一日目昼間①
職人になって帰ってきた忠秋はくたびれたような雰囲気を常に出す目の死んだ人間になっていた。
髪の毛も前はきれいにセットしていたのに今じゃぼさぼさの無造作ヘアー。色も茶髪から黒に戻していた。目の下にいつも隈を作っていて、くわえ煙草でぼんやりすることが増えたし、への字の口から出るのはなげやりな言葉ばかりになった。
それでも根は良いやつなので俺としては問題なし。チャラチャラして女遊び激しいイケメンだった昔に比べて厭世的な雰囲気でもどこか吹っ切れている今の性格の忠秋のほうが好きだな。
今思えば俺も見合いぶち壊し事件からどっか頭がおかしくなったとよく言われるようになったので人間、精神的に疲弊すればそんなことも起きるだろう。自分が自覚しているおかしくなった点としたら思考と口から出る口調の不一致かな。頭の中じゃそれなりに理路整然したことを考えられるのに口から出るのはどこか幼い言葉だ。頭で考えたことをうまく話せなくなった。
まぁでも生きてくのに支障はないから問題ないね!
そんな忠秋の変わり果てたその姿に友人はごっそり減ったが特に気にせずあっさり受け入れた奴もいた。
身内ばっかりだけど。
そうして帰ってきた忠秋が時計修理職人として働こうとしたときに忠秋の二番目のお兄さん(この人も俺の従兄弟だが年齢が離れすぎていてあまり話したことはない)がお金を出して工房を建ててくれたらしい。それから忠秋は実家から遠く離れたこの『街』に住み着いている。
そんなわけで俺も半年ほど忠秋の工房兼住居で過ごした。始めは家賃も払おうとしたが忠秋は生活費だけでいいと言ってくれたのでそれに甘えさせてもらった。
家事しつつ忠秋の仕事を観察したり、仕事を辞めたことを知った親友のめぐちゃんがわざわざ訪ねてきてくれたりして思ったより楽しく過ごしていた。
忠秋のところに来た当初は元気にふるまっていても情緒不安定なままで突然泣き出したり、時々やらかしたことを思い出してどん底まで落ち込んでカビの生えた饅頭みたいになって部屋のすみっこに転がっていたこともあった。
が、じめじめした家の雰囲気に耐えられなくなって丸まっていた俺を蹴り飛ばして強制的に現実に戻してくれた忠秋や、いきなり脈絡なく泣き出す俺に動揺することもなく泣き止むまでにこにこ待ってくれためぐちゃんのおかげで案外精神が落ち着くのは早かった。
そうして俺は半年間のニート生活の後、新しく仕事を見つけ忠秋のところから引っ越した。
とはいっても同じ『街』の中で忠秋の工房の近所にある安い六畳二間のアパート。貯蓄はかなりあるからもっと良いところに住めるけどこのくらいの狭さで十分。どうせ休みの日は忠秋の工房に入り浸っているし。
実家を出て一年もすれば見合いのことなんてすっかり記憶から消えた。新しい仕事先は小さいお弁当屋さん。同僚のおばちゃんたちは優しいし、給料だって悪くない。おばちゃんたちはいつも同じおいしいお惣菜を分けてくれる。
この職場に就職してからありがたいことにご飯のおかずに困ったことはない。俺の仕事はお弁当の注文を受けてパックにご飯を詰めることだ。最近は詰めるスピードも上がってきてたくさんご飯パックを作れるようになった。それを忠秋に報告したときに呆れたような目で見てきたので俺たちの間に何ラウンド目になったかわからないゴングが鳴り、血みどろの試合が始まったがまぁそれはいい。
ここには面白いところがあって上司が二日に一度変わるのだ。今のところ同じ上司に当たったことはない。変わる上司はまちまちで若い女性だったり、壮年のおじさんだったり性別も年齢もバラバラ。
けれどちゃんと上司たちは情報を共有しているみたいで今のところ問題が起きたことはない。上司たちはいつでもにこにこしていて怒られたことはない。明るくて楽しい職場だと思う。
そして休日の今日も忠秋の工房の住居部分で二人そろってだらだらしていた。ここ最近の猛暑の影響で忠秋は夏バテをして完全に仕事をする気をなくしたらしい。元々忠秋の工房に入る修理依頼は少ない。時々溜め込んだらしいよくわからない書類を片付けているがそんなときの忠秋は面倒くさそうに俺の首根っこを捕まえてそのままめぐちゃんに押し付ける。
そこまでしなくたって邪魔しないのに。めぐちゃんは苦笑しながら俺を受け取って遊びに連れて行ってくれる。やっぱり俺のこと猫か何かだと思ってないか?
忠秋自体仕事熱心な質でもないし、仕事をしなくても実家からの援助があるのでその気になれば一生ニートでも問題ないらしい。滅べばいいのにね。
「祐君、忠君遊びに来たよー。」
「めぐちゃんだ。いらっしゃいませー!」
「居酒屋かよ…。」
うだうだしてる中めぐちゃんが縁側からひょいと覗き込む感じで顔をだしてきた。
この暑い中灰色の七分丈ズボンに白い無地のTシャツ。その上から爽やかな水色の薄手のカーディガンを羽織っている。さすがに袖は捲っているみたいだが。
元気よく歓迎の言葉を発したら暑さでぐったりしていた忠秋が後ろでぼそっとつぶやいていた。お客が来たのに家主の忠秋は居間の畳の上で寝そべったまま。そんな態度の忠秋を見てもめぐちゃんは特に気にすることなく笑って持っていたビニール袋を持ち上げて見せた。
「アイス買ってきたから。みんなで食べよ。」
「ありがと!」
スプーンとめぐちゃんに出すお茶を用意するため台所に向かう。お茶はほうじ茶でいいかな。
お客さんが来ても忠秋はお茶なんて出さない。ごろごろしていたこの居間にはちゃぶ台とテレビ、籐のごみ箱くらいしかないのだけどちゃぶ台の上には俺と忠秋のコップしかない。これだって俺が勝手に出したのだ。
働かない忠秋の代わりにお茶の用意をするため立ち上がって廊下へ繋がる引き戸をガラガラと音をさせながら引く。台所に向かう俺の後ろでは縁側から上がってきためぐちゃんと動きたくない忠秋の攻防が起きていた。
「ほら忠君。起きて。俺の座るところないじゃん。」
「その辺空いてるだろ。」
「いやそこ祐君のとこだから。俺も日陰で涼しいとこがいい。忠君がちょっと足どけてくれれば問題ないんだけど?」
「あー…。」
冷蔵庫からお茶の入ったボトルを取り出す。面倒くさがり屋の忠秋はお茶を作り置くなんてしない。いつも2リットルのペットボトルでお茶なんかを飲んでいたのだけどいつぞやペットボトルを貯めこみすぎてキレためぐちゃんにしこたま説教を食らった日から一リットルのボトルにちゃんと作るようになった。
怒られるくらい溜め込まなきゃいいのに。
めぐちゃんだって多少忠秋がだらしなくしていても怒ったりしない。ただペットボトル事件は流石のめぐちゃんをもブチ切れさせるものだった。どんだけ溜め込んでいたんだろう。
片手にお茶ボトルとコップを持つ。後は見慣れた台所の食器棚の引き出しから人数分のスプーン、来客用の食器棚からめぐちゃん用にコップを取り出し、両手で持って来た道を戻る。この来客用の食器棚は俺が忠秋のところに居候するまで存在すらしてなかったものだ。
確かにここにはお客さんはめったに来ない。けど今はこうやってめぐちゃんや忠秋の母方の従兄弟、トトロス君も来るんだからあったほうがいいよね。ということで忠秋と二人でいろいろ買いに行った。
板張りの廊下は素足で歩くとぺたぺたとスライムを転がしているような音がする。足の裏がちょっぴり湿っているからかな。足の裏に汗腺ってあったっけ?まぁいいや。
家の奥にある日の当たらない廊下はひんやりしていて気持ちいい。素足に感じるひんやり感を惜しみつつ畳敷きの居間に入って真っ先に視界に入ったのは空中を舞う忠秋と何かを投げ飛ばした姿勢のめぐちゃんだった。