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催花雨


「今日のような雨を、催花雨と言うんだよ」


:催花雨


 書斎で執筆していたわたしは、その手を止めて席を離れ、窓枠の前に立った。濃い灰色の空と、昨晩から降り続いている雨を眺める。後ろでは、使用人のラスティ君が紅茶の用意をしてくれていた。彼の淹れる紅茶は非常に美味い。前世では珈琲党だったわたしも、今世ではすっかり紅茶党である。もっともこの国でポピュラーな、ミルクと砂糖を大量に混ぜる飲み方はあまり好みではないが。

 わたしは今年の夏で二十二歳になる。ラスティ君はわたしよりも六つ下であるがとても落ち着いており、大人顔負けの冷静さを誇る少年だ。否、美少年だ。前世の二十五年を含めれば、親子ほどに歳が離れているため、幼少の頃から知っている彼を、なんて優秀な子供なんだと贔屓目に見ているところはある。しかし贔屓目を抜きにしても、ラスティ君は我が家(没落寸前の貴族)にはもったいないくらいの人材だ。

 そんな彼に話し掛けながらゆるりと振り返る。晴れの日よりも光の少ない雨の日の室内であっても、眩いほどの輝きを放つ美少年がそこにいた。

「今日も目が潰れそうなほど整った顔面だね」

「お褒めに預かり光栄です。お茶が入りましたので、おかけになってください」

 言葉ではそう言いながら、ラスティ君の表情は変わらない。顔の筋肉が働いていないようで、しかしそれがまた、彼の神々しさや凛とした雰囲気を引き立てている。美人は立っているだけで絵になるというのは、どこの世界であっても普遍なのだろう。実に羨ましい話だ。

 没落しそうになっていても、祖父、父と、見栄で捨てられなかった品の良い高価な調度品の椅子に腰掛ける。椅子と揃いのテーブルには白磁のカップがあり、紅茶が注がれていた。手に取って口元に近付ければ、馴染みの香りが鼻腔を擽る。わたしは一口飲んで、小さく息を漏らした。

「相変わらず美味しいね。天才的だよ」

「ありがとうございます」

 まったくもって、淡々としている。

 わたしはぬるい紅茶は好きではない。カップを傾けて、ラスティ君が淹れてくれた紅茶を飲み干す。わたしとしては味わっているつもりだが、彼からしてみればそうではないらしい。表情は変わらないが、いつも物言いたげな目でじっとこちらを見ている。わたしはチーフを取り出すと、それを広げて、紅茶に添えられていた焼き菓子を包んだ。

「ラスティ君。お友達と食べなさい」

 甘い物を好まないわたしが、菓子を彼に譲るのはいつものことである。

「よろしいのですか?」

 彼がこうして一度、断りを入れるのもいつものことで、そしてわたしはまた、いつもと同じ言葉を紡ぐ。

「もちろんだとも。さあ」

「それでは、ありがたく頂戴いたします」

 わたしはラスティ君にチーフで包んだ焼き菓子を渡した。せっかく料理長(長と言っても料理人は一人しかいない。けれど本人が肩書きにこだわっているため、彼のことはそう呼んでいる)が作ってくれた菓子なのだ。どうせなら美味しく食べてくれる者の手に渡った方が幸せだろう。そんなことを思いながら、わたしは執務机に戻った。

 没落寸前とはいえ、古くから続く貴族である以上、我が家にも領地がある。王都から離れた辺境の場所で特に名物もなく、さほど裕福ではないが、穏やかな土地だ。曾祖父の代から税を必要最低限しか徴収しなくなり、我が家の衰退が始まったのはその頃からだとされている。わたしは家長として、その手の仕事をしなければならないが、どうしても前世の常識が邪魔をして上手く政ができなかった。そのため、領主としての仕事は、大変頼りになる妹達が代わりにしてくれている。

 では、わたしの仕事とは何か。妹達にだけ働かせ、自分は嫁も取らず、美少年を眺めながら、美味しい紅茶に舌鼓を打っているだけの毎日など、さすがにそれはいかがなものだろう。そういう思いがあるため、わたしはきちんと働いている。

 わたしの職業は作家だ。

 童話、推理物、ファンタジー(この世界では魔法もあり、ドラゴンもいるため、ファンタジーと表現されることはないが)、恋愛、時代物など、多岐に渡る作品を発表し続けている。

 常識にに捕われない若き天才作家として名を馳せているが、これはわたしの才能ではない。前世があるおかげだ。わたしは前世で読み、覚えていた作品を、この世界で異端すぎない程度にアレンジして発表しているに過ぎない。わたしには、物語を紡ぐ才能はなかった。わたしはただ、極端に記憶力が良かっただけだ。

 今日も今日とて、記憶の引き出しを開ける。羽ペンを再び手にし、さて物語を写させてもらおうとした時、控え目な声がわたしを呼んだ。

「うん? どうした?」

「いえ……。執筆中に、申し訳ありません……」

「まだ始めていなかったからね。構わないよ」

 羽ペンを置き、背筋を真っ直ぐ伸ばして立つラスティ君を見る。蜂蜜色の髪と翡翠色の瞳が美しい彼は、戸惑い気味な、どこか落ち着かない様子に見えた。表情が変わらないのは相変わらずだが、そこは十年以上の付き合いで分かる部分である。

 ラスティ君の言葉を待つ。彼は口を開いた。

「先ほど、サイカウと仰っていました。それはいったい、どういう意味の言葉なのでしょうか? せんせ……旦那様の次回作に、何か関わりがあるのですか?」

 無表情で落ち着いた美少年ではあるが、ラスティ君の知識への探究心は並外れている。その一点に関しては欲深いという表現がぴったりだ。

「催花雨というのはね、冬から春に移り変わる時に降る雨のことだよ。花よ、早く咲きなさいと急き立てるように降るんだ。美しい言葉だろう?」

「はい。とても。しかし、そんな言葉は初めて聞きました」

「そうだろうね。この世界でわたししか知らない言葉だ。けれど今、知っている人間が二人になったよ」

 ラスティ君は翡翠色の目でわたしを見ていた。表情はなく、だが彼の瞳は柔らかい光を帯びていて、とても優しげだった。

「その言葉を知る人間は、これからもっと増えます。ランポ・エドガワの作品を待っている人は、この国だけでなく、世界中に大勢いますから。僕も読者の一人です。そして貴方は、偉大な作家です」

 真っ直ぐな視線は、胸に刺さる。

 わたしは物語を騙る。もっとも好きな作家の名を騙る。やっていることはとても卑劣で醜く、我ながら呆れてしまうけれど、すでに抜け出せないところにまで堕ちている。今更やめることはできない。すでに生活の、人生の一部になっているからだ。

 彼の言葉はわたしに罪を認識させる。期待は罪悪感を刺激し、居た堪れない気持ちになった。しかし、だからこそ、わたしはラスティ君を手放せないでいる。没落寸前の家に縛り付け、薄給で奉仕させている。彼ほどの外見と教養があれば、もっと条件も待遇も良い働き口はいくらでもあるのだ。それこそ、焼き菓子程度、いくらでも買えるほどの報酬は貰える。

 わたしは恥ずべきことをしている。しかしそれをやめられず、また、罰せられることもない。だからこそ、己の罪を認識させてくれる人間を傍に置いていたいのだ。

 催花雨が降っている。

 開花を急き立てる、激しい雨だ。

 わたしの思いなど知る由もなく、季節は移り変わる。わたしの思いなど知る由もなく、人々はわたしが騙る本を手に取る。わたしの思いなど知る由もなく、世界は周り、そして、わたしの思いなど知る由もなく、今日も彼は美しかった。


end

短編連作で続きます。

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