45・アルワナ神殿にて2
セイネリアが目の前にくれば、神官は口元だけに笑みを浮かべ、こちらに背を向けて台の上に寝かされた彼女の方を向く。手に持っていた錫杖で床をトンと軽くたたいて、大きく息を吸ったところでセイネリアはその肩に手を置いた。
「全てのものに久しく訪れる魂の安息を守る神アルワナよ、生無き生を求める者の声にお応えください。未だ眠れぬ者の願いをお聞き下さい」
呪文というより祈りの言葉を神官は呟く。トン、トン、と手に持つ錫杖でまるでリズムを取るように床を叩きながら。
ただ、祈りとして言葉の内容を理解出来たのはそこまでで、そこから先は確かに呪文だった。魔法使い達のような、意味の分からない言葉がその口から紡がれていく。錫杖でリズムをとりながら流れるそれらの音は、セイネリアからすればまるで外国の歌を聞いているようではあった。
神官の肩に手を置いたまま、ふと周囲を見れば確かに『何か』が起こっているのが分かった。セイネリアはアルワナ神官達のように死者の姿は見えないが、魔力の流れなら見る事が出来る。だから神官が使う魔法が見えた。
部屋の中、天井のあたりで魔力というエネルギーが回っている。それは最初輪を描くように回っていたが、やがて中心へと集まり出す。見てる間に中心部の魔力密度が上がっていく。天井一杯を中心が膨らんだ円盤状の魔力の塊が回っている感じだ。
「名を呼んでください」
神官がそう言えば、すぐにサーフェスが声を上げる。
「ホーリー、僕だよ、サーフェスだ。お願いだホーリー帰ってきて、ホーリー!!」
それが彼女の名なのだろう。サーフェスがそう叫ぶと同時に天井の魔力の円盤、その中心部分から彼女に向かって魔力の道が下りてくる。それは糸のように細いが、揺れることなく真っすぐに彼女の体までたどり着くと、次の瞬間、魔力の渦はその道を通って吸い込まれるように彼女の口の中へと入っていった。
「ホーリー、ホーリー、帰ってきて、僕には君が必要なんだ。お願いだ、ホーリー!」
魔法使いであるサーフェスも、おそらくこの魔力の流れは見えていた筈だ。だから彼も何かが起こった事は分かっているのだろう。
神官が彼女の上を切るように2度錫杖を振る。シャラ、シャラ、と高い音が鳴って、それからまた神官は錫杖を自分の前に立てると床を強く叩いた。
そうして神官の動きが止まる。
セイネリアは黙ってその肩に手を置いたまま待っていたが、暫くして急に、神官の体から力が抜けたのが手の感覚で分かった。
「こちらに来て、彼女の手を握って、もう一度名を呼んでください」
不安そうな顔で紫の髪の魔法使いが近づいてくる。彼女の前までくると彼はまた跪き、震える両手で彼女の手を握った。
「ホーリー……また僕の傍にいてくれるかい?」
声は返らない、だが。
「あ……あ、あぁ……ああああぁぁっ」
サーフェスの声が上がったと思うと、彼女の頭がゆっくりと動いて魔法使いの方を向いた。それから彼女は上半身を起こそうとして、途中カクリと力が抜けて倒れそうになり、それを急いでサーフェスが抱きしめた。
「ホーリー、ホーリー、君なんだね、帰ってきてくれたんだね」
彼女は口を動かすが、声にはならない。それでも彼女は微笑んで、そうして彼女も魔法使いの青年を抱きしめた。
「う、あぁぁあ、ホーリー、あぁああああ……あぁああ……あぁぁぁああああ」
サーフェスの声はそれ以上は嗚咽だけになって言葉にはならなかった。狂う程願った望みが叶った彼の想いというのは言葉に出来るモノではなかったのだろう。それは暫く続いて、部屋には魔法使いの絞り出すような嗚咽の声だけが響いた。その間、ホーリーはサーフェスを抱きしめたまま、まるで母親が子供をあやすかのように彼の背中を何度も軽く叩いていた。
「成功したのか?」
セイネリアは神官から手を離すと同時に聞いた。
「えぇ、これだけの条件が揃っていれば成功しないという事はまずないですよ」
機嫌よさそうにそう返してきた神官に、セイネリアは気になっていた事を聞いてみる。
「……あの体に入った魂は本当に彼女本人なのか?」
それには一瞬間があいて。
だが神官はその後自信ありげな声で言ってきた。
「少なくとも『彼女』がずっと彼の傍にいた魂である事は間違いありません。彼に『ホーリー』と呼ばれる存在である事も同じく間違いないです。それ以外、彼女が本人かどうか判別する方法を私は分かりませんが……彼が彼女だと思うのならそれ以上確認する必要はないでしょう」
「……確かにな」
もし本物でなかったとしてもサーフェス自身が彼女だと認めれば問題ない。暗にそう言った訳だが、それに関してはセイネリアも同意見だった。勿論、彼のためには本物であればいいとは思うが。
このシーンはもう1話で終わる、筈。