3. 邂逅
三人は灯里が石を拾った通りまで戻ってきました。石を落としたとしたら、この通りから灯里と美海が会った場所の間に落ちているはずです。もちろん、誰かがその石を拾っていれば残ってはいないでしょうが。
灯里たちは通りをゆっくりと、隅々まで目をこらしながら進みました。しかし、中々簡単には見つかりませんでした。
美海はもう何度聞いたかわからない質問をもう一度しました。
「ねえ、灯里。石ってどんな形だったっけ?」
「えっと、五センチくらいで、くさび形をしてて、青いよ」
五センチといえば、結構な大きさです。それで色のついた石なら見て気づかないはずがありません。しかし、それらしきものはどれだけ探しても見つかりませんでした。やはり誰かが先にそれを見つけて拾ってしまった可能性が高いように思われました。
「もう誰かに取られちゃってるのかなあ? 灯里、どう思う?」
「そうかも。でも、その人がどこかに行っちゃってたら……。どうやって探せばいいんだろう?」
三人とも立ち止まって、顔を見合わせました。
落し物をしたら交番で尋ねてみるべきなのでしょうが、交番がまだ崩れずに残っているとも思い難く、こんな時に拾った人が交番にわざわざ届けるとも思いませんでした。
そしてもし石を拾ったのがあの影の人だったら。そうでなくても、拾った人が影の人に渡してしまったら。
それで何が起こるのかなど全くわかりませんでしたが、三人は影の人に石が渡ってしまた可能性を考えて、恐怖に怯えました。
影の人に石が渡ったってしまったら、何かものすごく恐ろしいことが起こるような気がしました。
美海が「諦めずに探してみよう」と言いました。
灯里は頷きましたが、まりは考え込んだ様子でした。
「ねえ、灯里ちゃん。その石は他になにか言ってなかったの? ただ世界を守ってくれって言ったのかしら?」
言われて灯里はハッとしました。そして石が言っていたことを一生懸命に思い出そうとしました。
「んと。確か……私の心がすごく光ってて、……それを世界を照らすように、……世界を救おうとしていれば、それにふさわしい恵みをくれるんだって」
「恵み? 何それ?」
「わかんない。教えてくれなかったの」
そこは何が何でも聞いておくべきところじゃない。二人の会話を聞いていなかったまりは、灯里がちゃんと必要な情報を得ていないことにまりは少しばかり呆れたようにため息をつきました。
「その恵みで、石を探したりできないのかしら?」
「そんなこと言われても」
「石の場所とかその恵みでわかったらいいよね」
二人の親友から期待の籠った、もしくはいくらか試すような言い方をされて、灯里は思いました。自分がなんとかしなきゃ。私が二人を巻き込んだんだから。
しかし、そうは言っても何をどうすればいいかなどわかりません。灯里はダメ元で祈るように腕を組み、その場に膝をついて目を瞑りました。
ーーお願い。力を貸して! 他でもない、あの青い石を見つけるために!
灯里はそうしていることで、また、あの石の声が聞こえてくることを期待していました。そして、どこに石があるのか教えてくれるのではと考えていました。
しかしいくら待てども、あの石の声は聞こえてきませんでした。
「灯里、もういいよ」
しばらくして、美海がそう言ったとき、灯里は悔しい気持ちでいっぱいになりました。きっともう少し、もう少しだから。もうちょっとだけ待って。きっとまたあの声が聞こえてくるはずだから。
灯里はでいる限り他のことは全て頭の中から追い出して、ただ石の場所を教えてください。と祈り続けました。
それでもやはり、あの石の声は聞こえませんでした。
そして、美海が灯里の肩をトントンと叩いてきました。もう、友達をこれ以上待たせられない。灯里が諦めて顔をあげると、二人の親友は灯里ではなく後ろの方をじっと見つめていました。
灯里も二人につられて後ろを振り向きました。すると、遠くの方が青く明るくなっていました。
「灯里ちゃん。あなたすごいわ。きっと、きっと石はあそこにあるのよ」
「あたしもそう思う。灯里がさ祈ってる間にさ、あっちの方がだんだん明るくなってったんだ。きっと偶然じゃないよ」
灯里は疲れて痺れ始めた足をよろめかせながら、ゆっくりと立ち上がりました。貧血気味の灯里は強い立ちくらみにも襲われました。それでも、灯里の頭の中はとても晴れ渡っていました。
「よかった。……できた」
「うん。えらい!」
「よく頑張ったわね。足元、大丈夫?」
友達の労いの言葉が嬉しくて、灯里の顔に笑みがこぼれました。よかった。まだ繋がっている。友達も、未来も。
灯里はクラクラする頭を押さえて、まりに「もう大丈夫」と言いました。
「よっし。じゃあ行こっか」
美海が景気良くそう言って、三人は再び歩き始めました。しかし先ほどと違い、あてもなく探しまわるのではありません。明るく照らされた石を目指して彼女たちはまっすぐに進みました。
近づいていくたびにあたりはだんだん明るくなっていって、少女たちの周囲はまるで昼間のようになりました。しかし、空はもうすでに月が登り、星々が点々としていました。
そして、周囲をそれだけ明るくしているというのに、その明かりの方を見ても少しも眩しくありませんでした。
光を目指して歩いているうちに三人に少しずつ勇気が湧いてきました。
石を手に入れて、自分たちはこの町をまたいつもの平穏な町並みに戻すんだ。そういう気持ちが一歩ずつ大きくなっていきました。
そして三人はその強くて優しい光に近づき、それが確かに青い石であることを確認しました。同時に、その石を持つ影を見ました。
それはとても頭が大きくて、気味の悪い、先ほどの化け物でした。
灯里の中にあった勇気がその途端に一気にしぼんでしまいそうでした。
それでも、三人は自分を奮い立たせて、化け物に近寄りました。化け物は嬉しそうに青い石を手の中で転がしていました。そして石に夢中で、まだ、彼女たちには気づいていませんでした。
「あ、あんにゃろぉ! もう一度とっちめてやるっ」
美海はそう言って、先ほどと同じように自分のバッグを化け物の頭めがけて思いっきり放り投げました。
化け物は自分に迫ってくるバッグに気づいて驚き、そしてニタリと笑いました。次の瞬間、化け物は青い石をバッグにかざしました。
するとなんということでしょう。美海のバッグは瞬く間に炎に包まれて灰となってしまいました。
「う、嘘!?」
化け物は不気味な声で高笑いをしました。そして自分の得た力に酔っていました。圧倒的な万能感と獲物を痛ぶる嗜虐心に溢れていました。細長い指をペロペロと舐めながら、いやらしい笑みを浮かべて灯里たちを見つめてきます。誰から最初に襲おうか品定めをしているようでした。
一匹を捕まえている間に他の二匹は逃げるかもしれない。それでもいいが、三びき全員に先ほどの屈辱を返してやりたい。何かうまい方法はないか? そういえばさっきは一匹を襲っている間に他の二匹が攻撃してきた。もしかしたら助けようとしていたのかもしれない。では今度もそうかもしれない。一匹ずつ動けなくして、三びきとも動けなくなったら食ってやろう。そうだ、それがいい。だが、その前に遊んでやろう。いたぶってやろう。化け物の口は残虐な笑みによって引き裂かれたかのように左右にぐいっと伸びてつりあがりました。
まりはそれを見てひきつるような顔で言いました。
「こ、これではっきりしたわね。あの石は持っているだけで不思議な力が使えるようになるんだわ。だからあの影の人も欲しがってたっ!」
「あ、あの石の力? これが?」
灯里は頭を強く殴られたような思いでした。……あの青い石がそんなものだったなんて。世界を守ってくれだなんて言うから、きっと良いものなんだと思っていたのに。悪い人が、化け物が使えるなんて。
そしてそれがすでに悪い化け物の手に渡っているということが、どれだけ恐ろしいことか。もはや石を取り戻すことなど遠い夢でした。自由自在に火を操る化け物などに敵うわけがありません。
「に、逃げよう」
灯里は震える声で言いました。
美海とまりもこくりと頷きました。でも今、後ろを向いたら絶対に襲われる。後ろを向いたらダメだ。彼女たちはそう思いました。
それに灯里たちは先ほどとは違う化け物の不思議な力に怯えて、膝がガクガクと震えていました。化け物を見たまま後ずさろうとしても、鉛のようになった足がそこから動こうとしませんでした。
しかし、獰猛な笑みを浮かべる化け物はいつ彼女たちに襲いかかってきてもおかしくはありませんでした。
後ろを向いたら襲われる。でも、このままでもいつ襲ってくるかわからない。そんな彼女たちの恐怖の表情を見て、化け物は一層ケラケラと笑いました。そして石を持っていない方の手の指を彼女たちに向けて火の玉を投げつけてきました。彼女たちに当たらないように、そして耳元を通り過ぎる炎に怖がる彼女たちを楽しむように。
そして立ちすくむ彼女たちを嬲りながら、化け物はジリジリと距離を詰めてきます。
「ど、どうしよう?」
灯里は泣きそうでした。いえ、すでに目には涙がポロポロと溢れていました。先ほどまでの希望に満ちた時間が嘘のようでした。あの醜い化け物に襲われて、殺されてしまう。自分だけじゃなく、友達も、もう逃げることもできない。灯里は自分を責める気持ちでいっぱいになっていました。
まりがそんな灯里を叱咤するように言いました。
「灯里ちゃんっ。まだ諦めちゃダメ! まだなんとかなるかもしれないわ!」
「ほ、ほんと!?」
「わからない。……けど、試してみる価値はあると思う。……さっき、灯里ちゃんと美海ちゃんが私を助けてくれた時、あいつ灯里ちゃんのバッグで驚いて逃げちゃったじゃない。……もしかしたら、灯里ちゃんのバッグだったらあいつ、倒せるのかも」
「でも、当たる前にさっきみたいに燃やされちゃうよ?」
当たる前に燃やされてしまえば、さすがにどうしようもありません。そこでまりは一つ非常に単純な策を練りました。
「私たち二人が囮になる。灯里ちゃんのバッグを美海ちゃんが投げる。それでいきましょう!」
「囮って、どうやって?」
「あいつと距離を保ちながら、私たち三人少しずつ互いに離れるの。そして三人が離れたら私が合図して、私と灯里ちゃんで、とにかく何でもいいからあいつの注意を引く。そしてその隙に美海ちゃんがあいつにバッグを投げつける。どうかしら?」
「その前にあいつが襲ってきたら?」
「そのときは諦めましょう」
美海はニヤリと笑いました。こんな馬鹿げた作戦、よく思いついたな。でも何もやらないでやられてしまうよりはずっといい。そう思いながら灯里のバッグを受け取って、美海は左にジリジリと動き始めました。同じようにまりが右手にジリジリと離れていって、化け物の正面に灯里が残されました。
化け物はジリジリと互いに離れていく少女たちを交互に見ました。体はそのまま、ゆっくりと彼女たちに向かって歩いていって、首だけがぐるぐると少女たちの方を向いて回りました。
化け物に近づかれないように、灯里も少しずつ後ずさりました。そして、三人が離れきらないうちに灯里の背中が崩れずに残っていた建物の塀にぶつかりました。もう後がありません。
それを見て、化け物は嬉しそうに笑うと、第一目標を灯里にしぼりました。
一歩、また一歩と灯里に下卑た視線を投げながら寄ってきます。灯里は生きた心地がしませんでした。それでもチラチラと左右を伺って、まりの合図を待ちました。そして、あいつの注意を引き付けるにはどうすればいいのだろう。そもそもこれ以上自分に注意を引き付ける必要があるのかしらと思いました。
あと10歩。あの化け物がまたあの火の玉を投げてきたら、躱すこともできないほどの距離まで迫っていました。
そして、もう一歩。化け物が近づいてきました。
すると、まりがいきなり「わー!」っと大声をあげて化け物の方に突進しました。バッグをブンブンと振り回し、錯乱しているかのようでした。
それを見て、灯里も化け物に向かって走り出しました。同じように大声を出して。
化け物の方は、いきなり獲物がこちらに向かって叫びながら走りこんできたので、驚いて腰が弾けていました。
そして、次の瞬間。
美海が全力で投げたバッグが、化け物の後頭部に直撃しました。
「ウグェエ!!?」
果たして、灯里のバッグがどれだけ化け物の頭に響いたのかわかりません。ですが、化け物の手に握られていた青い石が、その弾みでこぼれ落ちました。
灯里が勢いよく化け物の足元に飛び込みました。そして化け物がそれを拾うよりも先に奪い返すことができました。
しかし、化け物の方も簡単には諦めませんでした。うつ伏せになった灯里の頭をゲシゲシとヤモリのような指の長い足で踏みつけ、灯里から石を奪い取ろうとしました。灯里は胸元で石を握りしめたまま、じっとこらえました。
遅れてやってきたまりが灯里のバッグを拾って化け物に向かって振り回しました。しかし、灯里のバッグに特別な力はなかったようです。まりがどれだけ目一杯灯里のバッグをぶつけても化け物はピクリともしませんでした。そして化け物はまりを無視して灯里を殴り殺そうとしました。
「まり! どいてっ」
最後にやってきた美海が化け物に体当たりしました。全力で肩を打ちつけて、やっと化け物は灯里から離れました。
「灯里ちゃん! 大丈夫!?」
まりが灯里に駆け寄りました。見る限り大きな怪我はありませんでしたが、灯里は呻くだけで、返事ができませんでした。
そして、美海に押し飛ばされた化け物が起き上がりました。
化け物に先ほどまでの笑みはありませんでした。その代わり憎しみと怒りが醜い顔を、より大きく歪ませていました。
化け物と対峙していた美海は、そのあまりの形相に後退りながら、灯里に声をかけました。
「ねえ。灯里? 灯里? その石でこいつ何とかしてよ。めちゃくちゃ怒ってるし、なんかやばそうだよ」
灯里は顔をあげましたが、意識が朦朧としていました。化け物を何とかしなくては。そう思いながらも、どうやれば化け物がやったように火の玉を作り出せるのかわかりませんでした。灯里が何もできないまま体を震わせていると、化け物が飛びかかってきました。
「どくんだ!」
後ろから、声が聞こえました。
そしてはらりと一人の青年が躍り出て、化け物と交差しました。
化け物の頭をレイピアのような細い剣で貫かれて、ばたりと倒れました。
そして、化け物を倒した青年が言いました。
「 もう、大丈夫だよ」