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春告鳥


「わたしはきみのそういう、歯に衣着せないところ、嫌いではないよ」


:春告鳥


 ジェスという男は、この世界における、わたしの初めての友人である。現代で言うところの出版業界に身を置く人物で、ランポ・エドガワの担当編集。わたしが騙る物語を世に送り出してくれている。心の中で、彼を勝手に共犯者と呼んでいることは、わたし以外誰も知り得ない。

 朝早く、ジェスが我が家にやって来た。

「やあやあ、おはよう! 暑くもなく、寒くもなく、降り注ぐ朝陽の、なんと清々しいことか! いやぁ、実に良い朝だ! そうは思わないかね? 我が親友兼金づるよ!」

 いつものように騒々しく執務室の扉を開け放った彼は、逞しい肉体に見合う、大きな声でそう言った。

「おはよう。今日も元気そうでなによりだよ」

「お前も元気そうだな! 引き篭もり領主にしては顔色が良い。どうだ? 一緒に馬を走らせて遠駆けでも?」

「せっかくだけれど、遠慮しておくよ。これでも忙しい身でね」

 書き上げた原稿を渡すと、それを受け取ったジェスは朗らかに笑った。

「それはいい! お前が忙しいと、俺が儲かるからな! それで、今回はどんな話だ?」

「読めば分かるさ」

「ほう、随分と焦らすじゃないか。性根の腐ったお前らしい! だが、お前がそう言うのなら、あとでじっくり読ませてもらおう!」

 ジェスは筋骨隆々の大男で、それこそギルドで戦士でもやっていそうな風貌だ。声も大きく、快活で、一目見ただけでは、考えるよりも先に体が動きそうな印象を受ける。しかし、人は見た目では分からないというべきか、ジェスは頭が良くて慎重な男だ。文学や芸術に対して造詣が深い。そして商才もある。わたしが、ランポ・エドガワが、この世界において高い評価を得ているのは、彼の力があってこそだ。

 十年前、わたしとジェスは出会った。

 領内の教会で幼い子供達に童話を聞かせていると、一人の青年に声を掛けられた。わたしよりも八つ年上の青年は、そんな物語は聞いたことがないと興奮し、その奇々怪々な物語を本にして、世界中の人々の間に広めようと熱く語った。その青年こそがジェスで、当時、没落貴族の当主になどなれるはずもないと頭を抱えていたわたしは、彼の熱に押される形で、話に乗ったのである。

 その時のわたしには、まだ罪悪感などなかった。そして、まさか処女作が大ヒットし、一躍人気作家の仲間入りを果たし、知り得る限りの物語を騙ることになるなど、想像すらしていなかったのだ。

 ぼんやりと古い記憶を掘り返していると、ジェスはいつものことだと断りもなく、執務室内のソファにドカリと腰掛けた。そして、口の端を持ち上げてにんまりと笑う。

「それで、ランポ先生? 今日は麗しの妹君達はいらっしゃらないのかな? 可憐な花の妖精達と美味しい紅茶でもと思っていたのだが?」

「生憎と、三人は留守にしているよ」

「なんだって!?」

 ジェスは愕然とした表情を浮かべた。

 彼という男は文学や芸術に造詣が深く、また、美しいものに目がない。それは無機物であれ、有機物であれ変わらず、有り体に言えば、極度の面食いである。わたしの妹達は彼のお眼鏡に適ったようで、原稿を受け取りに来る度に、妹達との茶会を所望するのが、常のことだった。

 わたしは執務机から離れ、テーブルを挟んでジェスと向かい合って座る。余程、茶会ができないことが残念なのか、表情は暗い。感情が顔に出るタイプの男だ。

「昨夜、隣の領地で舞踏会が開かれてね。彼女達はそこに足を運んだのさ」

「いつ帰って来るんだ?」

「さあ、いつだろうね。近い内に帰って来ると思うけれど、視察も兼ねての遊興だ。わたしには、はっきりいつだとは言えないよ」

 わたしの言葉に、彼は溜め息を吐いた。そこまで落胆されると、わたしとしても複雑なのだが仕方のないことだ。自分に花があるとは思わない。

「それにしてもだ。妹君達がいなくて、お前はやっていけるのか? たった数日のこととはいえ、ある意味、領主不在とも言える状況だろう?」

「おや? 心配してくれているのかい?」

「慣れないことをやって、執筆に差し障りがあったら困る! さっきも言った通り、お前は親友であり、俺の金づるだからな! 売るのは俺の役目だが、まずはランポ先生に売り物を用意してもらわないと!」

「なるほど。わたしはきみのそういう、歯に衣着せないところ、嫌いではないよ。安心してくれ。次の作品はもう構成が浮かんでいるから」

「そうなのか?」

 それまで落胆し、暗くなっていた表情が変わる。三十路男の鋭い目がキラリと光った。それは商売人としての顔か、はたまた、文学好きの好奇心か、わたしには判断しかねるところがあるが、ともかく、顔が変わった。話の先を視線で促される。

「詳しくは話せないけれど、主人公は猫だ。冒頭はもう決まっていてね」

「と、いうと?」

「あとは書き上がってからのお楽しみさ」

「それは残念だ。しかしまあ、作者から執筆前の段階で話を聞こうなど、野暮というものだな! 今回はこの原稿だけで我慢するとしよう」

 そうしてくれと言い、わたしは笑った。

 そして、執務室の扉へ目を向ける。先ほど、ジェスにより激しく開け放たれた扉も、今は閉まっていた。我が家の家計を考えると、壊れてしまうかもしれない開け方はやめてほしいところだが、言って聞くような男ではない。

 そろそろ、ラスティ君がお茶を運んできてくれる時間だ。そう思いながら見ていると、前からカラカラと笑い声が聞こえた。そちらに目を向ける。ジェスはおかしそうに笑っていた。

「待ち人来ずか?」

「うん?」

「麗しの使用人のことだ」

「麗しか。きみは女性も男性も節操がないな」

 半ば呆れながら言うと、彼は演技掛かった様子で両手を広げる。それはまるで心外だとでも言うようで、わたしはおやと目をまたたかせた。

「分かっていない! 美しさに性別は関係ないぞ! お前の妹君達も、お前が拾って仕込んだあの使用人も、見目麗しい。眼福とは正にこのことだ! 俺はお前が羨ましい!」

 彼が本気で言っていることは目を見て分かった。

 確かにジェスの言う通り、妹達もラスティ君も美しい。人の目を惹く外見はわたしにはないもので、それ故に客観的に見ることができる。ジェスの言っていることも理解できない話ではなく、わたしは言葉を返せず黙した。すると調子が上がってきたのか、彼は更に言葉を続ける。

「あの使用人を拾って……あれはお前が十七の時だから、もう、五年か!」

 もうそんなになるのかと、懐かしい気持ちになる。ラスティ君と出会ったのは、父が急逝し、わたしが領主を継いだばかりの頃の話だ。

「最初は小汚い子供を拾うなんて、物好きな奴だと思ったさ! なにせ、没落寸前で金がないってのに、わざわざ使用人を雇うって言うんだ。しかも役に立ちそうもない、小枝のような子供を! だが、身を整えさせれてみれば、どうだ! あの美貌……お前には見る目がある!」

「お褒めに預かり光栄だよ」

 黙すのをやめ、社交辞令を口にすれば、ジェスは腕を組んでウンウンと頷く。何やら一人で納得しているようだが、何を考えているのか、真意は分からなかった。

 けれど、使用人に必要なスキルを学び、身に付けたラスティ君の成長を思えば、ジェスが彼を賞賛するのは当然のことなのかもしれない。美しさとはきっと、外見だけのことではないのだ。立ち振る舞いや言葉、思考、雰囲気など、総合的に高評価を得て、美しいという総評になったのだろう。

「あれほど美しい少年が傍にいるんだ。お前が独り身でいたがるのも分かるぞ」

 不意にジェスが言った。

「どういう意味かな?」

 わたしは首を傾げる。ジェスは口の端を持ち上げて、にやりと笑った。ロクでもないことを言おうとしている顔だと、十年来の付き合いがあるわたしには分かる。

「どういう意味も何もない! 嫁と愛人と同じ屋敷で暮らすのは面倒だろう? 血生臭い話にもなりかねん」

「愛人? ラスティ君が、わたしの?」

 目を丸くして、確認の意味で尋ねた。

「ああ」

 あっさりと頷かれ、わたしは頭を抱える。

 どうやら彼はとんでもない勘違いをしているようだ。わたしが雇い主である立場を利用し、使用人のラスティ君と愛人関係を結んでいると思っているのかもしれない。この国では同性愛は何もおかしなことではなかった。なにせ国王の側室の半分は同性だ。エルフやホビットなど、他種族との交わりに比べると、偏見はほとんどないと言っても過言ではない。

 わたしはジェスに誤解していると告げ、ラスティ君とは使用人と雇い主以上の関係ではないと話した。すると、今度は彼が目を丸くする。

「信じられん……。あれほどの美少年を侍らせておいて、手を出していない? お前、まさか不能だとでも言うのか? だとすれば、なんと哀れな……」

「哀れむ必要はないよ。不能ではないから」

 別の意味で誤解されそうになり、わたしはすぐに否定した。彼に誤解を植え付けたくなければ、その場で否定しなければならない。そのことが、今回はっきり分かった。

 ジェスは疑わしげな目を向けてきたが、すぐにハッとした表情を浮かべる。そして、ぐっと前に乗り出し、大きな体でわたしに圧を掛けてきた。

「お前の愛人じゃないのなら、俺に譲ってくれ!」

「きみはまた、とんでもないことを言い出したね。返事は決まっているよ。彼は我が家の有能な使用人だ。自分から出て行くと言わない限り、わたしが手放すことはないさ」

「だったら、今夜一晩貸し出すのはどうだ?」

 今夜一晩。

 その意味が分からないはずもなく、眉間に力が入る。わたしは椅子の背もたれに体を預けて足と腕を組み、ぐっと近付いていたジェスとの距離を開けた。それも気にせず、ジェスは恍惚とした顔で口を開く。

「彼は美しい! 表情は固いが、それも良い。俺の経験と腕で、あの表情を変えてみせよう。それに、彼の若く瑞々しい肌は、触れればどんな反応をする? シーツに広がる金の髪、熱に浮かされた宝石のような瞳……! 考えるだけでゾクソクする!」

「ジェス。その想像は自分の中に押し留めておけないのかな?」

「いいじゃないか! 使用人としてはお前のモノだが、別段、寵愛しているとか、そういうわけではないのだろう? だったら、俺に貸してくれ!」

 この世界で使用人というのは財産である。先祖代々伝わる調度品や油絵、銀の食器などと同じだ。もちろん、道具として扱っているというわけではない。ただ、分類上はそうなっている。ラスティ君は我が家の使用人で、財産だ。貸借する権利がわたしにはあり、そうなった時、ラスティ君は断れない。

 無理矢理、襲うでもなく、口説くでもなく、ジェスはわたしにラスティ君を貸してくれと言ってきた。それはこの世界ではおかしなことではない。二十二年もここで生きていれば、それは分かる。けれど、納得できるかどうかというのは、別の話だ。

「ジェス」

 わたしは厳かに、彼の名を呼ぶ。

「ああ」

「先ほども言ったように、わたしはきみのそういう、歯に衣着せないところ、嫌いではないよ。だが、わたしとの友情や商売相手としての関係を破綻させたくなければ、今後、品のない、無粋な想像を口にするのはやめておいた方がいい。わたしはきみに敬意を払っているつもりだ。きみにもそうしてもらいたいのだけれど、どうだろう?」

 使用人を、人間を、財産として扱うことを、理解できる。けれど、納得はできない。妹達の結婚相手の話と同じだ。どうしても、前世の記憶が邪魔をする。記憶があることの、なんと生き難いことか。

 ジェスはわたしをじっと見ていた。わたしも彼の鋭い目を見返す。わたしの言葉を飲み込んだ上で、どう攻めれば頷くか探っているような、そんな目だ。睨み合うかのように見詰め合っていると、扉がノックされた。

「――ああ、入って」

 扉に目を視線を向けると、ティーセットを手にしたラスティ君が入って来る。

「失礼します。お茶をお持ちいたしました」

 蜂蜜色の髪を揺らし、足音なくラスティ君が近付いてきた。ジェスがほうと息を吐くのを感じ、こりない人だと思いながら前を向き直すと、彼が立ち上がる。

「せっかく美少年が淹れてくれると言うんだ。ぜひ一杯飲んでいきたいところだが……残念なことに、これから仕事でな! また次の時にご馳走になろう!」

 ジェスは快活に笑いながら言う。

「そうかい。ラスティ君、見送りを」

「かしこまりました」

「おお! 美少年の見送りとは、嬉しい限りだ!」

 彼の様子から思うに、二人きりにしても問題ないだろう。ジェスという男は欲望に正直で美しいものに目がない男ではあるが、粘着質な気質ではない。わたしを攻め落とし、ラスティ君を借りようという素振りは見られなかった。

 執務室から二人が出て行く。

 一人になったわたしは溜め息を吐き、ふっと苦笑を漏らした。執着心というものは非常に厄介だ。わたしがラスティ君に執着していることは、誰にも気付かれていないと思っていたが、そうではないらしい。ジェスはわたしの執着心を、ラスティ君への愛だと誤解して、認識していた。もしかすると、わたしが気付いていないだけで、他にもそう思っている人はいるのかもしれない。

 もしそうだとすると。

「とても恥ずかしいじゃないか」

 わたしは苦虫を噛み潰したような気分で、余計なことを気付かせてくれた筋骨隆々の友人を恨むのだった。


end

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