一日目昼間④
お米屋さん、八百屋さん、お魚屋さんの順番でお店を回り、必要なものを買い集めた。てきぱきとめぐちゃんが買い物を済ませてくれたのでまだ時間は昼と夜の狭間の大禍時。
お店から出て忠秋の工房に帰る途中で忠秋が「煙草買い忘れた。」と言ってするりと俺の首からカエルさん財布を外して煙草屋に行ってしまった。この暑さでは買った鯖の鮮度が気になるがたくさん氷を入れてもらったし、すぐ戻るだろうからちょっと待っていようかとめぐちゃんに言われ近くにあった小さな公園のベンチに座った。
何か飲み物を買ってくるよとめぐちゃんがベンチに荷物を置いて自動販売機のほうへ行ってしまったので手持ち無沙汰にお守りをいじることにした。
このお守りはいつからか持っていて普通のお守りの袋の中に指輪が入っている。とてもきれいな指輪が入っていてそれは台座も何もない、すべての部分が宝石でできた透き通る赤い指輪だった。
使われている宝石はガーネットだと教えてくれたのは確か珍しいことに忠秋だったっけ。指輪を見ていると何か大切なことを忘れているような失くしてしまったような不思議な感覚がする。
だから忠秋に指輪について聞いたらいつもの仏頂面からほんの少しだけ心配そうな顔をしてお守りだと教えてくれた。その忠秋の隣にはなぜかトトロス君が居たのを覚えている。忠秋はそれ以上教えてくれなかったけれどそのあとでガーネットが持つ意味を教えてくれたのはトトロス君のほうだった。ガーネットの意味は不老、または永遠の愛。
指輪のことを聞いた後、トトロス君と忠秋は何か話していたけど俺には聞き取れなかった。その時に印象的だったのは忠秋が心配そうな顔をしてトトロス君と話していたことだった。あいつが誰かを心配するなんて珍しいこともあったものだ。
そんなことを思い出しつつお守りをいじりながらめぐちゃんが帰ってくるのを待っていると「お姉ちゃん。」と誰かを呼ぶ若い女性の声が聞こえた。どこか聞いたことのある声だったので不思議に思いながら一応声が聞こえたほうを向いた。誰かを探しているなら手伝ってあげたほうがいいかな。
そう思ってそちらを見ると仕事帰りなのかパンツスーツ姿の20代前半くらいの若い女性が立っていた。
「お姉ちゃん。帰りましょう。もう十分でしょ。お母さんもお父さんも帰ってくるのを待ってるわ。」
「えーっと…誰かと間違えてないかな。俺は君のお姉ちゃんじゃないしそもそも俺は男だよ。」
見知らぬ女性にお姉ちゃんと呼ばれ、困惑する。そもそも俺は男だしね。困って否定するとその女性はどんどん近寄ってきて俺のすぐ目の前で立ち止まった。
「お姉ちゃん。ふざけていないで。ほら、帰りましょう。」
「帰るってどこにだい?そもそも俺はここの住人だよ?」
この強引さと話を聞かない感じは『街』の住人の行動みたいだけど恐らく違う。その女性の目を見ると渦巻くような感情が暴れまわっているのが見えた。苛立ちと恐怖と不安?恐らく焦りもあるだろう。
なんだか珍しい組み合わせだなと見ていていたのがまずかった。気づいたらその女性にものすごい力で腕を掴まれ、ぐいぐい引っ張られていた。この女性はどうやってもその「お姉ちゃん」とやらを連れ帰りたいらしい。
「うわっ。ねぇ待ってよお姉さん。どうして俺を連れて行こうとするの?さっきから言ってるけど俺は君のお姉ちゃんじゃないよ。話し合おうよ。」
「いいから早くこんなところから出るのよ!こんな頭のおかしいところにいるからお姉ちゃんは戻らないの!さっさと元に戻って!」
「さっさとするのはお前のほうだ。琴音。その手を離せ。」
話をちっとも聞いてくれないお姉さんをどうしようか悩んでいたら俺の腕を掴むお姉さんの腕をがっちり捕まえている忠秋がいた。忠秋はいつもの死んだ目ではなく、鋭い目つきでその女性をにらみつけている。
「なっ…。」
「祐。恵はどうした。」
「ごめんごめん遅くなっちゃった。祐君いい子にしてた…ってあれ、その子どうしたの?」
両手に缶を持って駆け寄ってきためぐちゃんは首をかしげて不思議そうにしている。俺の腕を掴む女性とその女性の腕を掴む忠秋。確かによくわからない状況だ。忠秋は帰ってきためぐちゃんを一瞥すると女性の腕を掴む手に力を込めた。
「痛いっ!」
「おい、恵。祐を連れて先帰れ。用事ができた。」
込められた力に痛みを感じ、悲鳴を上げて後ずさりした女性を一切見ることなくめぐちゃんに命令するかのように言うと忠秋はその女性に背を向けてこちらを見た。俺が驚いているのも気にせずざっと俺の全身をチェックするように見た後、地面に群青色の小さな袋が落ちているのに気が付いた。
それはお姉さんに掴まれて引っ張られたときに落とした俺のお守りだった。それを忠秋は拾って袋についてしまった土埃を丁寧に払ってから困惑している俺の手を開いてお守りを握らせた。俺の腕を掴むお姉さんの手はもう外れている。その様子を見ていためぐちゃんは何を感じ取ったのかわからないけどにっこり笑って忠秋に
「夕飯の時間までには帰っておいで。」
とだけ言い、状況がよく呑み込めていない俺の手を引いてもう片方の手で持っていた缶を荷物の袋に滑り込ませ、買い物袋を持ちさっさと工房のほうへ歩き出してしまった。
よくわからないままめぐちゃんに連れられて歩く中、振り向いた俺の視界に入ったのはお姉さんと対峙し、買ったらしい煙草に火をつけて吸う忠秋の後ろ姿だった。