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黒の主  作者: 沙々音 凛
第一章:始まりの街と森の章
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9・生きる意味

 鍛冶屋通りから出て、知り合いの娼婦の部屋へと帰る為に歩いていたセイネリアは、途中、大通りに人だかりが出来ているのを見つけた。

 場所が場所だけにその理由におおよその予想がついたものの、人垣を無理矢理押し退けてまで見に行くつもりもない為、セイネリアは周囲をそれとなくうろついて噂話をしている者達を探した。

 そしてそれは、然程かからずに見つかった。


「まったく、騎士様でさえも殺されちまうなんて、冒険者ってのは危ない仕事だね」


 あぁやはり、とセイネリアは思う。

 確かあの騎士が殺された路地から大通りに向かうとこの辺りに出る筈だった。ここからあの場所までは細い道ばかりになる為、処理の為に周囲の路地を警備隊が封鎖したのだろう。セイネリアは目立たないように他の路地を抜けて鍛冶屋通りに行ったので上手く人と会わずに済んだが、案外早く見つかったものだと考える。


「犯人はあのグレイズの四人組らしい。どうやら毒使われたらしくてな、流石の騎士様もおっちんじまったらしいな」

「可愛そうにな、まともにやれば負ける相手じゃなかったろうによ。毒くらっても三人までは殺してたんだろ?」

「そこは流石に騎士様様だな。騎士様には気の毒だが、おかげで街のゴミが掃除されてこっちは有難い話さ」

「でもまぁ、そんで逃げた奴も結局死んだんだからな、そこは騎士様の執念っていうか怨念って奴かね」


 人山を通り過ぎようとしたセイネリアの足が最後に聞こえた話で止まる。それからセイネリアは少し急いで人の壁にそって走り出し、その切れ間を探した。

 考えれば少しだけこの人だかりにはおかしいところがある――路地への道を封鎖しただけなら、こんなに大通りの真ん中の方にまで人垣があるのは不自然だ。


 その理由は、すぐ判明する。


 警備隊が人垣を押し退け、そこから荷車が出てくる。布が被せてあるその荷はおそらく死体だろうが、その後に脱輪した馬車を運ぶ別の荷車が続いていく。その荷車達が去って、人垣が途切れたところから、セイネリアは人垣に隠されていたその中心の様子を見る事が出来た。

 例の路地へ続く道の入口、大通りとの丁度合流地点にあたるそこには、散乱する馬車の一部とまだ新しい血の跡が見えた。それ自体は珍しいという程でもないからすぐにわかる、いわゆる馬車に人が轢かれた事故現場の光景だった。

 つまり、眩んだ目を押さえたまま急いで走った男は、大通りへ出た直後に馬車に轢かれた――そんなところだろう。


「なんだ、やる事が一つ減ったな」


 セイネリアは呟く。気分的には、つまらない、という感想が一番近い。

 別にあの騎士に対して義務感や同情を感じていた訳ではないが、貰ったものの代価代わりに最後の男は自分の手で始末してやるつもりだった。あの四人にはセイネリア側にも借りがあった為ついでのつもりもあったのだ。

 だからその予定が狂わされた訳で、セイネリアとしては気が抜けたとでもいうべき気分だと言えた。

 結局、あのごろつき共はそこまでの存在だったという事なのだろう。彼らの命の価値としては似合った死にざまと言えなくもない。いなくなってせいせいしたと皆から言われ、死んだ事を喜ばれるのが彼らの存在価値なのだろう。


 けれど、ならばあの騎士はどうなのだろう、とセイネリアは思う。


 あの騎士があそこまでになるには相当積み重ねてきたものがあった筈だった。騎士という称号だけでも彼の価値は認められている。誰もがあのごろつき四人の命よりもあの騎士の命を惜しむだろう。少なくともゴミを始末してくれたあの騎士は、リパ神殿で丁重に弔ってもらえるに違いない。


 だが、それに何の意味があるというのか。


 所詮死ねば、そこですべてが終わる。どれだけ積み重ねようが、どれだけ認められようが、死ねばそこでその人間の意味は失われる。死ねばすべて『そこまで』なのだ。死んだ本人にとって見れば、騎士とあの男達にたいした違いがあるでもない。


 死ぬ事は怖くない――どうせ、元から存在しないような人間なのだから。


 無が無に消えても、誰も気にしない、何も起こりはしない。

 死なずにただ生き延びても、無は無のままだ。

 ある意味、最初から死んでいるも同然の身だ。


 だからこそ、無から意味を作ってみたいとセイネリアは思う。無から始まり、無(死)へ向かっていくだけが自分の生なら、生きる事はその間自分にどれだけの価値を作れるかのゲームのようなものだ。

 価値とは、他人が決めたものではなく、自分が自分に見出す意味だ。

 どうせ死ねば全て終るのだから、他人が決めた価値になど意味がない。生きている間に自分に価値を見つける、生きていることに満足することがセイネリアにとっての『意味』だった。

 だからセイネリアにとっての自分の生きている『意味』は、地位や権力、財力といったものではなかった。


 富や地位が欲しいとは思わない、どうせ死ねばその意味がなくなる。

 名を残したいとも思わない、どうせ自分に本当の意味で名などない。


 セイネリアが欲しているのは、自分で自分に意味があるのだという感覚。自分の価値を掴みとり、この空虚な心を満たす満足感を得たいのだ。――自分の生は無でないと実感できる何かが手に入ればそれでいい。

 死ねば無になる。けれどもその前に自分が自分に価値を見いだせれば、自分の生は無意味ではない。


 大通りを歩く人々は少年の姿など誰一人として気に留めない。多くの人の中に紛れて歩く少年の姿など、その辺りに転がる石ころも同じだ。

 逆にセイネリアの瞳にも、彼らはただの意味のない背景程度にしか映らない。雑多な色合いに満ちた露店も、人々も、セイネリアにとっては何の意味も色もない、ただの他人の群れだった。

 この風景が、その内、なにか意味のあるものに見える日がくるのだろうか。世界が母親と自分の間で彩られていた、自分の存在の意味を疑ってさえいなかった日のように。自分は生きている価値があるのだと、そうなんの根拠もなく思っていられた時のように。

 それはつい最近までの事だった筈なのに、今のセイネリアにははるか昔の事のように思えた。それどころか、そんな日が本当にあったのかさえ疑わしい程に今ではその頃の感覚を全く覚えていない。


 今、セイネリアがいる世界には、自分以外の何者もいない。

 自分にとって意味のない世界は、モノとモノが動いているだけの色の無い無機質な世界だった。


 けれど。


 何の色も無い世界の中、セイネリアの目を留めるものがあった。

 ふと、偶然目に飛び込んできたその光景に、セイネリアの足が止まり、瞳が見開かれる。

 大通りの真中に現れた、ソレ。

 周りの者達は足を止め、ソレの為に道を空ける。足裏を震わせる地面の響きに、視界の人々が皆振り返る。

 ソレは、一人の男だった。

 ただし、肩にはかなりの太さの、切って枝を落しただけの木を担いでいる。

 陽にやけた浅黒い肌に更に赤く血管を浮かせて、隆起した筋肉達がぶるぶると震えるその男の腕と曝された背中には人を圧倒するだけの何かが確実にあった。

 男は何も言わない。

 周りの者に、どけ、とも、邪魔だ、とも言いはしない。

 けれども人々は木を担ぐ男の姿に畏れを抱き、自然と道を開けていく。

 男の一歩が、ずしりと重い足音を立てる。ずしり、ずしりと歩く度に地面が上げる悲鳴のようなその音が更に周りの者達を遠ざけさせる。


 あれは、強い男だ。


 セイネリアは思う。

 あれは、真実ほんとうに強い男だと。


 やがて、男はある屋敷の前までくると、無造作にその肩の木を地面へ下ろした。

 当然、地面は更に大きな悲鳴を上げて重い質量を受け止める。


「アガネルっ、もうちょっと丁寧に置け、木が割れたら半値じゃすまないぞっ」


 重荷が消えた肩を回し、首を左右に振りながら、アガネルと呼ばれた男は屋敷前で小うるさく騒ぐ男を見下ろして笑った。


「大丈夫だろ、こいつはそんなヤワな木じゃねぇよ」


 言って確認するかのように、その大きな手で今下ろした木を数箇所叩いてみせる。


「うん、大丈夫だ、じゃぁな、確かに届けたぜ」


 未だにぎゃんぎゃんと何事かを喚く屋敷の男に手を振って、男は笑いながら背を向けた。

 男の肩から、あの圧倒するような大きな木がなくなっても尚、帰っていく男の為に人々は道を開け、開けたその道の真中を男の大柄な体が堂々と歩いていく。

 その筋肉という鎧に覆われた男の背を、セイネリアは我知らず見蕩れていた。



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