5・試合1
――何かあったのだろうか。
ステバンがセイネリアと再会してまず最初に思った事はそれだった。
どうにか驚きは顔に出ないようにはしたと思うが、何かあったのかと聞き返したくなるくらい、彼の持つ空気が変わっていた。かといって、別人のようになっていた、とかではない。話してみればやりとり自体は前と変わりなく、具体的にどこが違うとかそういう事は言えないのだが……彼という人間を前にして感じる印象というか受ける感覚が違うのだ。
ステバンはそこで振っていた剣を一度おろし、軽く息をついた。
セイネリアはまだ仕事が残っているそうで手合わせはそれが終わってからとなったため、ステバンはならば待つ間に体を解しておきたいと彼に言った。それで団員達がいるのとは違う訓練場所に案内され、人目がなかったので心置きなく鍛錬をしていたのだが……気づけばどうしても、久しぶりに会った彼の変りぶりについて考えてしまっていた。
前から若いのにやけに冷静過ぎて自信家で威圧感があって、正直初対面からただ者でない雰囲気を持った男だったが……単純に言うなら『得体の知れない』という感覚が前よりも強くなった。いや、今に比べれば前感じていた得体の知れなさなんて単に異様な強さに対する恐れの範囲でしかない、と思うぐらいだ。
とにかく、今のセイネリアから受ける感覚は、得体が知れない、分からない存在に対するような感覚だった。知っている人間の、知っている反応を返す相手なのに、なんだか彼の存在自体がとてつもなく不気味だった。
そして、多分……確実に言えるその理由の一つは、彼がまったく楽しくないように見える事だと思っている。自分を歓迎していないとかではなく、試合をする事、剣を合わせる事に対して、彼の反応が少しも楽しそうではないのだ。以前の彼ならたとえ相手がどれだけ格下で訓練の付き合い程度であってさえ、剣を合わせる事自体は楽しそうにやっていた。勿論、強敵との試合となれば彼に漲る気力と気迫に見ているだけで圧される程だったし、なにより本気で戦う時の彼は楽しそうだった。特に試合が長引き、互いに限界が近づいてくれば来るほど、彼は楽しそうだった。
けれども、ステバンの手合わせの申し出を受けた彼は、まったく楽しそうではなかった。試合を了承はしても、したくなさそうに見えた。だから何か都合があってやりたくないのかと思ったのだが、どうもそうではないらしい。
ステバンは、ずっと彼とまた剣を合わせる事を楽しみにして鍛えて来た。彼もまた、自分と戦う事を楽しみにしてくれていると思っていた。けれど彼の反応はそうではなかった。その、理由は分からない。
――あの男に、何か、あったのだろうか。
ステバンは再び剣を振り始めた。
誰にも影響されないまさに我が道を突き進むような男だと思っているから、生半端な事態では彼にあれだけの変化が起きる筈はない。何が起こったのかなんてステバンでは想像さえ出来ない。
けれども、今の彼は以前の彼と違う。
それがどうにも心に引っかかって、あれだけ楽しみにしていた彼との再戦が叶うというのに心の靄が晴れなかった。
――剣を合わせれば何か分かるだろうか。
彼が迷っているのならその迷いが剣に出る筈。彼と自分はあまりにもタイプも立場も考え方も違うが、試合で限界の中戦っていた時は強くなることを目指す者として共感出来ていた。
だからまた、互いに限界の力を出した時に彼の気持ちが分かるかもしれない。
そう、思ったからステバンは彼にヘタな質問はしなかった。何かあったのかと、口から出かかったその言葉は、もう少し今の彼の状況を理解してからいうべきだと思った。
「相変わらず、鍛錬でも全力だな」
そこで後方からセイネリアの声が聞こえて、ステバンは剣を止めて声の方を振り向いた。
「仕事は終わったのか?」
「あぁ」
言いながら彼は手に持っていた兜をかぶった。部屋では座っていたから彼の持つ空気ばかりが気になったが、改めて全身で彼の姿を見ればその見た目での威圧感に自然と喉が鳴る。
ただでさえ背の高い男が黒い甲冑を着た姿はそれだけで不気味なのに、腕まで隠す黒く重そうなマントが更に彼を大きく見せる。それらの装備は単なる見た目の脅しだけではなく戦闘手段としての意味がある筈で、この恰好で初めて、彼が出来得る全ての手が使えるという事になる。つまり、これが彼の完全な戦闘装備だ。
ステバンは空を見て、改めて大きく深呼吸をした。
見ていればそれだけで気圧されそうになるが、それで飲まれるような浅い鍛錬は積んでいない。実践の場数は圧倒的に負けていても、自分の力を信じるだけの積み重ねはしてきたと自負している。
体をほぐすように軽く抜いた剣を振り回している彼を目の端で捉えながら、ステバンも兜を被る。体中の装備に触れ、どこにも緩みがないか確認する。たとえ軽い手合わせ程度のつもりであっても、ずっと目標としてきた相手と戦えるのだ、自分の最善を尽くせる状態でなければならない。
この流れで次回から手合わせシーン。