバンは足を止め、剣を引こうとする。ところが剣はマントに引っかかって即戻らなかった。遅れたのはほんの僅かではあるものの、その僅かなタイミングのずれが命取りになる。それを悟った段階でステバンの口は呪文を唱えていた。マントの下から急に相手の剣先が現れる、それと同時に。
「――よ、その慈悲深き光を我に――……」
後は全力で斜め後ろに飛びのく。ただ目を閉じてであるからかなりの賭けだ。閉じている分気配を探る、彼がまともに光を見てくれたなんて楽観はしていない。
ぞくり、と背筋に嫌な感覚が走って、ステバンは目を閉じたまま剣を前に立てた。直後に剣が押されて歯を噛み締める……が、腕は耐えても後ろへ下がろうとしていた足が踏ん張り切れなかった。そのまま体で衝撃を受け止め、足が浮いて地面に転がる。
「がはっ」
目を閉じていたせいで受け身も取れずに転がってしまった。それでもステバンはすぐにそのまま自ら転がってその反動で起き上がる。息を整え、剣を持ち上げ、目を開けて彼を見れば……黒い騎士は、まるで今、何も起こらなかったかのように立っているだけだった。
全身の汗が一瞬で冷えたような、そんな感覚に体が震える。
――こんなに差があっただろうか。
呆然とそう考えて、黒い男の立ち姿を呆けたように見る。それでもそれは大した時間ではなく、ステバンは我に返るとすぐに剣を構えた。
とはいえ、今度は相手に向かっていく事を体が躊躇する。
黒い騎士の姿は益々大きく見え、心はまだ萎えていなくても仕掛けるタイミングが掴めない。なんだこれはと自分でも驚くくらい、足が前に出なかった。
相変わらずセイネリアの姿は何事もなかったかのように動かず静かで、肩で息どころかわずかな呼吸の乱れさえ見られない。
知らずに、ごくり、と喉が鳴る。体は妙な寒気に包まれていて震えないようにするのが精一杯だ。つまりこれは、彼からくるプレッシャーに自分は恐怖を感じているのだとそう自覚して、それでも剣を持つ手に力を入れ、深く息を吐いてから呟く。
「神よ、光を我が盾に……」
これで一回は攻撃を食らえる。焼石に水だと分かっていてもやれる事はやるべきだ。たとえ勝てないのが確定だとしても、自分が出来る事を全てやった上で負けるのでなくては自分がここまでしてきた努力へも、そして相手に対しても申し訳ない。
前へ行きたがらない足を動かすために逆に足を引き、そのまま地面を蹴って一歩踏み出す。それとほぼ同時に黒い騎士の体も動いた。
剣を前に出さず、姿勢を低くして頭から突っ込んできた彼は、腕をおろしているせいで剣をどちらの手に持っているかが見えなかった。重い両手剣を片手でも振り回せる化け物じみた腕力がある彼だからこそだが、腕がマントに隠れていて見えずどちらから来るのかが判断できない。
とはいえこちらも既に踏み出した足を止められない。となれば予想で動くしかない。
こちらに向かってきたセイネリアは、だが急に目前で止まる。それでまた彼の黒いマントが反動で広がる。黒い布が翻る中、ステバンは彼の体勢、肩の角度、頭の位置、見えるだけの情報から剣がくるだろう場所を考える。勿論、いちいち考えているのではない、経験による計算で瞬時に判断している。
一瞬、相手の剣の銀の光が見えた。
反射的にステバンはそれを受けるために剣を前に出したが、そこで足をひっかけられて体勢を崩す。それでもすかさず前にかがんでそのまま彼に体当たりを仕掛けた。倒れるエネルギーを突進に変えただけだから大した力は入ってはいないが、それでもこちらの体重は乗っている筈だった。けれど彼は動かない。壁のようにこちらの体当たりを受け止められたと思えば、直後に腹を蹴られて体が跳ねる。盾の術が入っていたせいで腹への直接ダメージはなかったが、吸収しきれないダメージをうけて体が光の保護ごと跳ね飛ばされたのだ。術による『盾』の効果以上の攻撃を食らうと起こる事態である。
問題は、これだと想定より大きく飛ばされる事だった。どれだけ飛ばされるか分からないから、受け身が取りにくい。
それでも体を小さくして身構え、地面にぶつかった衝撃を耐える。ぐ、と喉が詰まって体に痛みは走ったが、そのまま転がってどうにか立ち上がる。いや、立ち上がろうとした。
立ち上がりかけたところで顔を上げれば、そこには黒い壁があった。
ステバンの体はそれを見た途端、固まった。
次にやってきた彼の足に、今度は地面を転がるように吹き飛ばされる。かなりの距離飛ばされたようで、おかげで彼と距離は取れたがとまった時には無様に仰向けに倒れていた。
「はぁっ、はぁっ」
息の荒さを整える余裕もない。起き上がろうとしても体に力が入らない。それでもまだ、こんな簡単に終われないと手のひらで地面の土を掴んで、握りしめてから体を起き上がらせる。はっと気づいて飛ばされた方を見れば、彼はこちらが起き上がったのを見てからゆっくりと向かってきていた。
ステバンは立ち上がった。即座に盾の呪文を唱えようとしたが、息が上がりすぎてすぐ声が出ない。相手はゆっくりと、だが確実に近づいてきている。ステバンは剣を持ち上げ、相手を見ずに、相手の気配に向かって走り出した。
「うあぁぁぁっ」
彼の姿を見たら足が止まる、だから見ない。低い突進から剣を下から上へ向かって振り上げる。それは避けられ、剣は宙を斬る。だがそれで終わらせはしない、そのまま剣を落として彼に振り下ろす。それは剣に軽く当てられて軌道を逸らされるが、ステバンはまたすぐに切り返して少し体勢を崩しながらも彼の胴を狙った。だがそれも相手の剣で受け止められ、そのまま大きく弾かれた。更にそこでまた腹を蹴られて今度も地面に転がる。
またもや仰向けに倒れる。先ほどより更に体に力がはいらない。剣を弾かれた手はしびれたままで、小刻みに震えているのが分かる。そこへ足音は近づいてくる、早く起き上がらなくてはと思うのに、体が重くて動かない。
空を眺めて、整えようとしても荒いままの呼吸に唇を歪めて。それからステバンはその場で剣を離して手を上げた。
「……俺の、負けだ」
かすれる声でどうにかそれだけを呟けば、近づいてくる足音は止まった。
一応この試合はこれで決着。